ジェイド・ミラー
「え? 弓士と戦ってみたい?」
朝食のパンを齧りながら、ジェイドが素っ頓狂な声を出す。今日は休日のため、眠気を覚ますコーヒーではなく、紅茶を飲みながら、私は頷いた。
「うん。襲撃の時に、弓を使う相手がいるかもしれないからさ」
「ああ、なるほど。そういえば、お嬢とは一度も手合わせしたことがなかったですね」
まずは基礎的なことから、剣術以外のノイズを入れないためにと、エヴァンはジェイドとの手合わせの機会を作ってくれなかった。この世界にはファンタジー世界によくある『魔法』の類の力はないが、当然のことながら、弓士や槍士などは存在する。襲撃の相手が剣を使うとも限らない以上、たとえ急拵えだとしても、剣以外の武器への知見を得ておくべきだ。
「敵がどういう動きをしてくるか分からないから、念のためにね」
「そうですね。万が一にもお嬢達に危害が及ぶことはないでしょうが、この世に『絶対』はないですし……」
敵の策略にハマり、ジェイド達と分断される可能性だってある。そうなれば、信じられるのは自分の力だけだ。
ジェイドはそれで納得したのか、ポンと手を叩くと、首を縦に振った。
「いいでしょう。お嬢のためとあらば、一肌でも二肌でも脱ぎますよ、オレは」
「脱がなくてよろしい」
「ぐえっ」
実際に、冗談混じりに服を脱ごうとして、エナに横腹を突かれ、苦しそうな呻き声をあげたジェイド。時たま、一言二言多いのが、彼の欠点だろうか。
その日の正午。セリアとの決闘で使用した闘技場よりも、規模の小さい訓練場の使用が許可された。私達一同は武器を携えて、その訓練場を訪れる。
授業でも頻繁に使用する場所だ。勝手は分かっている。慣れた手つきで、鎮座しているカカシを隅の方へと動かすと、中央にジェイドを呼びつけた。
「じゃあ、ジェイド。今日はよろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いしますよ、お嬢」
教わる立場として、ぺこりと頭を下げると、ジェイドも同じように頭を下げる。それからすぐに、腰に提げていた弓を構えた。
大型の弓ではなく、小型の弓。弓には詳しくないけれど、短弓、というやつだろうか。ジェイドは、状況に応じて様々な弓を使い分けている。訓練ということで、小さな弓を持ち出したのだろう。
「早速ですが、やっていきましょうか。お嬢、習うより慣れろ、のタイプでしょ」
「よく分かってるね」
ジェイドが矢筒から矢を一本取り出し、私に見せる。弓の知識がない私でも分かるが、それは何かがおかしかった。
鏃が丸いのだ。試しに触らせてもらうと、ゴムのような素材で、少し弾力性があり、柔らかい。これではどう足掻いても、対象に刺さりようがない。つまり……訓練用の矢、ということか。
「これ、今日使う矢です。鏃が柔らかい素材なんで、当たっても『すごく痛い』程度で済みます」
「すごく痛いんだ……」
それもそうか、と、一人で納得する。鏃が訓練用のものに変わって、矢の速度も空気抵抗の差で落ちるだろうとは思うが、それでも痛いものに変わりはない。弓に詳しくない私でも、それくらいは理解できる。
私の反応に、ジェイドはやや申し訳なくなったのか、頭を掻いて言葉を訂正する。
「あー……すごくじゃないかも。割と痛いです」
「痛いのに変わりはないんだ」
「ええ、まあ。別のに変えると『痛いし死ぬ矢』に変わっちゃいますよ」
「うん、そのままでいいや」
流石に、訓練で命を落としたくはない。ほんの冗談のつもりだったのか、ジェイドはへらへらと笑うと、矢を番えた。
「じゃあ、まず、腹を狙います。当たったらすごく痛いんで、避けるか弾くかしてください。でも、射る前から逃げるのはダメですよ」
「分かった」
剣を構え、ジェイドの動きを見定める。彼の、少し長い緑の髪が風に揺られ……そして一瞬、ふわりと、舞い上がった。
直後、風切り音をあげながら、矢が飛来する。リリエルの高い潜在能力のおかげか、その動きを見切ることはできたものの、回避行動は間に合わず——、
「あいだぁっ!?」
——半端に避けたおかげか、当初の狙いである腹部ではなく、左の二の腕に矢が命中した。
確かに、これは……『割と痛い』。動けなくなるほどでもないけれど、じんじんと体の奥深くに響くような痛みが、着弾地点から伝わってくる。
その場に蹲る私を心配してか、すぐさま駆け寄ってきたジェイドがその場にしゃがみ込む。二の腕に触れ、折れていないことを確認して、ほっと息をこぼしていた。
「流石のお嬢でも、最初からは無理でしたか」
「無理だったね。動きは見えたんだけど……」
発射された矢の動きは、目で追うことができた。けれどそのあと、飛来してくる矢を避けることができなかった。弓士と戦うのが初めてというのもあるだろうが、未知の武器相手の慣れの無さという部分もある。
「矢の動きは追えてたんですか?」
ジェイドが少し驚いたように、そう質問を投げかけてくる。
「うん、何とかね。それを避けたり弾いたりするのが難しいって感じかな」
「いやいや。初めてで矢の動きを追えるって普通じゃ……と思いましたけど、あの旦那の娘さんですもんね。そりゃあできちまうか」
自分で疑問を投げかけておきながら、自分で解決をするジェイド。『エヴァンの血を引く者』というだけで、私が憑依しているリリエルの能力の高さ、その大半は説明できてしまう。
続いて、ジェイドは立ち上がると、私に手を差し伸べた。その手を取って立ち上がり、痺れる腕をぶんぶんと振り回していると、『でも……』と、彼が言った。
「だったらあとは簡単ですよ。ちょいと認識を変えるだけです」
「認識を?」
彼が頷いた。そうして指を一本立てると、私にこう質問した。
「お嬢、今飛んできたの、なんでしたっけ」
「え? そりゃあ……矢、だよね」
「ええ、そうです」
なぞなぞか何かだろうか。そう思って素直に答えたら、特にそういうわけでもなかった。何が言いたいのだろうと首を傾げると、ジェイドは突然歩き出し、再び、矢を番えた。
それを、明後日の方向へと向ける。彼が矢を向ける先には、先ほど隅に避けたカカシがあった。二人の距離は、それほど離れていない。一〇メーターもないくらいだろうか?
「矢ってのは、これくらいの距離ならほとんど真っ直ぐに飛びます。こんな風に」
そう言ってジェイドは矢を放つ。矢はそれほど大きな放物線を描くこともなく、真っ直ぐにカカシへと飛び、その体に当たってバインと弾かれた。
そんな実演を見ても、私はいまいち、ジェイドの言いたいことを理解できなかった。つまり、どういうことなのだろうか、と。
「つまりですね……この矢の動きが見えてるなら、お嬢のことですし、矢を『剣』だと思えば、上手く動けるようになるんじゃないですか」
「矢を剣に?」
「ええ。細身の剣での突きだとでも思えば、かなり意識が変わるんじゃないかと」
放たれた矢を、矢ではなく『剣での突き』だと捉える、か。
なるほど。ずっと、弓矢を未知数の武器だと思っていたけれど、直線的に飛来する鋭い一撃だと考えれば……剣による突きと同質のものだと考えても、問題はない。
「なるほど……」
普段は飄々としているジェイドが、こういう場面ではひどく参考になることを言う。そのギャップに面白みを覚えた。確かに、それならもう少し、上手くやれるかもしれない。
そうして私が理解したことを察したのか、ジェイドは再びこちらへとやってきて、弓を構えた。狙いは、私だ。
「では、もう一度、同じところを狙います。さっきと同じように、避けるか弾くかでお願いします」
「うん、どんと来い」
訓練だから、矢が飛んでくる場所は分かっている。あとはそれを、頭の中で、矢という未知の武器ではなく、剣という既知の武器へと置き換える。剣による突きを弾くなんて、何度もやってきたことだ。少し前にも、セリアの突きをいなしている。
息を呑み、待つ。先ほどと同じように、ジェイドの髪がふわりと揺れたかと思うと、風切り音を響かせて矢が飛来する。
(……見えたっ!)
飛来する矢を、矢ではなく剣だと思って。体を少しズラし、矢の横腹に剣を添えて、あまり力を込めずにその軌道を逸らす。セリアの突きをいなした時のように。
そして、それはものの見事に成功した。矢は私に命中することはなく、太いゴムが切れた時のような音を立てながら、明後日の方向へと飛んでいった。
「で、できぶぇっ!?」
声に出して喜ぼうとジェイドの方を見る。その時、脇腹に強い衝撃が走った。
——いつの間にか、二射目が放たれていた。矢は真っ直ぐに私の脇腹に直撃し、肉を殴打している。
そのまま、その場に崩れ落ちる。予想外の衝撃に、思わず口から涎が吹き飛んでいった。それを、やった張本人であるジェイドは悪戯な笑みを浮かべながら眺めている。
「はい、油断禁物ですよ、お嬢。近接型の弓士は手数も多いですから」
「ひ、ひどい……約束と違う……」
「約束なんて、戦場では何の役にも立ちませんからねぇ」
「ごもっともすぎるぅ……」
そう言って、再び手が差し伸べられる。その手を取ろうとして、不意に、ジェイドの顔を見た。見てしまった。
エヴァンほどではないにせよ、男にしては少し長めの緑の髪。女の子顔負けのサラサラヘアーに、長いまつ毛。顔の造形そのものはかなり美形で、目は前髪で半分ほど隠れているのに、その奥にある眼光は、どこか野生的な危なさを感じさせる。
(……んん?)
そこで、ふと、私は気づいた。原作ではあまり言及されなかったけど……もしかして、ジェイドって、ものすごくイケメンじゃないか? と。
「? どうしたんです、お嬢。もしかして、さっきの矢が変な場所に……」
「う、ううん、大丈夫! 痛い!」
「あ、はぁ……」
ジェイドの手を取って立ち上がり、三歩、後退る。
エヴァンのように、原作でも描写の多かったイケメンに関しては、元から警戒していたこともあって、かなり耐性がついたと思っていた。アランに関しては、原作での描写は少ないものの、一緒にいる時間が長かったために、その思わせぶりな行動にも慣れた。しかし、どうやら……私が本当に警戒しなければならない相手は、別にいたのかもしれない。
「……? お嬢、本当に大丈夫ですか?」
ジェイド・ミラー。エヴァンの配下で、百発百中の弓士。この男……よくよく考えると、エヴァンやアランに負けず劣らずのイケメンである。それに加え、あの二人とは違って、行く先々で女を泣かせてそうな飄々な態度。
(こ、こいつ……思わぬ伏兵だ……!!!)
困惑するジェイドを他所に、私はその伏兵の登場に、胸を高鳴らせていた。




