61話:葛藤
結局幻覚が言っていることは分からなかった。ただ……そう、間違いなく”殺人鬼”という言葉が気持ち悪かった。というかその言葉に嫌悪感があった。今までに感じたことの無いような気持ち悪さ。だから今俺は――
「おえっ!……うっ」
吐いていた。中身は出なかった。夜中何も食べてないのが原因か。こんなことで昨日言ったことを撤回する羽目になるとは思わなかった。
ところで、昨日、調べて分かったことがある。この国の成り立ちについてだ。ヴァリダ派とルディアル派。この二つの派閥の因縁が、少なからず現在の政治に影響を与えているようだ。カエクスの家系はヴァリダ派。ヴァリダ派は負けたらしいが、そこから与党まで登りあがったのは涙ぐましい努力の賜物だろう。
「もう宿も出ようか。あと一日しかない。どこでカエクスが遊説を行うのか、調べておく必要がある」
まあ素直に玄関から出れればいいのだが。窓をのぞいたら分かるんだが、憲兵が屯してる。
「……窓から出るか」
いや待てよ。窓から憲兵が見えるんだから、窓から出たら面倒くさいことになりそうだな。ていうか憲兵が待ってるなら、宿に誰か俺のこと密告した奴がいるだろ。あれ、もしかして面倒くさい選択肢しかない?
「ふ~む。どうしたものか」
夜まで待つのも手だが、それだと詳しい調査はできないな。まあ殺すだけなんだからそんなことは必要ではないんだが。
「シャルロットは今どこにいるんだ?カエクスを殺しても得られる時間的猶予は精々1,2日。それまでにシャルロット、もしくは野党の誰かが来なければ、殺したところで意味が――」
『お前は殺すことに意味があるとでも思ってるのか?』
「……」
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嫌な記憶が蘇ってきた。詳しくは分からないが、とにかく嫌な記憶。それは業火に包まれた屋敷の中。立つは威厳のある誰か。そして俺。
『常に逃げているのだな、お前は』
『……』
『へネロ様!』
一人が割り込んできた。恰好的に兵士だろう。
『どけ。さっさと逃げろ。あいつには誰も勝てない』
『しかしへネロ様が居なければ、ヴァリダ派は――』
『さっさと行け!』
『!……はい』
兵士は去っていった。俺を恨むような、呪うような視線を最後に残して。
『……へネロ。そう言うのか』
『なんだ。名前も知らずに来たのか』
『ああ。俺は姉のことしか考えていない』
『随分と姉が好きなのだな。可哀そうだ。こんな弟を持って――』
『喋るなよ。俺の姉を侮辱するのは万死に値する』
そう脅した。だが、へネロにとっては効果をなさなかった。それどころか揚げ足を取られた。
『……はっ。俺はお前の姉を責めていない。ついに自分と姉の区別すらつかなくなったのか』
『おい!』
俺は剣をへネロの首に当てる。血が剣に沿って流れていく。
『どうせ殺されるのだ。言うか言わないかで結末など変わらない』
反論する術が見つからない。その代わりに剣をより強く首に当てる。
『……確かに、お前の姉が殺されたのは俺たちヴァリダ派のせいかもな』
その上から目線が非常にむかついた。どちらも立っているのに、主導権はこちらにあるのに。なぜお前は、そんな目で、可哀そうな目で、弱者を憐れむような目で俺を見れるんだ!
『……ゴホッ。おい、刺すのは……首じゃなかったのかよ』
吐血。俺は肺を刺した。より苦しむように。
『……いいさ。最後によく……聞け』
汚い呼吸音でへネロは喋る。
『お前は殺し過ぎた。一体ここに来るまで幾何の人間が死んだだろう』
汚い咳の音と共に血が地面に落ちる。
『お前は姉の為に、誰かのために殺しているんじゃない。ただ――』
そんな目で見るな。そんな憐れむような目で見るな。死ぬんだぞ?何故泣かない?何故怒らない?何故諦観したような目つきでこちらを見る?
『自分が納得するために、自分の為に殺している。そこには誰もいない。ただ、お前だけがそこにいる』
やめろ。やめろ。やめろ。やめろ――
『やめろ!』
その願いは届かなかった。
『なんと、可哀そうな人間だろうか』
さらにへネロはこう言った。
『目を閉じたのではなく、潰したのだな。見ることをやめるばかりか、二度と見ることが無いように。人への、世界への期待を捨て、託けるために、生きるために、絶望へと、理不尽へと自分の体を投げ捨てたのだな』
――もう気づいた時には遅かった。俺はへネロを殺していた。跡形もないように、できるだけ残酷に。だが何故だろう。俺は姉を殺した犯人を、確かに殺したはずなのに、何故、こんなにも気持ち悪いんだ?
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「……やめてくれ」
その言葉は記憶の濁流に押し流される。
「やめてくれ」
しかし濁流は止まらない。今でも姉を殺された記憶が瞭然と、しかし残酷に思い出せる。なぜ姉なんだ?なんで俺じゃなかった?俺が殺されるべきだった。なんで姉が他人に、全く関係のない人に殺されなければなかった?
「頼む」
あの時俺が姉と一緒に行けばよかった。もしくは誰か護衛をつければよかった。いや、皇帝の子供だぞ?誰が殺されるなんて思えた?なんであの時『行ってきます!』に、行ってらっしゃい、って答えてやれなかった?
「やめろ」
それが日常だったから?それとも煩わしかったから?邪魔だったから?うるさかったから?
「違う」
あの時、姉が殺されて俺がすぐに全力で向かった時に、俺に見せたあの生暖かい笑顔に、いったい何が込められていた?
「違う」
俺は何を見ていた?何を感じた?何を得た?
「……お姉ちゃん、なんて、もういないのに」
何に俺は未練がましく縋っているんだ?俺はもう姉と呼ぶことにしたんだ。もう他人なんだから。
「離さなきゃいけなかったんだ」
俺が進むには。
「受け入れなくちゃいけなかったんだ」
理不尽を。
「成長しなきゃいけなかった」
生きるために。
「抱きしめたんだ」
抱きしめたんだ。なのに、なのになんで俺は――
「泣いているんだ?」
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そこは豪華な客室。二人の大人と一人の子供に、一人の使用人。そんな空間にノックが響き渡る。
「後でいいか?」
ノックした主にそう返事する。
「まあまあ、いいではありませんか。丁度話すこともなくなったことですし」
「……そう言うのであれば、分かりました」
その大人は使用人に合図をし、ノックした主を入らせる。
「何用か?」
「フォルティス様からの手紙です」
それを渡すと、すぐに部屋から去っていった。
「フォルティス?ギルドマスターからか?」
「珍しいですね。何かあったのでしょうか」
「失礼ですが、開いても?」
「ええ。どうぞ、メシエ様」
「……ベラ様。殿下は女王なのですから、敬語はおやめください」
「いいではありませんか。きちんと外交では弁えますから。それに娘のグラティアも、家では敬語で話すように言ってますからね」
「……はあ」
メシエはため息をついて、その手紙を開く。そこには二つの紙が入っていた。一つはフォルティス本人から。そしてもう一つは――
「!」
それをベラ――クアラルの女王は見逃さなかった。
「どうかなさいましたか?」
「……どうやら、面白いことになったようですね。どうぞ、読んでください」
「いいのですか?」
「ええ。是非」
ベラは手紙を見る。じっくりと呼んだあと、少しの笑みを浮かべて、娘のグラティアにもそれを渡した。
「メシエ様」
ベラはメシエの反応をうかがっているようだった。メシエが肩をすくめて答える。
「行くしかないでしょう。こういうのは手紙で出すより、行って話をした方が良いです。……しかし、同意なさるおつもりで?」
「別に嘘が書いてあるわけではありませんからね。……メシエ様。ダースに行って、いろいろと決定してくれませんか?動乱もあとは持久戦です。メシエ様が抜けてもまだ余裕はあります」
「ええ。今回は喜んでいきましょう。殿下も忙しいでしょうし。契約も、クアラルに利益が出るように、かつ、ダースとの関係の復活のために」
「ありがとうございます。それと……」
ベラはグラティアの方を見る。グラティアは手紙を何回も見返していた。
「グラティアも連れて行ってください。きっと役に立ちますし、そろそろ他国に顔を見せなければいけないと思ってましたから」
「分かりました。それとカーラも連れて行ってもいいでしょうか?」
「アネモス家の?」
「ええ。アフトに会いたいでしょうし。オレアはまだ前線ですからね」
「ええ。お任せします。……しかし、アフト殿は面白いですね」
「ええ。私も、まさかダースで政治絡みのことをやってるとは」
「いずれ、お会いできるでしょうか?」
「何とかして見せますよ」
「ご厚意、感謝します」
本来、こういうのは面倒くさいことなのだが、三人とも笑顔を見せて会話していた。しかしクアラルが介入すること、それはさらにダースを混乱に陥れることになることを、誰も知らない。
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