3話:アネモス家
「う~ん……はっ!もう朝か……」
正直に言えば起きたくないというのが本音だ。朝なんてみんなそんなものだと思う。朝に強い人間とかいないだろうに。とまあ、そんなことを思ったところでなのだが。そんなことを思っていると、ドアが三回ノックされる音が聞こえた。ジークさんだろうか。
「はーい」
ドアを開けると、やっぱりジークさんだった。なんというタイミング。噂をすれば、とはこのことか。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「ええ、おかげさまで」
「それはよかった。ああ、そうそう。アフトのお礼、伝わったみたいだよ」
「え!?もう伝えてくれたんですか?」
「うん。まあ、そういう仕事だったしね。さ、ついてきて」
「?どこへですか?」
「ふふ、行ったら分かるさ」
「わ、分かりました」
「ヴァイツ様。アフトをお連れしました」
「分かった。入れ」
ドアを開けた先にいたのは、四十代半ば──いや五十歳近いだろうか。立派な髭を蓄え、鋭い目がアフト真っすぐに俺を射抜く。顔には戦いの跡のような傷があり、座っていても巨躯と力強さが伝わってくる。まさに「歴戦」という言葉が似合う男だった。
「ヴァイツ様、睨みすぎです。アフトが怯えておりますよ」
「む。そうか。すまなかったな。」
「い、いえ。少し驚いただけです」
……そんな会話の後、少し沈黙があった。正直俺にこんないかつい人に話しかける勇気なんてあるわけないので、ジークさんの反応を待つが、目と目を合わせてもまるで何事も無いようにたたずんでいる。……俺にどうしろというのだ。
「アフト、調子はどうだ? まだ日は浅いが、困ったことはないか?」
「そ、そんな!困ったことなんてありません!むしろ感謝するばかりです。お手伝いさせてほしいぐらいです!」
ありのままの感想を言ってみる。別に見栄を張るわけでもないので自信満々に言ってみた。すると、ヴァイツ様にとっては意外だったのか、目を丸くしていた。
「そうか。ならばよかった。……そうだな、体調が戻り次第、カーラと共に働いてもらおう。ここは国指定の開拓地だから、やることはいくらでもある」
「はい!任せてください!」
「元気がいいな。……よし、もう朝食の時間だな。ちょうど話したいこともある。カーラも呼ぼう。彼女は私の一人娘だ。アフトが倒れていた時に助けたのも彼女だ」
「そうだったんですか。分かりました」
「ジーク、客室で食事を取る。三人分の用意を。内容は任せる」
「承知いたしました」
ジークさんは相変わらず姿勢がいいな。執事の役もよく似合ってる。
「さあ、アフト。ついてこい」
「はい!」
ここが開拓地、か。通りで人が少なかったわけだ。もしカーラさんに会ってなかったら、俺ほんとに危なかったかもしれない。感謝、感謝。……それにしても、屋敷の中は思っていた以上に賑やかだ。使用人の数も多く、みんな明るい表情をしている。疲れた顔なんて一つもない。この空気だけで、ここがいい場所だってわかる。
「ここだ。先に入っていなさい。私はカーラを呼んでくる。ジークが中にいるから、何かあれば聞くといい」
「分かりました。」
ドアを開けると、思わず「おお」と声が漏れた。さすが客室。さっきまでいた部屋とは比べものにならないほど豪華だ。しかも、もう朝食が並んでいる……いや、早すぎない?さっき来たばっかりだよ?まあ、気にしないでおくのが礼儀というものか。席に座っておこう。
「ジークさん」
「どうしたんだい?」
「ヴァイツ様って、どんな方なんですか?」
「ああ、説明してなかったね。ヴァイツ・アネモス。この開拓地を任されている貴族、辺境伯だよ」
「えっ、貴族!?」
「うん。でも、さっきのアフトの態度で問題ない。彼は細かい礼儀より誠実さを重んじる人だから。」
「よ、よかったぁ……」
貴族ねぇ……少し意外だな。あの容貌だと、普通に兵士を連想させる感じだが……まあ、事情は誰にでもあるだろう。そんなことを思ってると、扉があいた。入ってきたのはヴァイツ様と、一人の少女。髪は短いオレンジ色。アフトより少し背が低い。けれど何より──
……可愛い。
「えっと……また会ったわね」
「あ、うん。そう……だね」
「こほん。互いに見つめ合うのは結構だが、座ったらどうだね、カーラ。ほら、腹が減っているだろう」
「……そうね」
めっちゃ可愛い。可愛すぎて一瞬時が止まったかと思った。おかげでヴァイツ様に気を使わせてしまった。
「今回の料理はアフトの体調を考慮し、体に優しいものにしました。パンは柔らかいケーキ状に。スープや果物はお代わり自由です」
「うむ。では、いただこう」
よかった。さっきからお腹が空いてて死ぬかと思ってたんだ。まずはスープから食べてみよう。スープをスプーンですくって食べる。……優しい酸味。具材はとろけるほど煮込まれていて、肉も柔らかい。体がじんわり温まるな。
「ヴァイツ様。このスープに使われている具材は何でしょうか?」
この赤いスープに使われているのは何なのか――と思った瞬間、ジークさんが肩を叩く。
「アフト、こういうのは普通、私に聞くんだよ」
はっ。そうだ。貴族相手に無礼を──。
「構わんよ、ジーク。初対面だ、会話の糸口にはちょうどいい。これは“トマト”という野菜を使っている。クアラルでは一年中採れて、栄養価も高い。ただ、生だと苦手な人が多いから、こうして調理するのが一般的だ」
よかった。ヴァイツ様は礼儀にはある程度は寛容なのか。怒られるのは勘弁願いたいな。まあ、礼儀を疎かにする言い訳にはならないが。
「なるほど。いつかは生でも食べてみたいです」
「それはいい。私はトマトが大好きでな……だが、カーラは大のトマト嫌いだ。見てみろ」
まさか。──あ、ほんとだ。カーラ、器用にスープだけ皿の端に寄せてる。
「カーラ。ほら、アフトがちょっと引いてるぞ」
「ちょっ……!お父さん、それ言わなくていいでしょ!恥ずかしい!」
「お客様ではないよ。いずれアネモス家に入る」
「えっ!?聞いてないんだけど!?」
なんかとんでもないことが聞こえた気がするが……まあいい。どうせ後で詳しく話してくれるだろう。
「さて──そろそろ本題に入ろうか」
だろうね。大丈夫。心の準備は整ってる。
「分かりました。なんでもお聞かせください」
「単刀直入に言おう。アフト、君にはアネモス家の養子になってもらう。姓は表向き“アネモス”だが、アフト・キャンサーという名を忘れるな」
「はい!」
改名を無理やりしなかったのは思いやりだろうか。だが、助かるのは間違いない。この名前も、いずれ俺の記憶を取り戻す材料になるはずだ。
「これには、あの洞窟が関係している。あれはアネモス家創設の時から存在する場所で、何かが起きた時には“最上の対応をせよ”と先代から伝えられてきた」
思いやりだった。てか、そんないわくつきの洞窟から出てきたのか、俺。
「あの洞窟に……そんな言い伝えが」
「そうだ。これまで、いかなる衝撃を与えても傷一つつかなかった洞窟だ。それが、アフトが現れてから、自然の岩と同じように壊れたり、削れたりするようになった」
「……まるで、私の目覚めを守っていたみたいですね」
「ふむ、そうかもしれん。だが謝る必要はない。むしろそれだけ重要な縁だ。──それで、君に二つ頼みがある」
「二つ、ですか」
「一つ。ジークからこの世界の常識を学んでほしい。記憶喪失のままでは危ういだろう。
二つ。カーラと共に屋敷や町を回ってもらう。体を慣らす意味もある」
思ってもみないことだ。むしろこっちから頼みたかったぐらいだ。断る理由なんてない。
「もちろんです!ぜひお願いします!」
「頼もしいな。では、今日から始めよう。」
「分かりました。失礼します」




