ラブストーリーに変わるまで
「もうっ! お母さんってば! なんで起こしてくれなかったの!?」
目が覚めるといつもより明るい。嫌な予感がしてスマホを見ると、まさかの八時、完全に遅刻だ。
慌てて制服を着ようとしたらまさかの裏返し。こういうとき自分のいい加減さが嫌になる。だからといってその癖が直るかと言ったらそうならないんだけどね。
バタバタと着替えながら階段を下りると、トーストの少し焦げた匂いとコーヒーの香ばしい香りがする。
「お母さん、トースト貰ってくよ」
「あら、起きて来たの陽菜? コーヒー飲む?」
「いい、時間無いから」
「そう? 気を付けて行ってらっしゃい」
相変わらずマイペースな母親だ。
私が五歳の時に両親は離婚したけど、母のこういうマイペース過ぎるところがお父さんには耐えられなかったのかな? まあ、もう顔も思い出せないからどうでも良いんだけど。
ガチャン
急いで出たので門が上手く締まらなかったけれど、ま、良いか。
少し焦げた焼きたてのトーストを咥えたまま表通りのバス停を目指して走る。
最初の曲がり角、見通しが悪くてミラーも設置されていないから出会い頭をぶつける事故が後を絶たない。
通称『ラブストーリーの曲がり角』なんて言われていて、食パンを咥えたまま走って異性とぶつかるとその相手と恋に落ちる、なーんてまことしやかに言われていたりするロマンチックポイント。
まあ、私はそんなの信じてないけどね。だってこれまで毎朝何十回も食パン咥えて通っているのに一度もぶつかったことなんてない。
友だちには、あんたに男運が無いからだよ、なんて言われたりもするけど、はっきり言って余計なお世話。自分の恋の相手なんてそんなものに頼らなくたって、自分で見つけ出してみせる。
なんて強がってはみたものの、やはり期待してしまう。
でも……待てよ? このスピードで出合い頭にぶつかったらヤバくない?
ボフンッ
そんなことを考えながら角を曲がった瞬間、目の前が真っ暗になって何かにぶつかった。
ううん……ぶつかったというよりも、抱きとめられたって感じ?
「大丈夫かい?」
「あ……はい」
声の主を見上げると、サラサラの黒髪に切れ長で鋭い目つきの男性が心配そうに私のことを見つめていた。
私の顔が胸の辺りにあるから、身長は百八十センチは優に超えている。黒い学ランはこの辺では見たことが無い。都内へ通う高校生かもしれない。
気付けばかなりしっかりと男性に抱きしめられていたことに気付く。学ラン越しにもわかる厚い胸板と筋肉に思わずドキリとしてしまう。
よく見れば若干悪そうな見た目と優しい眼差しのギャップは破壊力抜群。しかも推しのサッカー日本代表選手と良く似ている。っていうか、まさか本人じゃないよね?
「あの……ご趣味はサッカーとか?」
「サッカー? ははは、これを見てもそう思うかい?」
男性の背中には大きな鎌があった。
「ああ、これからグラウンドの芝刈りをするんですね!!」
「芝刈りっ!? いや違う、佐藤陽菜、現在高校二年生、君を迎えに来たんだ」
「ごめんなさい、レギュラーが芝刈りなんてするわけないですよね!! えっ!! もしかして試合に招待してくれるんですか?」
「えっと……試合じゃなくて、死後の世界かな。ごめんね期待に応えられなくて」
「ええっ!? ナショナルトレーニングセンターですか!!」
「……うん、そうだね、まあ無理すればそう聞こえないこともないかな? えっとね、時間が無いから単刀直入に言うと、君は死んでいるんだ、それも一週間前に車にはねられて」
国立競技場へ行けるかもしれないと思っていたのに、この人はなんて酷いことを言うんだろう。まさに天国から地獄に突き落とされた気分だよ。
「やっぱりそうでしたか……いや、薄々気付いていたんですよ。何度失敗しても忘れ物するし、駄目だと思っても直せないし、メイクのノリは悪いし……」
「いや……それは君のせい――――」
「とにかく死んでいるのは理解しました。それで? 異世界に転生させてくれるんですよね? 出来ればチート欲しいなあ……乙女ゲームの世界も捨てがたいし……パンフレットみたいなのあります?」
「パンフレット……すまん、そういったものは無い」
「ええっ!?無いんですか? 神さまなんですからパパっと作れば良いじゃないですか!!」
「いや、その、専門外というか出来ることと出来ないことが……」
何でも出来そうなイケメンさんが困っている姿は萌える。
「良いんですよ、誰にだって向き不向きはありますし、困らせてしまってごめんなさい」
「いや……こちらこそ突然押し掛けた上、説明不足で申し訳ない。何か力になれると良いんだが……」
力になれること……か。
私がこのまま天国へ行ってしまったら、お母さんはどうなってしまうのだろう。
誰も居ないあの広い家で独り、生きてゆくのだろうか……。
「ねえ神さま、私生き返れませんか?」
「……生き返ってどうするつもりだい?」
イケメンの神様が優しく微笑む。
「お母さんに――――ただいまって言いたいの」
神さまはちょっと驚いたように目を丸くする。あ……その表情も素敵。
「そうか……そうだね……方法がないわけじゃあない」
「あるんですか!! それなら――――」
グッと両肩を掴まれる。
「でもね、そのためには大きな代償を払わなくてはならないんだ。君にその覚悟はあるかい?」
大きな代償……怖い。記憶だろうか? それとも寿命? それとももっと大切な何か?
「代償の内容を教えてはいただけないんですか?」
「それは言えないルールだ。だからこそ覚悟が必要だと言ったんだよ」
それでも神さまは限りなく優しく諭すように私の頭を撫でてくれた。
「構いません、どんな代償だって払います!! お母さん以上に私にとって大切なものはないんです」
「そうか……後悔はしないね?」
「はい」
少し困ったように微笑む彼の姿に胸のドキドキが止まらない。
なんとなく思ってしまった。もしかしたら大きな代償とは、この私の出会いと恋心なんじゃないかって。
「さあ今から一週間前に君の意識を飛ばすよ」
「待ってください!! もう……貴方には会えないの?」
「そうだね……そういうルールだ」
悲しそうに神さまが微笑む。
せっかく好きになれたのに……この温もりをずっと感じていたいと思ったのに。
「神さま、私ね……貴方のことが好きでした」
「ありがとう陽菜、君はお日さまみたいで好きだよ」
背中に背負っていた芝刈り用の鎌が光り出す。
「良いかい陽菜、一週間前の交差点に気を付けて……チャンスは一度きりだよ」
「はい、きっと上手くやります!! ありがとう神さま――――いつかまた――――」
振り下ろされた光の鎌で視界が真っ白になる。
気付けば私は交差点を歩いていた。
「ヤバッ!? いきなりここですか神さまっ!?」
考える暇もない。転がるように交差点から離脱すると、私のすぐ後ろを居眠り運転の車がすれ違ってガードレールに激突した。
「お母さん、ただいま」
「お帰りなさい、陽菜」
私はこうして生きている。
今ではあれは全部夢だったんじゃないかって思う時もある。
でも……私は彼のことを忘れてはいない。あの出会いの記憶も、この気持ちも全部あの時のまま残っている。
結局、大きな代償ってなんだったのだろう。
変わらない日常、だけどそれがいかに愛おしくかけがいのないものか、今の私は知っている。
「もうっ! お母さんってば! なんで起こしてくれなかったの!?」
……私は相変わらずだけどね。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
それでも一つだけ悪い癖が直ったんだ。
あれから食パンを咥えて走ることはしなくなった。
だって、彼以外に恋なんてしたくないからね。
「皆、今日からこのクラスに転校してきた、四神直人くんだ。仲良くしてやってくれよな」
身長百八十を優に超えるサラサラ黒髪のイケメンにクラスの女子から黄色い悲鳴が飛ぶ。
黒い学ラン姿に鍛え上げられた肉体、あれは間違いなくサッカーをやっているはずだ。
彼は私の隣の席に座った。
「神さま……どうして?」
「言ったろ、大きな代償を払うって。神の能力をはく奪されて人間界で百年君の面倒を見る罰だよ」
困ったように笑う彼の姿に涙が止まらない。
そうか……代償を払うのは……私じゃなくて、アナタだったのね……。
これはありきたりなラブストーリー?
ううん、世界に一つだけのラブストーリーに決まってる。
優しい神さまとちょっとわがままな私の出会いの物語。