花火
——空の色が、赤く染まっていく。街の賑わいは衰えることはなく、むしろ、これから始まる大イベントに、街の人間は気分を高めているようだった。
そんな中、街の中心地にある公園の一角に、私達はいた。近くで売っていたシートを地面の上に敷き、そこに座って、花火が上がるのを待つ。西洋風世界での花火鑑賞が、まさかの日本の河川敷花火大会スタイルである。
少し早い時間に来て、丁度良い場所を陣取ると、アランは『つまむものを買ってきます』と、私達二人を残して旅立っていった。一週間前のこともあって、気まずい空気になるかと思いきや——、
「……私には理解できんな」
「え〜? わたしがあんなに力説したのに?」
——思いの外、普通に会話できているな、というのが真っ先に思いついた感想だった。
祭りの開会の挨拶を終えてから、夕方頃まで。アランを含めた三人で祭りを回ったおかげか、一週間前のあの険悪なムードは、どこへ置き去りにされたのかというほど、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。私はもちろん、エヴァンもいつもよりやや口数が多く、素直な受け答えができているように思う。
何か、気持ちの変化でも起きたのだろうか? 原作にそんな描写はなかったはずだけど……現時点でも既に未来を変えまくっているのだから、どんな変化が起きたっておかしくはない。それが今回は、たまたま良い方向に向かったということだろう。
「屋敷からなら快適に見られるだろう。わざわざ待つ必要もない」
ぶつくさと文句を垂れるエヴァン。どうやら、ヴェイロンの邸宅からでも見られる花火を、わざわざ公園で見ることに疑問を抱いているようだ。
分かってないなぁ、と心の中でぼやく。確かに、屋敷からでも花火は見られるし、このように人混みに混ざって座って待つ必要もない。快適に花火を見られるだろう。
でも、花火っていうのはそうじゃないだろう。外に出て、ほんのりと焼けた空の下、大勢の人だかりの中でじっと待つ。特徴的な、笛のような音が鳴って、空に光り輝く花びらが打ち上がるのを、周りの人達の歓声も込み込みで心に焼き付ける。それが、打ち上げ花火っていうものだろう。
「だからぁ、風情っていうものがあるの。風情。分かる?」
「理解できんな……」
「もぉ〜……」
やれやれと首を振るエヴァン。この頑固頭には何を言っても通じないらしい。これだから、大衆文化に慣れていない貴族様は。もう少し外の世界に目を向けた方がいいだろう。
ちらりと、横目でエヴァンの顔を見る。相変わらず、いつものように無表情である。あるけれど……何故だか、いつもと違うように感じる。
(あ、なるほど……)
少しの間、エヴァンにバレないよう顔を見つめて、気づいた。いつもは無表情だけれど、どこか不機嫌そうだった。ムスっとした表情だと言えば分かりやすいだろう。でも、今は——ただの、無表情。穏やかな無表情だ。だから、いつもよりも、どこか優しい雰囲気に映るのだろう。
……無表情には、変わりはないわけだけど。
「……ねえ、パパ」
「なんだ」
「どうして、お祭りに連れてきてくれたの?」
私がそう問いかけると、エヴァンは、少し目を細めた。
「わたし、パパの言ってたこと、よく分かるよ。今はまだ、危ないってことも」
一週間前。エヴァンに、祭りが開催している二日間の外出禁止を言い渡された時。私は確かに悲しくて涙を流したけれど……エヴァンの言っていることに、異議があるわけではなかった。
いまだ捕えられていないラスールの取引相手。彼らが、農場を潰された腹いせに、私を狙う可能性はある。街に帰され、エヴァンの庇護下にあるとはいえ、可能性は決してゼロではない。だからこそ、私は今日、エヴァンの言いつけを守って部屋に閉じこもっているつもりだった。
だけど、現実は違った。エヴァンは突然、私を連れて街に出た。私が祭りを楽しめるよう、人とすれ違う時は、私を守るように歩いてくれた。
きっと、護衛だったんだろう。警備がいたとしても、この人だかりに私を放り出すのは危険だ。でも、帝国の中で最も強いとも噂されているエヴァンが傍にいれば、安全に祭りを楽しませることができる。
エヴァンの強さは、本当にとんでもない。この世界には魔法なんていう便利なものは存在しない。なのに、一〇代の頃には剣術で巨大なクマを倒したとか、剣術学校では誰かに負けて膝をついたことがないだとか。色々な逸話が残されているのだ。故に、国境沿いで危険なこの地を任される、辺境伯となった。
だから……エヴァンはエヴァンで、多忙な身のはずなのだ。いつ執務室に行っても書類と睨めっこをしているのは、その膨大な仕事量故だ。本来なら、こうして一日、付きっきりで護衛をしている余裕などないはずなのに。
「ずっと、わたしを守るように歩いてくれてたよね。多分、わたしが危ないかもしれないって思って、そうしてくれてるんだって。パパ、忙しいはずなのに……どうして、今日はそんなに……優しいの?」
エヴァンは神妙な面持ちで、私の方を見た。どこか少し、驚いているようにも見える。
「……お前が、祭りに行きたがっていると聞いた」
——やがて、エヴァンはそう口にした。
「え?」
「アランにだ。あの男……歳の割に、中々口が回る」
してやられた、という感じだろうか。どんなことを言われたのかは想像もつかないが、エヴァンはほんの少しだけ悔しそうにしている。
「やっぱり、アランが……」
朝、部屋を出る時にウインクしていたのを見て、なんとなくそうではないかと、予想はついていた。確証は持てなかったけれど。
でも、これで確信した。原作よりも遥かに早いペースで、エヴァンの態度が軟化している要因は……アランだ。原作では最序盤、農場で死ぬはずだったアランが生きていて、尚且つ、そのアランを屋敷に留めることに成功したから、エヴァンとの関係性が加速的に進んでいる。ある意味、彼がこの物語の鍵を握っていると言っても過言ではない。
「来たくなかったのか」
「ううん、まさか! だって、毎年楽しみにしてるんだもん。今年はとびきり大きなものになるかも、ってジェイドが言ってたから、今年も行きたいって思ってたよ」
実際のところ、例年の祭りに比べて規模がどうだったのかは、この八年分の記憶がない私には分からないが、ジェイドが言うくらいなのだから、大きかったのだろう。
ただ、私としては、祭りに来られたという事実よりも、『エヴァンと祭りに来られた』という事実の方が嬉しい。いくらエヴァンがリリエルのことを愛していたとしても、これから先何年も、あの冷たい態度のままでは……私の心が折れる。こうして一緒に来られたことで、エヴァンとの間にある溝を、少しでも埋められたなら、それは何よりも喜ばしいことだ。
「でも、それより何より……わたしは、パパと一緒にお祭りに来られたのが、一番嬉しい」
そう、心からの想いを告げる。エヴァンは困ったように目を見開くと、すぐに顔を背けてしまった。
はっきり言って、エヴァンはツンデレである。本来なら中盤から終盤にかけて、ゆっくりとそのツンをほぐし、デレにしていくのだが……これはもう、落ちるのも時間の問題だろう。
「……リリエル」
「どうしたの、パパ」
名前だけを呼ばれ、返事をすると、エヴァンは少しの間、黙りこくってしまった。
「……いや、なんでもない」
なんでもないことは、ないだろう。恐らく、言いたいこと、伝えたいこと、そんなものが沢山あったのだと思う。
でも今はまだ、無理なのだろう。まだ溝は埋まり始めたばかり。エヴァンが素直に自分の気持ちを打ち明けてくれるようになるまでは、かなり時間がかかる。ここで、無理に聞き出すほど、私も野暮な人間ではない。
……と、妙な沈黙が続いた頃、それを見計らったかのように、アランが帰ってきた。
「お待たせしました、お嬢様、旦那様」
「あ、アラン、おかえり」
その手には、すっかり大人気店となり、行列に並ばないと買えなくなってしまった、あの陽気な店主達のお店の串焼き。果物のジュースも買ってきてくれたようで、アランが差し出してくれたそれを、私達はそれぞれ受け取った。
買い出しが終わると、アランはその場に立ち、姿勢を正す。何をしているのかと思ったら……多分、今は執事モードなのだろう。エヴァンの前だし。
「何をしている。お前も座れ」
私が言うよりも前に、エヴァンがそう告げる。アランは一瞬、ピンと姿勢を正して、頷いた。
「あっ、はいっ、かしこまりました」
私の隣に座るアラン。またもや、エヴァンとアランに挟まれる形となった時、独特な楽器の音色が鳴り響いた。
——祭りの最後。花火の打ち上げを知らせる音色だ。
「……始まる」
笛のような音と共に空に昇る龍。やがて龍は爆ぜ、黒い空に大きな花びらを咲かせる。
色とりどりの綺麗な花火が、瞬く間に夜空を埋め尽くしていった。何故、この世界観でこんなに綺麗な花火が仕上がるのかは謎だが……まあ、そういうツッコミを入れるのは無粋というものだろう。
途端に、周囲の人々から歓声が巻き起こる。花火の音にも負けないくらい、大きくて賑やかな声。思わず、圧倒されてしまいそうになるようなその歓声に、エヴァンもアランも、少し、驚いている様子だった。
「どう、パパ」
「……なんだ」
「風情ってものが、少し分かった?」
私の問いに、エヴァンは……笑ったような気がした。花火の光のせいだろうか。エヴァンの頬が綻んで、小さな笑い声を、聞いた気がするのだ。
「……そうだな。悪くない」
そうして、夜は更けていく。天狼祭初日、屋台が全て閉まってからも街のお祭りムードは止まず、一日中、そこかしこで賑やかな声が聞こえていた。




