29話:邪教団の影
違和感は、些細なところから始まった。
王都の裏路地。
昼間なのに、人の気配が薄い。
モフが、俺の肩で不安そうに鳴いた。
(まこと、なにか、おかしい)
「……誰か、見てる」
俺の呟きに、リーネが息を呑んだ。
「気のせいじゃないよね」
プーコが低く唸る。
その毛並みが逆立っていた。
(あぶない)
ポチも、警戒している。
(なにか、くる)
チビは、俺のポケットの中で震えていた。
(こわい……)
――来る。
直感よりも早く、微心読が感情を拾った。
(欲しい)
(奪いたい)
(あれは――器だ)
ぞっとするほど、生々しい感情。
「下がって、リーネ」
「マコトさん……!」
路地の奥から、黒衣の男たちが現れた。
顔は布で覆われ、胸元には歪な眼の紋章。
「深淵の眼……!」
リーネの声が震える。
モフが、必死に俺の首に抱きついた。
(まこと、にげて!)
「逃げられない……」
「やはり、貴様だな」
男の一人が、愉しげに言った。
「魔獣に愛されし異界の魂。我らが探していた鍵だ」
「鍵……?」
「魔王を目覚めさせるための、な」
空気が凍る。
アイシアが前に出た。
その瞳は、竜のそれだった。
「下郎ども。我が主に触れるな」
「古代竜が従うほどの器……素晴らしい」
男たちは、まるで恐れていない。
次の瞬間。
地面から、歪んだ魔獣が這い出した。
その魔獣たちは、明らかに苦しんでいた。
目は血走り、口からは泡を吹いている。
「魔獣狂化……!」
リーネが叫ぶ。
苦しみ、悲鳴を上げる魔獣たち。
心読が、痛いほど伝わってくる。
(助けて)
(怖い)
(やめて)
(痛い)
(苦しい)
モフが、震えながら俺に訴えた。
(まこと、たすけて!)
「……くそっ」
俺は一歩踏み出した。
「マコトさん、ダメ! 王国の目が――」
「それでも!」
俺は叫んだ。
「目の前で苦しんでるのに、見捨てられるわけないだろ!」
魅了を命令として使わない。
ただ、心を開く。
「聞こえる。お前たちの苦しさも、怒りも」
魔獣たちの動きが、止まった。
(やさしい……)
(あったかい……)
(たすけて……)
黒衣の男が舌打ちする。
「力を抑えている……だが、それでもこの規模か」
「やっぱり、世界を壊せる器だ」
――違う。
俺は歯を食いしばる。
「壊すためじゃない。守るためだ」
魔獣たちが、次々と正気を取り戻す。
深淵の眼の術式が、崩れていった。
モフが、嬉しそうに鳴いた。
(まこと、すごい!)
「すごくないよ……ただ、助けたかっただけ……」
黒衣の男たちは、後退する。
「いいだろう。今日は引く」
「だが覚えておけ。貴様は選ばれた」
「王国も、我らも、いずれ貴様を必要とする」
そして――
「あの娘も、貴様の弱点だ」
男は、リーネを見た。
「大切な者を守りたければ、我らに従え」
「……っ」
リーネの顔が、青ざめた。
「やめろ! リーネは関係ない!」
「関係ないと?」
男は、笑った。
「貴様の力を縛る鎖。それが、あの娘だ」
「人として生きたいと願う貴様にとって――最大の弱点だ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
闇が、溶けるように消えた。
残ったのは、静寂と――
王国騎士団の足音。
「……来た」
リーネが呟く。
騎士たちの視線は、救われた魔獣ではなく、俺に向けられていた。
「高橋マコト」
副団長の声。
「今のを見た。もはや猶予はない」
「貴殿の力は、やはり危険だ」
「……」
「三日と言ったが、即刻身柄を確保する」
俺は、深く息を吸った。
逃げられない。
隠せない。
それでも。
モフが、俺の肩で小さく鳴いた。
(まこと、だいじょうぶ。いっしょ)
「……ありがとう、モフ」
リーネが、そっと俺の手を握った。
「一人じゃないよ」
その温もりが、俺を人間に繋ぎ止めた。
でも――
リーネの手は、冷たかった。
震えていた。
(……俺のせいで、リーネまで狙われた)
その事実が、重くのしかかった。
プーコが、俺の足元で鳴いた。
(まこと、まもる)
ポチも、チビも、みんな俺を守ろうとしている。
でも――
俺は、みんなを守れるのか?
その自信が、なかった。
副団長が、騎士たちに合図した。
「高橋マコト、貴殿を王国の管理下に置く」
「抵抗は無用だ」
騎士たちが、俺を囲む。
アイシアが、前に出た。
「我が主を、渡さん」
「古代竜……貴女も、彼を庇うのか?」
「当然だ」
アイシアの瞳が、光る。
「彼は、私の主だ」
緊張が、高まる。
このままでは――
戦闘になる。
それは、避けなければいけない。
「……待ってください」
俺は、前に出た。
「戦いは、やめてください」
「マコトさん!?」
「俺は――」
深く息を吸う。
「俺の意思で、王国に協力します」
「ただし」
俺は、副団長を見た。
「リーネと、仲間たちは、巻き込まないでください」
「マコトさん、何言ってるの!?」
リーネが、叫んだ。
「私も一緒に――」
「ダメだ」
俺は、リーネを見た。
「お前は、安全な場所にいてくれ」
「……」
リーネの目が、涙で潤んだ。
「そんな……」
闇は、確かに動き出した。
王国も、邪教団も。
そして俺は――
世界の中心に立ってしまった。
モフが、俺の肩で泣いていた。
(まこと……)
「ごめんな、モフ」
俺は、大切なものを守るために――
自分を、差し出すことにした。




