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化画廊  作者: えひと
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2

 ───パタン。


 落葉は、ドアが閉まる様子を、じっと眺めた。

 依頼人の男は、影と同化するように、最後まで落葉を見ていた。いや、何も見ていないのかもしれない。

 まるで男が彼女と呼んだ絵のように、ただ真っ黒な闇となる人影。そこに在るものを、落葉は知らない。


 コツン、とフロアが音を立てた。

 視線を動かすと、鶫がエレベーターに向かってさっさと歩いている。

 落葉はのっそりとそれを追いかけた。


「なあ、鶫」


 呼びかけても、鶫は振り返らない。

 何を視たのか、何を思っているのか、これからどうするのか。

 何も言わないし落葉を見もしない鶫が、腕を動かし、首を少し傾けた。あれは煙草だろう。


 愛煙家というわけではないが、考えるときに口を触ったり何かを咥えるのは鶫の癖だった。とくに銘柄にこだわりはないらしく、いつも違うデザインの煙草を持っている。

 今朝も、落葉がコンビニ行くついでに何かいるかと聞いてやれば、「煙草」とだけ言われた。

 そんな愛想も可愛げもない相棒のために、落葉が選んだのはラッキーストライク。夢も希望も死に絶えた、って顔をした相棒にあんまりにも不似合いでピッタリな名前に惹かれたのだ。


「あのさ、俺思ったんだけど」


 落葉より先を歩く鶫が、エレベーターのスイッチを押す。

 階数ランプは、すぐに変化した。ぐんぐん変わる表示を眺めながら、落葉は鶫、と背中に呼びかけた。


「今日の昼めしパスタにしない?! ペペロン! にんにくめっちゃ効いたやつ! 俺完全にペペロンのきぶ、あ、うんこ! 鳥のうんこ! ねぇ鶫、鳥のうんこだようんこ!!!」


 何気なく視線を動かした先に、こびりついた白く汚い塊があって、落葉はびゃははは!! と笑い声をあげた。ああ、白くて汚くて、頑固で、なんて美しいのだろう! ここに生命がある証。どんなに美しい鳥も、可愛いアイドルも排泄物は皆同じ。ああ、なんて美しき世界。


「うんこだーうんこ、はー、こんな高層マンションで鳥のうんこレアじゃね。ガチャ引いてみよっかな」


 けたけたと笑う自分の声がおもしろくて更に笑うと、鶫がゆっくりと振り返った。

 本日の営業をやめたらしいスマイル君はどこにも見当たらず、落葉が見慣れた眉間の皺と目つきの悪い顔が、じとりとこちらを睨んでいる。エレベーターの中から。


「あれ?」

「落葉」


 火をつけていない煙草を咥えた、不思議と見飽きない不愛想は、一言だけ告げた。

 

「うるせえ」


 それから、静かに閉まるエレベーターの扉。

 当然のように表示が変わっていくランプに、落葉は腹を抱えて笑った。


「置いてかれた! うける!!」






「中華マジ最強だわ。はー、四千年の歴史パネェ。麻婆豆腐最強也」


 柔らかいのにしっかり触感がある豆腐と香ばしい挽肉に唐辛子と山椒の辛味。それから、肉汁がこぼれ出るような餃子、シャキシャキのキャベツと味噌が効いたタレが絶妙な回鍋肉、様々な食感が楽しい八宝菜、濃い味を洗い流しては次の料理を食べるベストコンディションに整えてくれる冷たいビール。

 完璧な昼食に、落葉はご機嫌で腹を撫でた。


 サラリーマンの「なんだこいつは」と言わんばかりの視線が、また良かったのだ。あれは、落葉にとって最高の調味料だ。

 落葉を見下げるような視線の奥に、嫉妬がありありと浮かんでいる事に、本人たちは気付いているのか知らぬが、落葉は知っている。

 組織に属さず自由に振舞う自分を、高級ブランドの衣服を、彼らが泥ついた妬みの眼差しで見ている事を。


「いやあ、美味かった」


 落葉は、人の悪感情が好きだ。

 殺意、嫉妬、妬み、恨み、絶望、なんでもいい。人様に並べて見せられない、後ろ暗いそれらを見ているのが好きで、それを辿るのが好きだった。自分に向けられれば、それとじっくりと見詰め合える。

 愛を交わすように、むつみあうように、暗い感情を口で転がして飲み干す。

 悪趣味だ、と言った相棒に「知ってる」と落葉は笑ったが、あの男も似たようなものだと落葉は思っている。同族嫌悪ってやつだよね、と。


「うわ」

「うん?」


 ふいに聞こえた、心底嫌そうな声に惹かれて振り返ると、髪を撫でつけたスーツの男が、親の仇に会った、というような顔で落ち葉を見ていた。


「那智じゃん。なにしてんの」


 嫌なら声を掛けなけりゃいいのに、ついうっかり口に出すくらい、落葉との遭遇が嫌だったんだろうな。と思えば、駆けよらぬ理由がない。落葉が近寄ると、那智はますます嫌そうな顔をした。


「仕事ですよ。そっちは、何こんなとこ、うろついてんですか」

「飯食ってた。最近麺が続いてるからカレーうどんの気分だなって思って、中華食ってきた」

「マジで意味がわかんねーんで死ぬまで黙っててもらますか」

「死んだらどっちみち喋れねえじゃん」

「遠回しに死ねつってんですよ」

「お巡りさんがそんな乱暴な事言っちゃ駄目じゃんなあ」


 ねえ? と落葉は、那智から、視線を隣に動かす。

 目が合った若い男は「は?」と硬い声を上げた。


「相棒変わったの? 初めて見た」

「なんでも良いでしょ。そっちこそ、鶫さんはどうしたんですか」

「鶫?」


 あれ? と落葉は周囲を見渡した。

 言われてみれば、物騒な不機嫌顔も、不穏な喪服も見当たらない。そういえば、落葉は一人で店に入って一人で注文して料理を平らげたのだった。

 いつからいないんだっけ?


「あ、そうだ置いてかれたんだった」

「鶫さんに粗大ごみの不法投棄は違法ですって言っておいてください」

「あっはっは。お前いい加減にしとけよ」


 そうだそうだ、エレベーター降りたらもういなかったな。たしか。

 クソ生意気な男の頭を張り倒しながら、落葉はようやく思いだす。お互い、いちいち相手を気にかけたりしないから、鶫を追いかけるとか合流するとか、そういう発想が落葉にはない。

 いない、ということすら認識する間もなく、落葉は「腹減った」という己の欲望のままに歩いていたわけである。向こうも向こうで気になることがあるようだったし、用があれば呼ぶだろう。


「先輩、こちらは?」


 気の強そうな声に、落葉は男を見下ろした。

 見ろす、といっても二メートル近い落葉と、そう変わらない目線は珍しい。

 短く刈った黒い髪に、那智の一回りくらい大きながっしりした身体、意志の強そうな眉。

 ──おもしろそうなん、連れてるなあ。

 落葉はにやりと笑い、男の肩に手を置いた。


「は?」

「鍛えてんね。柔道? 空手?」

「……柔道です」

「そんな感じ。学生時代、主将とかやってたタイプでしょ」

「それが何か」

「なははは、俺の好きなタイプよ」

「先輩」


 呼びかけたのは、那智だ。

 不愉快さを隠しもしない、いっそ軽蔑すら浮かべて、落葉を睨みつけている。

 かわいいにゃあ、と落葉は笑みを深めた。


「やめてください」


 真っ白で、真っ直ぐな、清廉たる正義を貫こうとする、若い瞳。それが、落葉は、だいすきだ。


「ふふ、お前に先輩って呼ばれんの久しぶりね」

「名前を口にするのは嫌なんで」

「俺は名前を言ってはいけないあの人かよ!」


 びゃははは! と落葉が笑うと、「先輩?」と那智の相棒が訝し気に言うので、落葉は右手を掲げた。


「警視庁捜査一課キュート担当、落葉警部補でっす」

「……は?」

「元、でしょう。吐きそうなんで二度とその名乗りやめてください」

「うははは、俺だって二度やだわ」


 ぎろ、と那智の鋭い睨みに、落葉は笑いながらポケットに手を突っ込んだ。


「刑事? この人が?」

藍鳥(あいどり)、元を付けろ元を。一年で持たなかった、績伏(いさふく)市、いや日本の汚点だ」

「ひでー言われようだな」


 ぺリ、と可愛らしい包み紙をはがして棒の付いた飴を口に入れると、藍鳥と呼ばれた男は、たっぷり二往復。上から下まで落葉を眺め「嘘でしょう」と怪訝そうな声を上げた。


「嘘なもんか。この人とバディを組まされて、散々振り回されたんだ。俺は一生根に持ってやると決めた。だからキャリアは嫌なんだ」

「偏見よう、なっちゃん」

「気色悪い呼び方をするな」

「キャリア?」


 これが? とでも言いたそうに、再び全身を眺められたので、落葉は右手をピースにしてウィンクをしてみた。おはようテレビに出ていた、なんとかってアイドルのポーズ。

 

「デスクワークが退屈だとかほざいて現場に降りて来た、クソ警官だったんだよ、この人」

「すげー褒めるじゃん」

「え、そういうの通るもなんなんですか」

「そりゃこの人これでも、」

「那智」


 ざ、と後ろに退いた藍鳥に、勘が良いなあ、と落葉は飴を嚙み砕いた。ガリ、と飴を通り越した歯で、ぎしりと棒を噛みしめる。

 那智は真っ青な顔で、けれど藍鳥のように退くことなく、落葉を見ている。

 落葉を心の底から嫌っているくせに、落葉が自分を傷つける事は無いと思っているらしい那智の、まっさらな心が、落葉はだいすきだ。


「なぁち。教えてあげたでしょ。おしゃべりな男はモテないよ」


 んじゃ寡黙な男がモテるかってのは知らんけどね、と落葉が笑うと、ふう、と那智は細く、長く、息を吐いた。緊張を逃すような仕草に、落葉は笑う。


「謝った方が良いですか」

「はは、なに、可愛いねえ那智」

「……」


 那智は不思議な男だった。

 落葉が好意を口にすると、怯えるのだ。まったくもって、失礼な男である。

 

 それではまるで、落葉が、おもちゃを壊す子供だとでも、いうようではないか。


 落葉は物は大切にする方だ。おもちゃは長く大事に扱うし、よほどの事がなければ、壊したりなんかしないはずだ。だって、そうでなければ楽しめない。苦しいのも痛いのも苦手じゃないが、できれば楽しい方が良いなあと、誰だって、そう、思うだろう。


「あ、そうだ那智。ちょっと調べてほしいんだけど」


 楽しいといえば。そうだ、ちょうどいい。落葉がぱちんと両手を叩くと、那智は「なんです」と嫌そうな顔をした。


「あら? 断んないの?」

「今回は、別です」

「ふうん?」


 今にも舌を噛みそうな顔で言うものだから、落葉は首を傾げた。

 そんなに嫌なら無理しなくてもいいのに、と思ったが、那智の不思議な思考回路を落葉が理解できた試しはないので、深く考えない事にする。


「このおっさん、あらっといて」


 鶫が依頼人から受け取った後、一瞥して寄越してきた名刺を渡すと、那智はじっと名刺の文字を追った。

 子どもでも知っているような有名企業の名前が書かれた名刺だ。そう時間はかからないだろう。


「……何したんです、この人」


 那智の声に、落葉は笑う。


 やつれた顔。荒れた部屋。

 真っ黒の絵。

 それの始まり、或いは辿るところなんて。


「さーね」



 落葉に、興味はなかった。




「それよかデートでもしよっか、なっちゃんあいちゃん」

「拷問ですか」







架空の都市を舞台にしています。

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