8.
轟音を立てて、蠢く漆黒の巨大な物体は、瘴気と強力な魔力を纏い、東から西へと移動していた。
西の魔王ルゼブラは、魔界政府組織からの報せを受ける前から、早々に動き出していた。
王城に集結した軍隊に、高々と檄を飛ばす。
「よく聞け! 東の魔王と共に、巨大な魔物が、我々のいる西の魔界に迫ってきている!東の魔王は魔界征服を始めた!これは我々への宣戦布告だ‼︎ 東の魔王を討伐せよ!!!」
「おーー!!!!」
一斉に声を上げる西の魔王軍。威勢の良い声は、響めきにまで高まる。
武器を装備して、動き出す軍隊の指揮をとるのは、西の魔王ルゼブラである。
アルヴォスとの戦いを前にして、息子達と戦略の最終確認をしていた。
そこには、なぜかセドがいた。実は、セドはルゼブラの息子であった。
セドの隣に立つ男性は、兄のルダであり、次期西の魔王となる後継者である。
次男のセドは、魔界政府の依頼を受けて、世継ぎがいない東の魔王アルヴォスの元へと差し出されていた。次期東の魔王となる為に、多くの事を学んでいる最中に、突如戦争が起きてしまう。
セドは、幼い頃から虚弱体質で、出来も悪く、兄のルダに比べて魔力量も少なかった。それにより、父のルゼブラからは、自分が期待されていないのを、ひしひしと感じていた。父親の愛情は、兄と比べると雲泥の差であった。逆に母ダリアは、体が弱いセドを溺愛していた。
両親の偏った愛情が、兄のルダと弟のセドの間に亀裂を生み出してしまう。
ルゼブラは、二人の間に大きな壁があり、不仲であるのは知っていた。
それでもいつかは、兄弟が仲良く、東西の魔界を取り仕切って欲しいと願っていた。
今回のアルヴォスとの戦いを機に、二人の絆が深まることを強く期待していた。
二人にも戦略会議に参加させて、副指揮官の役割を与える。
三人で話し合っている所に、母親のダリアがセドを心配して、涙ながらに、駆け寄って来た。
優しい声色のおっとりした口調で、好き勝手に話し始めるダリアを、三人はいつも通り、ただ聞き流していた。
「貴方、子供達をお願いしますわね。セドはね、体が弱いから、私はもう心配で、心配で。アルヴォスの所になんて行かせなければ良かったのよ。こんなに痩せて、きっと酷いことをされたんでしょう。可哀想に。あーなんでまたこんなことになってしまったのかしら。セド、終わったら、もう帰って来なさい。私は争いごとは一番嫌いよ。」
セドを抱きしめようとするダリアに「母上、私はもう子供ではありませんから。そんなに心配しないで下さい。」と後退りをして、ダリアを避けるセドは、呆れ顔を見せた。
セドに反抗されたと勘違いして、悲しみと寂しさが込み上げるダリアは、ルゼブラに抱きつき、胸に顔をうずめて泣いていた。
「そうあまり泣くな。すぐ戻る。ダリア、それまで一歩も外には出るなよ。君に死なれたら、私は困るからね。」
ルゼブラは、ダリアを優しく抱きしめて、頭に口付けをする。
侍女に目配せした後、ダリアは、侍女と共に王城の中へと去って行った。
嘆息を漏らすルゼブラに、息子二人は、母親への溺愛っぷりを見せつけられて、更に呆れて言葉も出なかった。
「よし、これで邪魔者はいなくなった。それより、セド、どうなっているんだ!」
セドは、未だ状況が全く理解できず、困惑していた。
想定外の出来事に、東の魔界にいるヴァルド、ロウロ、バーバラ、そしてレミーの様子が気になり、不安や恐怖に駆られていた。
巨大な魔物が出現したと報せを受けた時、一瞬、レミーの泣いている顔が、脳裏をよぎる。
初めて見る表情に、嫌な予感しかしなかった。
自分の予感なんて……とその時は、きっぱりと否定していたが、予感はおそらく確実に的中していた。
現実から目を背けているセドは、巨大な魔物がレミーでないことを、心の中で祈り続けていた。
セドは、色んな感情が入り混じり、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。迷いに迷って、もうどうしたら良いのかよく分からなくなり、自分を見失っているセドに、痺れを切らしたルダが、ルゼブラに進言する。
「父上、セドが困っているではありませんか。まず、あの巨大な魔物の正体は何ですか?それによっては、戦い方も変わってきます。」
ルダは、強い違和感を感じていた。
あれ程までに魔力量を保有する魔物は、見たことがない。おそらく正体は、魔力暴走をした魔女か魔族の者か、それとも人間界の者かーーー思考を巡らせているルダとセドの前に、突然、空から大きな黒竜が降り立つ。
黒竜の背中から、一人の男性が降りて来た。
男性は、ロウロであった。ロウロの腕の中には、ヴァルドが横抱きで、抱きかかえられている。
セドは、明らかに様子がおかしいヴァルドに、焦燥に駆られる。
ヴァルドの蒼白い顔が見えた途端、ロウロの元へと足が勝手に動いていた。
「ロウロ!ヴァルド!ヴァルドはどうしたんだ‼︎」
ロウロに駆け寄るセドは、眉尻を下げて、今にも泣きそうになっていた。
セドの辛そうな表情を見たロウロは、辛気臭いのも性に合わないので、陽気に話し始めた。
「ああ、まだ死んではいません。ご安心を。手当すれば、またすぐ元気になりますよ。」
「おい!貴様!なんだその言い草は!うぅぅう。」と苦悶の表情を見せるヴァルドに「あーはいはい。すみません。ヴァルド、おしゃべりは、だめですよ。」とロウロは笑顔を見せて、虚勢を張っているが、内心焦っていた。
ヴァルドを一刻も早く手当して欲しい‼︎と心の中では、正直な気持ちが叫び声を上げる。
突然、西の魔王ルゼブラに向かい、懇願するロウロは、先程とは打って変わり、真剣な表情を見せた。
「ルゼブラ魔王様、お久しぶりでございます。私、バーバラ魔女長の使い魔で、ロウロと申します。まずは、ヴァルドの治療を、こちらでお願いできないでしょうか。そして、ことの経緯の説明と、我々バーバラ魔女一族の大事な子供を救って頂きたく、お願いにあがりました。」と深く頭を下げるロウロに、頷くルゼブラは、近くに待機する側近に手配を依頼する。
ヴァルドは、直ぐに担架に乗せられて、王城内へと運ばれて行った。
「ロウロと言ったかな。説明を詳しく頼む。」
ロウロは、事細かく、現状も踏まえて説明を始めた。
セドは、ロウロの話が信じられなかった。
馬鹿みたいに、なぜ?どうして?は?え?と同じ言葉ばかりを繰り返しているが、それは仕方のない事であった。
レミーが魔物に変貌する一部始終を見ていたロウロですらも、未だに信じられなかった。