再会
今日も今日とて、学園は平和だ。これといった事件も起こらず、ただただ、毎日のんびりと時間が過ぎてゆく。
あくまで、事情を知らない人間から見れば、の話だが。
「……やっぱり、大人の数が増えてるね」
「そうですわね。エヴァン卿の進言のおかげかしら」
学園内に入学してから最初の五ヶ月間。その時期と比べると、目に見えて、学園内を彷徨く大人の数が多い。恐らく、貴族の私兵などから集められた警備兵だろう。
とはいえ、水面下で『襲撃事件』の影がちらついていることを知らない生徒達は、そんな変化に大した疑問も持たないだろう。目に見えている部分での変化は、その程度である。
隣を歩くセリアは、公爵家の息女という立場上、この事件のことを学園並びに当主から聞きつけたらしい。下位貴族ならばこの件を知るのは当主だけに留まるだろうが、有力貴族……公爵家ともなれば、その子息・息女にも知らされるらしい。有力貴族の子ならば、下手に騒ぎ立てる恐れもないだろう、という意味も込められているだろうけれど。
「公爵家の兵も、この中に?」
「さあ、どうでしょう……流石にそこまでは。警備の都合もあるでしょうが」
「ああ、確かに」
どこから情報が漏れるか分からないし、どこの家の兵が、どれくらい、どの日に配置されるかは、各家の代表や学園側しか把握していないだろう。
「……しかし」
「うん?」
セリアがその場に立ち止まり、物憂げな顔をする。
「この、どこか物々しい雰囲気は、あまり心地良いものではありませんね」
「……うん。仕方のないことだけど、私達としては、普通に青春を送りたいよね」
セリアは再び、私の隣に並び立つと、歩幅を合わせて歩き始めた。青春、時々、物々しい警備。あまり、学園生活には入ってきてほしくない要素だ。
そうして、私達は学園内にある食堂に到着した。貴族の舌さえも満足させるコックが集う、学生達の憩いの場だ。
「お嬢様、お待ちしておりました」
食堂には既にアランがいて、席の段取りから配膳までを済ませている。といっても、高級レストランのフルコースのようなものではなく、日本の学園モノのアニメに出てくるような、ワンプレートの品だ。テーブルも、複数人が着席することのできる長テーブルが、いくつも設置されている。所謂……日本人が描いたファンタジーアニメに出てくる食堂、というやつだ。
アランの隣には、セリアの執事が立っている。小動物のような見た目の女性だ。彼女もまた、アランと同じように、セリアの食事の支度を終えていた。
「セリア様、どうぞ」
「ありがとう、フィー」
二人して席に着くと、アランとフィーの二人は、その傍らに待機する。主人が食事をしている間、執事や侍女はその傍らで食事の終わりを待っていなければならない。アランには申し訳ないけれど、それがこの学園における貴族の食事のマナーというやつらしい。
もちろん、日本の食卓のように、あれやこれやと談笑しながら食事をするのもマナー違反だ。必要最低限の会話だけを交わし、食堂から立ち去る。
正直、この食事作法は堅苦しくてどうにも慣れないけれど……マナーだと言われれば仕方がない。日本には日本の作法があるように、この世界にはこの世界の、学園には学園の作法があるのだ。
「……右から三番目のコックの方」
「うん?」
突然、セリアがそんなことを言い出した。言われた通り、厨房にいる右から三番目のコックに視線を向ける。お昼時で他のコックが忙しなく働いている中、視線の先にいる彼は、簡単な盛り付けをするばかりで、あまり忙しそうには見えなかった。なんだか、不自然だ。素人、というほどでもないが……少なくとも、舌の肥えた貴族が通う学園の食堂にいるには、不自然な人物だった。
「あの方、見覚えがあります。どこかの貴族の兵だったかと」
「あー……道理で」
恐らく、襲撃対策の人員なのだろう。まさか厨房にまで紛れているとは。
いや、むしろ、それが当然だと言えるか。ひとえに襲撃と言っても、武力を伴う襲撃もあれば、毒などを用いた襲撃もある。厨房を見張るのは当然だ。
「シェフの監視役、かな。毒を入れたりしないか、見てるのかも」
「食事も落ち着いてできませんわね……」
「下手に事情を知っている分、余計にね」
むしろ、何も知らない状態だったなら、平穏な学園生活のまま、日々を過ごすことができたのだろうか、と、疑問に思う。
(いや、それもないか……将来のために、結局、あちこち走り回らなきゃいけないしね……)
どうして私は、こんな激動の物語の主人公に憑依してしまったのか。ほんの少し、この運命を呪いながら、私達は居心地の悪い状況で食事を続けた。
——
それから数時間後。授業が終わり、セリアと別れて寮に帰ってくる。アランは今頃、部屋の片付けでもしている頃だろうか。それとも、私の帰りを察して、紅茶でも用意してくれているだろうか。
部屋の前まで来ると、どこからか良い香りが漂ってくる。どうやら、私の部屋の中からのようだ。アランが紅茶を淹れて待機しているのだろう。
「ただいま、アラン」
「お。お帰りなさい、お嬢」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ご無沙汰しております、お嬢様」
「うん。どうぞどうぞ〜」
部屋の中にいる見覚えのある二人の横を通り抜け、鞄を机に置く。ほっと一息、紅茶の香りを鼻から脳へと届けて——私は、勢いよく振り返った。
「……んっ!?」
テーブルでは、アランの淹れた紅茶とお茶菓子を楽しむ二人の姿があった。ジェイドと……エナだ。
二人はそれぞれ、私に手を振り、腰を折って頭を下げている。事情が呑み込めず、私は思わず後退りした。
「な、なんで二人がここに……」
それも、当たり前のように寛いで。
何か知っているのか、と、アランの方に視線を向けると、彼はブンブンと勢いよく首を横に振った。どうやら、アランも知らなかったらしい。
「実は……伝令なんですよ。それから、暫くこちらに滞在して、お嬢の護衛をしろ、と」
懐から一枚の封筒を取り出したジェイドは、それを私に手渡してきた。
「護衛……?」
襲撃事件の際の護衛に関することだろう。そんな予測を立てながら、封筒を開いた。中には、簡潔に綴られたエヴァンの手紙が入っている。
要約すると、こうだ。
エヴァンは襲撃を『未然に防ぐ』ため、色々と走り回っているらしい。故に、今はまだこちらへは来られない。
ただ、私達を護るためには戦力が必要だと判断して、ヴェイロンの中でも随一の腕を持つジェイドとエナを派遣した、と。
「なるほど……そういうわけね」
ジェイドの腕はよく知っている。直接戦ったことはないけれど、百発百中の弓の名手と称されるその腕前は、原作でもかなり高く評価されていた。
普段は侍女であるエナの腕前も、かなりのものだ。この五年間、剣術を磨くためにヴェイロン配下の色々な人と戦ったけど……その中で、明らかに相手が手加減していることが分かってしまったのは、エヴァンとエナの二人だけだった。
「我々二人がいれば問題ない、というお考えなのでしょう」
「学園は広いですが、お嬢達二人を守るだけなら、この人員で十分です」
自信満々にそう言う二人。その自信が過剰なものではないことは分かっている。
「頼りになるよ、二人とも。正直、突然あんなことを言われて驚いてたからさ」
「でしょうね。屋敷でも、今はこの話題で持ちきりですよ」
「何せ、お嬢様が実際に通っておられますからね。今すぐ帰宅させるべきだ、という意見もありました」
「なるほどね……」
ヴェイロンの皆からの好感度稼ぎも並行して行なっていたからか、随分と好かれているらしい。確かに、襲撃事件が起こるかもしれない、とされている学園に通い続けるのは危険だ。事態が落ち着くまで、実家に避難しても構わない、が……。
私には、ここに残らなければならない理由もある。この世界が既に原作と違うルートを辿っている以上、この襲撃事件が未来にどんな影響を及ぼすのか、それを見極める必要がある。
「ま……何はともあれ、しばらくの間よろしくね、二人とも」
そうして、五ヶ月ぶりではあるものの、二人との再会を果たした私は、その夜、久方ぶりの大人数での夕食を楽しんだのであった。




