小さな恋だか変だかのフローラちゃん。
それは突然やってきた。
私が十二歳の頃の、ある初冬の日だ。
その日私は、両親から買ってもらった新しい自転車で、お得意様のお店へ配達の手伝いに行っていた。
私ももう十二歳。立派なお姉さんだ。両親が買ってくれた自転車も、大人用の車輪の大きなものだ。お姉さん気分アゲアゲ↑だ。
両親は未だ健在だ。親類縁者にも特に不幸はない。イトコのお兄ちゃんが王都の学術院の試験に落ち、無事に浪人生活を送っている程度の不幸しかない。しかも不幸なのはおじさんとおばさんだけで、イトコの兄ちゃん自身は王都の予備校に一人暮らしをして通っているので楽しそうだ。勉強しろ。
祖父母も田舎で元気に農業に精を出している。
私の攻略対象であるタウルス君だが、結論から言って、見つからなかった。
騎士団名簿というのは、国立図書館に収められていた。持ち出しは禁じられていたが、閲覧は自由だった。
だがそれには、住所などは載っていなかった。
騎士団長の名前や、好物がイチゴだということが分かっただけだ。
……ていうか、『好きなもの』とか『嫌いなもの』の項目、いる? 『座右の銘』とか。騎士団長『右投げ左打ち』とか書いてあったけど、何を投げて何を打つの?
どうでもいい個人情報は多かったが、欲しい情報だけが得られなかった……。
まあけれど、タウルス君は王都のどこかには居る筈だ。もしかしたら、その内偶然出会えたりもするかもしれない。
そんな事を考えつつ、チャリチャリと王都を走る。
昨日は一日中雨が降っていたので、まだあちこちに水たまりがある。
そこに街路樹から枯葉が落ち、路面は結構滑りやすい。
気を付けてチャリチャリしていたつもりなのだが、うっかり濡れた枯葉にタイヤを取られてしまった。
ヤバい!! 転ぶ!!
咄嗟にカウンターステアを当ててみるが、そもそもが自立しない自転車だ。余り意味がなかった……。むしろバランスを崩す事になってしまった。
ぎゅっと目を閉じ、来る衝撃に備える。
ガシャーンと自転車の倒れる音。
……あれ?
自転車は倒れたが、私は無事だ。
倒れた自転車のタイヤが、カラカラと空回っている。
ん? 何で私、無事なの?
「大丈夫?」
すぐそこから声をかけられ、私は横を向いた。
一人の少年が、私の腕を両手でしっかり掴んで支えてくれていた。
この子が、助けてくれたの? 何と……、出来たお坊ちゃまだろうか……!
「だ、大丈夫……。ありがとう」
私がしっかりと立ったのを見て、少年は掴んでいた腕を放した。
「道路、滑るから気ィ付けてな」
はは、と笑いつつ言うと、少年は手を振って歩き去ろうとした。
「あ! 待って!」
思わず呼び止めると、少年は素直に足を止めてくれた。
「えっと、名前……、教えて? あと、お礼もしたいから、住所も。あ、私はフローラっていうんだけど……」
「名前はタウルス。お礼とかは別にいいよ。住所はこの辺」
タウルス君!?
……ハッ! 言われてみれば、髪の色とか目の色とか、それっぽい……!
ていうか、何この爽やかさ……!
「明日! お礼持ってくるから、これくらいの時間にこの辺に居てね!」
「いらねーのに……。分かった」
苦笑しながら言うと、タウルス君は手を振って走っていってしまった。
ヤベぇ……。
何だ、あの爽やか少年……。
乙女ゲームのヒーローみたいじゃん……。
あんなん、惚れてまうやろ……。
ゲームの作者さんよ……、ヒロインとヒーローの出会い、こういうのでいいのよ……。店先で「豚の肉は『豚肉』で、牛の肉は『牛肉』なのに、何故ニワトリの肉は『とり肉』なんだ!? 『にわとり肉』であるべきじゃないのか!?」とか叫ばれても、恋は芽生えないと思うのよ……。
翌日。
私は自分で作ったコロッケを持って、昨日転んでしまった道の辺りでタウルス君を待っていた。
コロッケなのには、特に理由はない。強いて理由を付けるとするなら、ひき肉が売れ残っていたからだ。あと、台所にじゃがいもがいっぱいあったからだ。
「あ、ホントに居た」
言いながら、タウルス君がやって来た。
「昨日は危ない所を助けていただき、ありがとうございました!」
頭を下げた私に、タウルス君が笑いつつ「大袈裟な……」と呟いた。
「大袈裟じゃないですよ! 実際、転んでたら怪我するじゃないですか!」
「ははは。確かに。……昨日、チャリになんか荷物積んでたみたいだけど、ウチの人とかに怒られなかった?」
そう。
荷台に配達用のお肉を入れた箱を括りつけていたのだ。
「大丈夫」
言うと、「そら良かった」と笑うタウルス君。
ヤバい。マジで惚れそう……。
配達のお肉は、外側の段ボールこそひしゃげたが、中身は無事だった。相手には中の袋しか渡さないので、何の問題もなかった。ひしゃげた段ボール箱を見てお母さんが「どーしたの、コレ!?」と驚いていたが。
「それでね、これ、お礼に作って来たんだけど……」
「マジで、お礼とかいいのに……」
「ホントは、女子的にはお菓子とか作るところなんだろうけど、肉じゃがコロッケで……」
「貰う」
『コロッケ』と言ったら、タウルス君の目の色が変わった。
育ち盛りの男の子、という感じだ。何だか微笑ましい。
少し移動して、座れる場所を見つけ、そこに並んで腰かけた。
アパートか何かの入り口かな? あ、あそこにプレートある。『レジデンス王都』……。木造モルタル二階建て、築数十年……という風情の建物だが。まあ、よしとしよう。
この世界でも、『ちょっとボロいアパートほど、キラキラした名前つけがち』問題は健在か……。
レジデンス王都のエントランスにあった階段に腰かけ、タウルス君はコロッケを袋から取り出し頬張った。
「あ、美味い! ……ちょっと醤油かソースほしいな……」
「それは、お家帰ってからにしなよ」
「確かに」
言いつつ、タウルス君はコロッケを一つ、ぺろりと食べきった。
タウルス君が持っている袋の中には、同じコロッケがあと八つ入っている。三人家族×三個ずつで九個という計算だ。
「良かったら、晩御飯のおかずにでもしてよ」
「ん、そーする。母さんも、多分喜ぶわ」
にかっと笑うと、タウルス君は袋を大事そうに抱え、立ち上がった。
それに倣って立とうとする私の手を引いてくれる。
ヤダ……、なにこの爽やか君……!
ていうか、ここで既に友達とかになっておけば、数年後の未来で営業妨害とか受けなくて済むんじゃない!?
今のこの爽やかなタウルス君なら、仲良く出来そうだし!
そうと決まれば!
「ねえ、タウルス君……、あのさ……、私と、お友達になってくれる……?」
面と向かって『友達になろう』というのは、かなり恥ずかしい。
けれど勇気を振り絞ってそう言ったら、タウルス君は不思議そうにきょとんとした。
あぁ~……、やっぱ変なヤツとか思われちゃったかなぁ……。
そう思った私に、タウルス君はにかっと笑った。
「てか、もう友達じゃん? 違うの?」
さ、さささ爽やかぁぁ~!!
お友達となった私とタウルス君は、また会う約束をしてその日は別れたのだった。
その後、タウルス君とは週に一度か二度、会って他愛もない話をしたりするようになった。
場所は例の『レジデンス王都』前だ。
いつもそこに座っていたら、レジデンス王都の管理人のおばさんからお菓子を貰うようになってしまった。……なんか、ごめんなさい。
申し訳なかったのでおばさんにトンカツを渡したら、ものすごく喜んでくれた上に、お店にも買い物に来てくれるようになった。そんなつもりじゃなかったけれど、ちょっと心の中で「ククク……、トンカツの効果は絶大よのぅ」と思ってしまった。
管理人のおばさんがお母さんに、私がいつもレジデンス王都前でタウルス君と遊んでいるという話をしてしまい、お父さんに「一度、連れてきなさい」と言われてしまった。
……ホントに、ただのお友達なんだけどな……。まあ、いいか。
タウルス君が初めてウチにやって来た日、彼は店頭のショウケースを眺めて軽く首を傾げた。
「何でさぁ、豚の肉は『豚肉』で、牛の肉は『牛肉』なのに、ニワトリの肉は『トリ肉』なんだろ? 『ニワトリ肉』じゃダメなんかなぁ?」
こ、これは……!
ゲーム本来の出会いイベントの会話……!
口調こそ、年相応の少年のものだが、言っている内容はまさにゲーム通りだ。
ていうか、十代前半の少年に言われると、腹も立たないわ、このセリフ。むしろ微笑ましくすらあるわ。
「でも『豚肉』って言ってるけど、豚だってホントは色んな品種に分かれてるからね。タウルス君、『豚』って言ってどんな豚を思い浮かべる?」
「え? なんか……ピンクっぽいヤツ……?」
まあ、大抵の人がそうだろう。それが一般的な『豚肉』の豚だ。
「その『ピンクっぽいヤツ』だけでも、実は何種類も居るんだよ。でも、買う時はそこまで気にしないじゃん? だから、細かい事は書かないで『豚肉』としか書かない」
タウルス君は「へー……」などと感心しつつ、素直に私の話を聞いている。いい子だなぁ。
「で、鳥の場合、一般的に食べるのって主にニワトリだけでしょ? 鳥の肉でニワトリ以外の鳥の場合、ちゃんとそう書かれてる。例えば鴨とか、雉とか、鳩とか……」
「あ! ホントだ! これ、鴨なんだ! スゲー!」
別にすごくはないが、タウルス君は感心している。
雉は、昨今のジビエブームで、ちょっとした需要がある。父の知り合いの猟師さんから買い付けている。
鳩は『中世ヨーロッパ二割+現代日本八割』……の、二割部分で食されている。主に貴族の食卓に上るものだ。
ていうかホント、十代前半からこの疑問が出ると、違和感もそんなないな……。
タウルス君、早いうちに出会えて良かった……!
青年ver.のタウルス君からあの台詞出たら、真顔になるしかないとこだった……!
ちょっと心配していたが、お父さんはタウルス君を気に入ってくれたようだった。
私そっちのけで、お父さんとタウルス君と二人でキャッチボールなんかをして遊んでいた。
まあ、いいけど。お父さんもタウルス君も楽しそうだし。
その後も何度か、タウルス君からゲーム中の台詞が出てきたり、イベントが起こったりした。
私の『ゲーム攻略』が順調に進んでいるようだ。
けれど、『ゲーム通り』に進まないイベントも幾つかあった。
食肉の加工工程に興味を持ったタウルス君が、屠殺場へ見学へ行くというイベントがあるのだが、お父さんに「見学行ってみるか?」と誘われたタウルス君は、「肉食えなくなりそうなんで、やめときます」と苦笑いして断っていた。
なんか順調じゃない?
タウルス君、ゲームのタウルス君より、マトモでいい子に育ってない?
いや、決してゲームのタウルス君も、悪い人ではないけれど……。
知り合って一年程度経った頃、タウルス君に私の事を『ハナ』と呼んで欲しいとお願いした。
だって、ねぇ……。半径一キロ以内に、同じ名前で同じ顔の女の子が、あと二人居るんだもん……。まあ半径一キロ以内に居る割に、日常で意外なくらいバッティングしないけども。
私が『フローラちゃんたち』と出会わないのは、もしかしたら『ゲームの強制力』とかそういうのなのかな?
まあ、一堂に会したりしても、面倒な事になるだけな気がするし、それは別にいいんだけど。
タウルス君からは、特に理由を問われる事もなく、「いいよ」と快諾してもらえた。
代わりに、「んじゃ俺にも、何かあだ名とかつけて」と言われてしまった。
あだ名……。
言われてパッと浮かんだのは、攻略サイトなどで通称となっていた名前だった。
彼ら攻略対象は、それぞれ出現する商店に因んだ名前になっている。
なので攻略サイトや掲示板などでは、それに因んだ通称で呼ばれている。
王弟殿下が『生鮮殿下』と呼ばれているのもそれだ。
魚屋に出て来る王太子殿下は、お名前の『マクレル』からそのまま『サバ王子』。英語でサバの事ではあるけれど、殿下がライス帝国へ行ったらどういう扱いを受けるのか、ちょっと興味ある……。
八百屋に出て来る公爵令息は、『大根に自信ニキ』もしくは『大根ニキ』。彼の名前『ラファナス』は、大根の学名に入っているのだ。
そして、野菜の見分けのつかないボンクラのクセに、大根にだけはやたら詳しい。某ネット百科事典からコピペした勢いで詳しい。
そしてタウルス君は、『ウシ野郎』だ。
いや、ないわ!
この爽やか少年に『ウシ野郎』はない!
けれど、考えても考えても、『ウシ』の呪縛から逃れられない……。
う~~~ん……。
……あ! そうだ!
「『うっちゃん』とか、どう?」
「いいけど。何で『う』?」
不思議そうに訊ねられ、私は「タウルス君の、ウだよ」と誤魔化した。
ウシ野郎のうです、とは言えない……。言える筈がない……。
それに、頭の『タ』で考えても、「フローラを甲子園に連れてって」と言いたくなりそうな名前や、ジャングルの王者なギャグマンガの主役になりそうな名前しか思いつかなかった。
うっちゃんはけれど、私のその苦しい理由に笑うと、「良く分かんねーけど、まあいっか」と言ってくれたのだ。
爽やかな上に、優しい……。
育成、大成功! やったね、私!!
タウルス君はワシが育てた! ……なんてね☆ ウフフ☆
その後、うっちゃんが私を『ハナ』と呼んでいるのを聞いた母が、茶化しつつ真似するようになり、父もからかい半分で私をそう呼ぶようになり、何だか私の名前は『ハナ』で定着してしまった。
別にいいけどね。前世のあだ名も、『ハナ』だったし。
そして忘れもしない、十五歳の九月だったか十月だったか、それくらいのある日。
三つある王都商店街が合同で企画した『ライス帝国への農業・漁業・酪農業視察旅行』に参加していたお父さんが、行方不明になったという連絡を商工会長から受け取ったのだ――。
ハナちゃんの語り、もうちょっと続きます。
ところでこの話、『異世界〔恋愛〕』に移動しても大丈夫ですかね?(笑)