31話:魔獣狂化事件
異変は、朝食の途中で起きた。
「ぶもっ!?」
プーコが突然立ち上がり、周囲を警戒するように鼻を鳴らした。
「ど、どうした?」
パンをかじっていた俺は、口いっぱいのまま立ち上がる。
「マコトさん、東の森……空気が変です」
リーネの魔力感知が、僅かに震えている。
アイシアが目を細めた。
「魔獣狂化だ。しかも……雑だな」
「雑?」
「力任せに流し込んでいる。術者が焦っている証拠だ」
――つまり。
「助けられる、ってことか」
俺がそう言うと、リーネが少し驚いた顔をした。
「……うん。そうだね」
その表情が、なんだか嬉しかった。
「もふ……?」
モフが俺の肩に飛び乗って、不安そうに鳴く。
「大丈夫。今度は、ちゃんと助けられる」
そう言いながら、俺たちは森へ向かった。
プーコが先頭を走り、リーネとアイシアが続く。モフは俺の肩で、しっかり毛を掴んでいる。
「マコトさん、準備はいいですか?」
「ああ。でも、戦うんじゃない。止めるだけだ」
「……うん。信じてる」
森に入ると、すぐに見つかった。
狂化した狼型魔獣が三体。牙を剥き、理性を失って暴れている。木々に爪を立て、地面を引っ掻き、まるで何かから逃げるように駆け回っている。
(怖い)
(痛い)
(やめたい)
微心読が、悲鳴みたいに流れ込んできた。
胸が締め付けられる。
「……大丈夫だ」
俺は、一歩前に出る。
「戦わなくていい。聞こえるから」
魅了は使わない。命令もしない。
ただ、心を開く。
狼たちの動きが、少しずつ鈍る。赤く光っていた瞳が、僅かに揺れた。
「マコト……」
アイシアが警戒態勢を解かずに呟く。
「無茶をするな」
「わかってる」
狼の一匹が、俺に向かって牙を剥いた。
「もふっ!?」
モフが怯えて俺の首に隠れる。
だが、俺は動かない。
「苦しいんだろ? わかるよ」
狼が、一瞬動きを止めた。
「今だ、マコトさん!」
「プーコ!」
「ぶもぉぉ!」
――ドスン。
プーコが、優しく体当たりした。
「ちょ、優しさとは!?」
吹き飛ぶ狼。しかし着地は見事で、気絶しただけだ。
「プーコ、お前の優しいの基準、どうなってんだ!?」
(手加減したぞ)
リーネの氷魔法が、暴走する魔力を封じる。
「【氷結封印】!」
青白い光が狼たちを包み、体内の魔力が静まっていく。
「解除、完了!」
残りの二匹も、同じように対処した。プーコが優しく(物理)押さえつけ、リーネが魔力を封じ、俺が心を読む。
数分後。
森は、嘘みたいに静かになった。
正気に戻った狼たちは、おずおずとこちらを見て――
「……」
「……」
全員、俺の後ろに隠れた。
「え、なんで俺!?」
「マコトさん、安心する人認定されたみたいですね」
「やめてくれ、責任重い!」
プーコが、なぜか誇らしげに胸を張る。
(私の主だからな)
「お前まで……」
モフが俺の頭の上に移動して、ドヤ顔で「もふ!」と鳴いた。
(私も一緒に戦ったぞ)
「お前、肩で震えてただけだろ……」
そのとき。
遅れてやってきたのは――王国の騎士団だった。
「魔獣狂化の報告が――」
騎士たちは、怯える魔獣と、それを撫でている俺を見て固まる。
「……討伐、は?」
「してません」
「……捕縛?」
「してません」
「……なぜ?」
俺は、正直に答えた。
「苦しんでただけだったから。治したら、落ち着きました」
騎士たちは、顔を見合わせる。
「……前例が、ない」
アイシアが一歩前に出た。
「だが、結果は平和だ。魔獣も無事、人も無事。何か問題があるか?」
騎士の一人が、剣を下ろした。
「……いや。問題は、ない」
沈黙のあと、一人の騎士が、ぽつりと言った。
「……被害、ゼロです」
その言葉が、空気を変えた。
別の騎士が、恐る恐る俺に近づいてくる。
「あの……魔獣使い殿。この狼たちは、どうされますか?」
「どうって……森に帰してあげてください。もう大丈夫です」
「本当に?」
「ええ。もう暴れません」
俺が狼の頭を撫でると、狼は嬉しそうに尻尾を振った。
騎士たちが、また固まる。
「……信じられん」
「これが、魔獣使いの力か……」
「討伐じゃなくて、鎮静……」
ざわざわと騎士たちが話し合う中、隊長らしき男が前に出た。
「魔獣使い殿。我々は、あなたを監視していた」
「……知ってます」
「だが、今日のあなたの行動は……正直、予想外だった」
「予想外?」
「我々は、あなたが魔獣を支配すると思っていた。だが、あなたは救った」
隊長は、深々と頭を下げた。
「感謝します」
その姿に、俺は戸惑った。
「いや、俺は……当たり前のことを……」
「いいえ」
隊長は顔を上げる。
「魔獣狂化は、通常、討伐しか方法がない。だが、あなたは新しい道を示した」
リーネが、嬉しそうに俺の袖を引いた。
「ね? マコトさん、すごいよ」
「……そうかな」
「そうです!」
帰り道。
リーネが、少し嬉しそうに言う。
「マコトさん。今日、ちゃんと解決でしたね」
「……うん」
戦って、倒して、終わりじゃない。
助けて、笑って、帰る。
そんな選択肢が、初めて現実になった気がした。
プーコが俺の隣を歩きながら、やたら尻尾を振っている。
「なあ、お前……」
(私たち、いい仕事したな)
「そうだな」
モフも、俺の肩で満足そうに丸まっている。
(疲れた……)
「お前、ほとんど何もしてないだろ……」
アイシアが、少し後ろから声をかけてくる。
「マコト。今日の選択は、正しかった」
「……ありがとう」
「だが、油断するな。邪教団は、まだ動いている」
「わかってる」
空を見上げると、雲の切れ間から、光が差していた。
世界はまだ危ない。
でも――
守り方は、一つじゃない。
力で押さえつけるんじゃなくて、心で繋がる。
それが、俺にできること。
「マコトさん」
リーネが、俺の手を握った。
「ん?」
「今日のマコトさん、かっこよかった」
「え……」
顔が熱くなる。
「い、いや、別に……」
「ほら、照れてる」
「照れてない!」
(照れてる)
「お前まで!?」
笑い声が、森に響く。
俺は、少しだけ胸を張って歩いた。
世界を救うなんて、まだ遠い。
でも、今日、確かに誰かを救えた。
それだけで、十分だ。
そう思えた、希望の一日だった。




