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化け物伯爵と幸せなお嬢様  作者: クレイジーパンダ
第一章『幸せ?なお嬢様』
14/21

side:アランの覚悟

——時は少し遡り、四日前。



「……ふぅ」


 大きく深呼吸をし、胸の高鳴りを抑える。何度もイメージトレーニングをしたのだから、きっと大丈夫。僕は、邸宅の中で最も警備が手薄なその扉の前に立ち、自分に言い聞かせていた。



——コンコン



 思い切って扉を叩く。中にいるはずの人物からは、返事がない。



——コンコン



 もう一度、扉を叩く。やはり、返事はない。


「……よし」


 自らの頬を思い切り叩き、もう一度、扉を叩いた。


「……旦那様、アランです。少し、お時間宜しいでしょうか」

『……入れ』


 意を決して放った言葉には、少し遅れて、返事が返ってきた。もう後戻りはできないと覚悟を決め、僕は、エヴァン様の執務室の扉を開いた。



 執務室の中は、少し、薄暗かった。その奥で、大量の書類を睨みつけるエヴァン様。入室してきた僕のことなど、これっぽっちも意にも介していない。まるで、僕などという人間はこの場に存在していないかのような……そんな空気感だった。


「旦那様……突然の訪問をお許しください。私は……」

「前置きはいい。リリエルのことだろう」


 書類から目を離さずに、エヴァン様はそう言った。


「……はい。お見通しでしたか」


 不思議と、驚きはなかった。エヴァン様なら、それくらいのことはできて当然だろうという、予感のようなものがあったからだ。


「……言ったはずだ。『却下する』と。それ以上でも、それ以下でもない」


 エヴァン様はこちらを一瞥すると、すぐにまた、書類へと視線を戻した。僕の言いたいことが分かっていて、その上で、検討する必要すらないと、即座に切り捨てる。


「しかし、農場から帰ってきてからずっと、お嬢様は天狼祭を楽しみに……」

「知っている」

「なら……!」


 抗議しようと、一歩、前に出る。そのタイミングで、エヴァン様は手に持っていた書類を、机に叩きつけた。静かな執務室に響き渡る突然の轟音に、僕は思わず肩を震わせ、踏み出していた足を、元の位置まで戻した。



「……それがどうした」

「……え?」

「それがどうしたと、聞いている」



 その言葉の意味が、僕にはよく分からなかった。


 リリィは屋敷に戻ってきてからずっと、祭りを楽しみにしていた。そんなリリィが、エヴァン様の一言ですっかり気を落としてしまい、祭りのことを一切口に出さなくなった。

 僕はそれを知っている。だからこそ、エヴァン様の言葉の意図が読めなかった。


「いえ、それはっ……」

「お前は、事態をよく分かっていないようだ」


 そう言ってエヴァン様は立ち上がると、ゆったりとした……けれど、どこか威圧感のある足取りで、僕の元までやってきた。

 髪と同じ銀色の瞳が、僕を見下ろしている。まるで巨大な獣に睨みつけられたかのように、僕の体は、ぴくりとも動かなくなった。


「……ラスールの農場で栽培されていたのは、中毒性が高く、高値で取引されるソルモスという違法薬物だ。ラスールの取引相手である商人は、これを売り捌くことで多額の金品を得ていた」


 変わらず、僕を見下ろしたまま……エヴァン様は、言葉を続ける。


「そのソルモスの入手経路が、とある貴族によって潰された。……仮に、私がその商人の立場であったなら、少なからず、件の貴族を恨むだろう」

「っ……」


——確かに、リリィに外出禁止を言い渡したあの日も、エヴァン様はその可能性について触れていた。そして、それは僕も理解しているつもりだった。


 エヴァン・ヴェイロン辺境伯。その類稀なる剣の腕と、相対するものを恐れさせる風貌から、『化け物伯爵』として畏れられている。

 そんなエヴァン様を相手に、報復を試みる者は、この帝国内にはいないだろう。現に、その存在に気がついておらず、強気な態度を取っていた農場のマダムメイガンも、目の前にいるのが化け物伯爵であると気が付いた瞬間に、恐れからか気絶してしまった。


 では、リリィはどうだろう。確かに彼女は、化け物伯爵として畏れられるエヴァン様の一人娘ではあるものの、彼女自身には特別な力はない。人知れず近づき、リリィに報復する……それは、決して不可能なことではない。無論、警備が厳重になった今、簡単なことではないだろうが。


 ラスールの取引相手である商人は、まだその一部が捕まっていない。食い扶持であったソルモスの入手経路、農場を潰されたことで、彼らの中には、ヴェイロンに恨みを抱いている者がいるかもしれない。


 握った拳に、力が入る。反論ができないと、頭の中で冷静になってしまったからだ。エヴァン様の言葉には反論の余地がない。何故なら、その言葉は全て、正しいからだ。リスクを考えれば、リリィは今年の天狼祭には参加しない方がいい……それは、至極当然の意見だった。


「祭りに出て、リリエルが何者かに襲撃される。そうなってからお前は、『やはり止めておけば』と後悔するだろう。違うか」

「し、しかし、まだ襲撃されると決まったわけでは……」

「襲撃されないと決まったわけでもない。幼子一人襲うことなど容易い。懐に、短剣の一本でも仕込んでおけばよい。腕の良いものなら、検問をすり抜けることも可能だろう。天狼祭が開催されている間、街の警備はさらに強固なものになる、が……それも確実ではない。現に、街の外のことではあるが、警備をつけていたはずのリリエルは拐われている」

「……それは……」


 そうだ。前例(・・)があるのだ。リリィは一度、誘拐されている。当然、ラスール農場に連れてこられる原因となった事件だ。

 複数人の警備をつけ、街の外へ出掛けていたリリィ。しかし、その警備が全て殺され、リリィは行方知れずとなった……治療を受けている時、ジェイド様がそう言っていた。



「お前が、このようなリスクがあると知っても尚、発言を続けるのであればそれで構わん。だが、最悪の結果(・・・・・)を想定していないお前の話に、私が耳を傾ける義理はない」



 突き放すように、そう告げる。俯いて返事も返さない——いや、言い返せない僕を見て、エヴァン様は再び、席に着いた。



(……何も、言い返せない……)



 なんとかして、リリィを天狼祭へ連れていくことはできないかと、そう思っていた。リリィの事情を鑑みれば、エヴァン様も分かってくれるだろうと、どこか甘く考えていた。


 だが、結果は……リリィの事情を鑑みて、エヴァン様の言う通りにするのが正しいのだと、分からされた。


(……エヴァン様の言う通りだ。商人はまだ、全員が捕まったわけじゃない。報復の可能性を考えれば、リリィには悪いけど、今年の参加は自重するべきだ……そうだ、祭りは毎年開催される。今年が駄目なら、また来年でも……)


 そこまで考えて、ふと、思い出す。二ヶ月前、ジェイド様から、今年の天狼祭が開催されるようだと聞いたあと、リリィが話していたことを。






『え、エナ様達と?』


 驚きの声をあげると、リリィは小さく頷いた。


『うん。実は、パパとはお祭りに行ったことがなくて。というか、あんまり一緒にお出掛けしたこともないかも。いつも、忙しいみたいだから』


 これまでずっと、祭りにはエナ様や邸宅の人間と参加していた。そう話すリリィの顔は、どこか悲しげだった。儚げに、ここではないどこかを見つめるような目で、部屋の隅を見つめる。


『いつか、パパともお祭りに行けたらなぁ、って……そんな風にも、思うんだけどね』








「……やはり、旦那様はお嬢様を……心から、愛していらっしゃるのですね」


 執務室へと戻ったエヴァン様に、僕はそう言い放つ。エヴァン様は耳だけを傾け、僕には視線もくれないようだった。


——ここから先の言葉は、下手をすれば、僕のクビが飛ぶかもしれないものだ。職務的にもそうだし、物理的にもそう。エヴァン様が常に腰に携えている凝った意匠の剣で、クビが飛ぶかもしれない。


 だけど、言わずにはいられない。言わなくてはならない。僕はリリィに助けられて、この命を繋ぎ止められたのだ。ならば、リリィを悲しませる人がいたなら……それがたとえ、彼女のことを心から愛している父親だったとしても、立ち向かわなくてはならない。



「ですが……お嬢様の気持ちを、何一つ理解していらっしゃらない……!」

「……何?」



 エヴァン様はここにきて初めて、表情を変える。それも、明らかに……不機嫌な方へと。


『お前に何が分かる』


 そんな感情が、ひしひしと伝わってくる瞳だ。確かに僕は、エヴァン様の事情も何も知らないが……でも、これだけは分かる。リリィが今、悲しんでいるということは。


 ここから先は、とにかく、捲し立てるしかない。理屈上ではエヴァン様に利がある。ならば、やはりここは、『感情論』で詰め寄るしかない。感情論を打ち破るのはいつだって理屈だが、その理屈を破るのもまた、感情論なのだ。


 僕は意を決して踏み出し、執務机へと近づく。エヴァン様は接近する僕を止めることもなく、ただ、視線だけで僕のことを追っていた。


「旦那様……この邸宅で、最も警備が手薄な場所をご存知ですか? それは当然、この部屋……旦那様の執務室です。それは何故か……旦那様は国でも一、二を争うほどの剣の腕をお持ちだからです。はっきり言って、自分より弱い警備など、必要ないでしょう」


 机を挟んでエヴァン様の向かいに立ち、その瞳を真っ直ぐと見つめる。相手を畏怖させる恐ろしい瞳。だが……怯んではいられない。今、僕は、頭がおかしいのだ。狂っているのだ。命を救ってくれ、望む職場まで与えてくれた恩人に、歯向かおうとしているのだ。狂わずにはいられない。だったら……どうせ狂っているなら、理性がない間に言い負かすしかない。


「……お嬢様は、あの時、農場で仰っていました。ここから助かるツテがあるとするなら、それはエヴァン様だ、と。それはつまり……お嬢様は、旦那様の力を信じておられたのではないでしょうか」

「リリエルが、か」


 自嘲気味に、鼻で笑うエヴァン様。何故今、自嘲する必要性があったのか。



……付け入るなら、そこだ。



「……聞くところによれば、お嬢様は物心がつく前に、お母様を亡くされたそうですね。今現在、肉親は父親であるエヴァン様だけ……」


 エヴァン様の執務机の上には、小さな額が置いてある。何が飾られているのかは分からないが、エヴァン様のことだ。恐らく、亡くなった奥様かリリィのどちらかだろう。


 ここから先は、少し、僕なりの推察が混じる。


 エヴァン様はリリィに対して、常に冷たい態度で接しているらしい。それは第三者から見ても、とても父親が娘にとる態度ではないようだ。

 だけど、ここまでエヴァン様と話してきて、エヴァン様の中にはリリィに対する愛が確かにあるものだと確信した。つまり、エヴァン様がリリィに対して冷たい態度を取る原因には……リリィが生まれてすぐに亡くなられた、奥様が関係しているのではないだろうか。

 何かしらの原因で、奥様は命を落とされた。そのことがきっかけになり、エヴァン様はリリィを愛しながらも、彼女を外敵から守るために、敢えて冷たい態度を取るようになった。


『自分は嫌われてもいい、娘を守ることができれば』


……そんな感情が、エヴァン様の中に、あるのかもしれない。というか、あってくれないと困る。



 だとすれば、だ。このような推察を立てれば、エヴァン様がついさっき、自嘲気味に笑った理由には説明がつく。


『嫌われているはずの自分が、娘から頼りにされることなどあるはずがない』


 と、こういう理由で。



 もし、この仮定が正しければ……いや、正しくないと僕のクビが飛ぶことになるが……やはり、付け入る隙は、その部分以外にない。


「……お嬢様は、実の父親と祭りを回ってみたいと、そう考えておられるようですよ」

「……何?」


 エヴァン様が、分かり易く動揺する。これまで見たことのない、驚いたような表情だ。


「先日、お嬢様に伺ったことです。祭りには毎年参加しているものの、エヴァン様と祭りを回られたことはないと。いつか、エヴァン様と一緒に、祭りに行ってみたいと……そうも仰っていました」


 エヴァン様は、常に冷たく接している自分は、娘から愛されているはずがないと、そう考えている。

 対するリリィは、それが自分のためであると理解して、エヴァン様のことを愛している。


 これは、単なるすれ違いなのだ。お互いに言葉足らずなのかもしれない。いや、リリィの方は、エヴァン様のことを父親として慕っているような様子を、露骨に出してはいるものの……エヴァン様自身が、それに気がついておられないのだろう。


 ならば。エヴァン様自身にそれを自覚させれば、まだ、可能性はあるかもしれない。具体的には……そう。『この街で一番強い剣士を護衛につけ、リリィを祭りに参加させる』という可能性が。




 僕の言葉に、エヴァン様はしばらく考え込んでいるようだった。あまり刺激するのも下手に出るかと、僕はずっと、黙ってそれを見つめていた。

 やがて、エヴァン様は——おもむろに立ち上がった。机を挟んで向かいにいる僕の方へとやってきて、剣を、引き抜く。


「っ……!!」



 クビが、飛んだか。失敗してしまったのか、僕は。そう思った。


 いや、まだだ。試されているだけかもしれない。僕が、口から出まかせを言っているだけだと、その可能性をエヴァン様は考慮しているのだ。

 エヴァン様に剣を向けられても、僕はその場から動かなかった。全身の震えを気合いだけで抑え、じっと、その目を見つめる。






 どれくらい時間が経っただろう。数回瞬きをする間かもしれないし、もうすっかり日が落ちてしまったかもしれない。剣を向けられた緊張から喉はカラカラに乾いて、汗はむしろ、流れなかった。




「……そうか」



 突然、エヴァン様が一人、何かに納得したのか剣を鞘に納めると、ゆっくりと、机に腰掛けた。こんな行儀の悪いことをするエヴァン様を見るのは、これが初めてだった。


「……私は、リリエルに嫌われているのだと、そう思っていた」

「……そうですか? 農場で再会した時も、躊躇わずに抱きついていたような……」


 僕の記憶が正しければ、リリィは真っ先に、エヴァン様の足に抱きついていたように思う。本当に嫌っているなら、あんな行動は絶対にしないだろう。


「……私と一緒に、祭りを回りたい、か。そのようなことを、リリエルが口にするとは」

「本心だと、思いますよ。だって……たった一人の、家族じゃないですか」


 家族と一緒に、どこかへ行きたい。家族と一緒に、食事を食べたい。家族と一緒に、思い出を作りたい。そう思うのは、誰だって、当たり前のことだと思う。僕には……分からないけれど。


「お前は……孤児だったか」

「はい。両親がどこの誰なのかも知りません」


 微妙な表情の変化にも聡く気づいたのか、エヴァンがそう問うてくる。僕の答えに、エヴァン様はどこか、儚げな表情をした。



(……あっ)




 不意に、その顔が、先日見たリリィのあの表情に似ていると、そう思った。性格は恐ろしく違っているけれど……やっぱり、この二人は、親子なんだ。


 少しして、エヴァン様は立ち上がった。椅子の方へと回り込んで、机の上に飾ってあった額を手に取り、感慨深そうに眺める。奥様かリリィ、どちらかの肖像画かと思っていたけど……この様子だと、奥様の肖像画なのだろう。



「……当日は、お前も一緒に来るといい。リリエルも、その方が喜ぶだろう」

「……よろしいので?」


 僕の質問に、エヴァン様は。







「私の気が変わらないうちに、はいと、返事をしておけ」






 自嘲の意を込めるでもなく、ただただ、小さく笑ってみせた。エヴァン様のそんな表情を見るのは……初めてだった。



「……かしこまりました、旦那様」



 腰を折り、頭を下げる。そうして、一言二言、言葉を交えたあと……僕は執務室から立ち去った。




(……クビ、飛ばなくてよかった……)



 どくんどくんと、これまでにないくらい高鳴る心臓を抑え付けながら、僕は自室へと戻った。

——なお、原作の展開を知っているリリエルは、当然、将来的にエヴァンと共に祭りを回ることになることは知っている。アランが思っているような儚げな目をしている自覚はリリエル本人にはなく、あくまで、『原作より早い段階でエヴァンと仲良くなれたらなぁ』という、そんな軽い気持ちの発言であった。

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