2話:神様は迷惑そうだった
「おい、お前さん。人の家の庭で寝るなよ」
突然、声をかけられた。
ふわり、と体が浮いているような感覚があった。
目を開けると、そこは白一色の空間だった。
上下も奥行きも分からない。ただ、やたらと明るい。
「……え?」
俺は思わず周囲を見回した。
そして、目の前には――白いモヤがふよふよと浮かんでいた。
人型のようにも見えるが、はっきりしない。
顔があるような、ないような。性別も年齢も不明。
「あ、あの……ここは?」
「だから、人の家の庭だって」
モヤは、やれやれといった様子で揺れた。
「本当に困るんだよ。私のテリトリーで勝手に死なれちゃ」
「し、死んだ……?」
「死にかけてた。あと三十分もしたら完全にアウトだった」
即答だった。
「え、でも……俺、ただ星を見てただけで……」
「見てたってレベルじゃなかったよ。完全に意識飛んでたから」
モヤは呆れたように言った。
「低体温症一歩手前。あのまま放置してたら、本当に死んでた」
「そんな……」
「まあ、助けたけどね。こうして話せてるってことは、まだ生きてるってこと」
「助けて……くれたんですか?」
「そうだよ。だって、私の庭で死なれたら面倒なんだもん」
あまりにも率直な理由だった。
「面倒って……」
「処理が増えるんだよ。色々手続きとかあるんだよ、こっちも」
神様っぽいのに、言ってることが妙に現実的だった。
「あの……あなたは、一体……」
「ああ、説明が遅れたね」
モヤは少し考えるような仕草をした。
「私はね、この辺を管轄してる神様みたいなものだよ」
「神様……」
「まあ、神様っていうか……地方神? 土地神? 正確な肩書きはよくわからない」
やけに適当だった。
「あの神社はね、私の管轄なんだ。だから、お前さんが倒れてるの、すぐわかった」
「管轄……」
「テリトリー。担当エリア。縄張りとも言う」
言い方が、妙に俗っぽい。
「で、見に行ったら、案の定倒れてた。しかも魂が半分飛びかけてる」
「魂が……」
「そう。だから、とりあえずこっちに引っ張ってきた」
モヤは、くるりと一回転した。
「で、今ここ。私の管理空間」
「管理空間……」
俺は周囲を見回した。
白一色で、何もない。
「質素でしょ? 予算削減でね」
「予算削減って……神様にも予算があるんですか?」
「あるよ。信仰が減ると、予算も減る。世知辛い世の中だ」
なんだか、やけに人間臭い神様だった。
その時、モヤが急に俺に近づいてきた。
「おや?」
視線はないはずなのに、見られている感じがする。
「お前さん、魂がくたびれてるね」
「魂……?」
「そう、魂。人間の本質ってやつ」
モヤは、じっと俺を観察している。
「で、お前さんの魂は……うわあ、これはひどい」
「ひどいって……」
「ボロボロ。削れて、薄くなって、色もくすんでる」
胸の奥を見透かされたような気がした。
「どれだけ消費したら、そんな魂になるんだい?」
「そんなに……ダメなのか、俺」
「ダメとかじゃなくてね」
モヤは少し優しい声になった。
「よくここまで生きてたなって感心するレベル」
「……」
「普通の人間なら、とっくに心が壊れてるよ」
その言葉が、妙に胸に響いた。
「無理してきただろ?」
責める口調じゃない。
むしろ、呆れたようで、少し優しい。
「こうなる前に、誰かに休ませてもらえればよかったのに」
「……誰も、休ませてくれなかったんです」
思わず、本音が漏れた。
「仕事も、人間関係も、全部……もう、疲れて……」
「ああ、やっぱりね」
モヤは同情するように揺れた。
「最近の地球人、そういうの多いんだよ」
「地球人……?」
「ああ、言い方が悪かったね。お前さんの世界のことだよ」
モヤは軽い調子で続けた。
「ストレス社会ってやつ? 息苦しいよね、あの世界」
「……はい」
「まあ、今さら言っても仕方ないけどさ」
モヤは、ため息をつくように揺れた。
「問題はね。お前さん、このままだとマズイってこと」
「マズイ……?」
「魂がこのままだと、本当に消えちゃうかもしれない」
その言葉に、俺は背筋が凍った。
「消える……って」
「まあ、そこまで深刻にならなくても大丈夫」
モヤは、ひらひらと揺れながら言った。
「だから、ちょっと提案があるんだ」
「提案……?」
「そう。まだ、決定じゃないよ」
モヤは、少し間を置いた。
「お前さん、元の世界に戻りたい?」
「え……」
「それとも……別の選択肢もあるけど」
「別の選択肢……?」
「まあ、詳しい話は次にしようか」
モヤは、急に話を切り上げた。
「とりあえず今日はここまでだ」
「え、今日は?」
「魂にも休憩は必要」
モヤは、ふわふわと揺れながら言った。
「焦らなくていい。次は、もう少しちゃんと説明しよう」
「ちょ、ちょっと待って……」
「じゃあね」
その声を最後に、白いモヤは薄くなっていく。
視界も、少しずつ霞んだ。
「……なんなんだよ、一体」
俺がそう呟いたときには、もう返事はなかった。
ただ白い空間だけが残り、
俺の意識は、静かに沈んでいった。
だが、俺の心に――
小さな期待が、芽生え始めていた。
別の選択肢。
それは、一体何なのか。




