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SF

100人に1人からのラブレター(恋文)

作者: いかすみこ

初めてコンテストに投稿した作品です。自信あったんですが、一次選考通過ならず( ノД`)シクシク…

気に入っている作品なので読んで頂けると嬉しいです。

 朝テレビのスイッチをいれると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。






「今回の新作はこの冒頭から始まるんですね。それで世界ってこの月のコロニーの事でいいんですか?」


 次の長編小説についての打ち合わせで、鋭い質問が飛んできた。思わず手元のコーヒーを飲み干す。昔ながらの喫茶店だが本当にこの店のコーヒーは美味しい。

 窓に目をやると地球が見える。今日の地球は丸い。


「それを一番悩んでいるんだよ。わたし達が住んでいる月だけの滅亡なら地球や他の惑星 に避難してしまえばいいからね。かといって移住することが出来る、地球や水星、火星も含めるとどうすればいいか……太陽を爆発させるとか……」


「先生、ベタすぎですよ。不可能な設定に説得力を持たせるのがSF作家の真骨頂でしょ!」


 まだ若い編集はあきれたように言ってきた。年上への敬意が足りないのではないか。こう見えてもわたしはとっくに還暦を過ぎているんだぞ。


「わたしが今回の作品で書きたいのは奇抜な設定ではなく、世界が滅亡するときの人間の心の動きと行動なんだよ。そういう君はもし世界が一週間で終わるとしたらどうする」


「そうですね。それこそベタかもしれませんが家族と過ごします。いま本当に娘がかわいくて」


 しまった。振った話題が悪かった。彼はいま、子供の事を惚気たくて仕方が無かったんだ。取り合えず気が済むまで話をさせてから打ち合わせに戻そう。


「こないだはお邪魔させてもらって悪かったね。あれから奥さんとお子さんは変わりないかい?」

 

 相好を崩した彼は立て続けに喋り始めた。


「いやあ。赤子ってのは可愛いですね。本当は育児センターから引き取るのはもう少し大きくなってからって思ってたんです。生まれたばかりの子供の世話は尋常じゃなく大変だって聞いてましたし。でも嫁がせっかくだから早いうちから育ててみたいって提案してくれて」


「やっぱり乳児の世話ってのは大変かい?」


「もう想定以上ですよ。もちろん引き取る前に嫁も俺も病院に行って、子育てに耐えられるか精神を鑑定してもらいました。それと安全に子育てできる技術を身に着けるために2人して訓練所にも通いましたし。合格したときは嬉しかったです」


「そこまでして引き取ったなんてすごいな!」


 素直に感嘆する。彼はまだ20代なのに。


 通常だと育児センターで成年になるまで育ててもらえる。

 何しろ子供を育てるのはびっくりするほど重労働だから。夫婦2人だと負担は大きい。


 彼のように恋愛によって結ばれた夫婦がお互いの卵子と精子を提供する。そして受胎センターで受胎させカプセルによって成長させる。

 大昔は受精した受精卵を母体に戻す手法だったそうだ。

 しかし危険性が高かったらしい。妊娠中の胎児の成長は全て母体に委ねられている。

 例えばつわりなどにより、食物の経口摂取が難しくなった場合は胎児の栄養不足が懸念される。もちろん母体への影響も大きい。

 事故や突発的な犯罪に巻き込まれる可能性。感染症を含むさまざまな病気。

 出産のダメージも計り知れない。自然分娩にしろ帝王切開にしろ母体は数か月は治癒にかかる。母子ともに死亡例も多い。

 また、妊娠期間中や出産後は妊娠している女性のキャリアも中断される。

 あまりにも非効率ということで、受胎センターが設立された。


 しかし自然恋愛から成立したカップルからの遺伝子提供からでは人口が足りなくなってしまう。

 そのために世界中の人間から精子および卵子を任意で提出してもらう。そして世界中で無作為に組み合わせ子供を誕生させる。

 そうまでして人口を増やす必要もないのでは?という意見もある。いまある地球や各コロニーだけで生活していくだけなら、人々を増やす必要もない。

 しかし、人間には遠くに行きたい、知らない場所、挑んだことが無い事に挑戦したいという本能があるらしい。そんな世界中の人々の意見を反映させるため、今日も世界コンピューター機構はランダムに遺伝子をシャッフルする。


 わたしも過去に精子を提供したことがある。

 自分の遺伝子を受け継いだ子供がもしかしたら世界のどこかにいるかもしれない。しかしそれは遺伝子的につながりがあるというだけだ。

 親子という称号は彼のように自ら育てたものにだけ与えられる。


 実際、血の繋がりのない子供を引き取る夫婦も多い。もちろん正式な親子となる。

 様々な環境で育てられた人間が多いほど、文明が安定すると結果が出ているからだ。

 目の前の彼はと考える。最初はパートナーと自分との子供を希望したかもしれない。しかし、仕事もそっちのけで離乳食を吐き出された話を嬉しそうに語る彼に、もはや血縁は関係ないだろう。まだ若い彼と対照的だった2人の歴史の人物を思い出した。


 1人は科学者。人類が月に入植して間もなくの頃、開発途上の建築現場の事故で1人の男性が死亡した。彼には結婚したばかりの妻がいた。

 彼女は月での受胎センター設立に携わっている研究者だった。立場を利用し彼女は冷凍保存されていた、死んだ夫の精子で子供を誕生させようとした。

 発覚したときは大きなニュースになった。

 公共のシステムを私利私欲に使おうとしたことではない。

 彼女の動機だ。


【亡くなった彼は、月のコロニー開発に心血を注いでいた。わたしは道半ばに倒れた夫の意志を引き継ぐ子供を誕生させたかった】


 これは当時の人たちを驚愕させた。

 人は誰にでも自分の人生を生きる権利がある。何を学ぼうが、仕事をしないで寝て暮らそうが。

 しかし彼女は生まれてくる子供の権利を公然と犯そうとしたのだ。

 誰かの代わりを押し付けられる人生なんてあってはならない。

 血の繋がりという狂信は、時に信じられないことをしようとする。

 以後、子供の引き取りには精神鑑定を含む厳重な審査が必要となった。


 もう1人は政治家。 実の親は自分の子供を引き取る際、血縁の無い親子の場合より審査基準を緩めるべだと主張していた。愛する人と自分のDNAを引き継ぐ実子を育てたいというのは人間的な感情だと。

 本人が政治に携わっている多忙さと選挙によっては失う可能性が高い経済基盤のため審査が通らなったようである。

 全くばかげている。愛する人と自分の遺伝子を引き継いだ子供を育ててみたいというのは親側のエゴでしかない。

 最優先されるべきは子供の安全と幸せだ。

 そして血縁関係が子供の育成に有益に作用するといった研究結果も存在しない。

 その政治家が実子の引き取り審査が通らなかった理由。政治家の職業性というだけでなく、精神鑑定でメンタルの危うさが発覚したのかもしれない。

 少なくともわたしには自己本位なことを主張する彼に、子が成人するまでの20年育児に耐えうる精神力を持っているようには思えない。

 結局その政治家は世論から非難を浴び失脚した。


  



 

 子供を育てるということは愛玩物を可愛がるということとは違うし、自分の考えに無条件に従う人間を作ることでも無い。

 この政治家と研究者は、なぜ子供の成長に20年という月日をかけるかを理解していたのだろうか。

 現代の技術をもってすれば育児センターで成長促進システムを取り入れれば成人になるまで3年かからない。

 しかしそれは身体が成長したというだけだ。人間の脳の成長は20年になっても完成しない。だからこそ20年という長い年月をかけ、勉強、遊び、周囲の人間関係から自分が生きていく術を学んでいく。大人になってからの生き方の選択は個人に委ねられるべきだ。仕事をする、遊んで暮らす、家族を作る、1人で生きていく。メリットデメリットも含め本人が背負っていく。しかし全ての子供には身の安全と、同一のチャンスが与えられる必要がある。健全な子供は多くの確率で安定した大人になる。そしてそれは文明の発展に一番有益なのだ。



「先生もどうですか?この間我が家にお祝い届けに来てくれた時、うちの子抱っこして離さなかったじゃないですか。小説家として安定してるから収入面では問題ないでしょうし。なんならうちの出版社が証明書発行しますよ。先生ならメンタルの状態も安定しているし、精神鑑定でも問題ないと出ると思いますよ。お住まいはシェアハウスですよね。僕と同じ若い年代もいるから子育ての手もあるし。万が一先生が亡くなった後も安心じゃないですか」


 いちど彼と年配の人間への話し方をじっくり話し合う必要がありそうだ。


「そんな簡単には行かないよ。確かにシェアハウスにはわたしと同じように恋愛には興味は無いけど、子供を育ててみたいってやつは多いよ。だけど子供が生理的にダメってやつも少なからずいるんだよ。やっぱりそれぞれの意見は尊重されないと」


 魅力的なお誘いを断腸の思いで断る。正直気持ちはぐらぐらするが。この間抱かせてもらった幼い赤子が、ちっちゃい手でわたしの指を掴むのを思い出してしまった。


 赤子への愛情を語る彼の言葉に、わたしは幼少期を過ごした育児センターに思いを馳せた。

 育児センターはわたしが知る限り1番人間的な場所である。


 各星の色んな場所に設立されている育児センターは、子供の成長には人の手による温かいケアが必要であるという理念が第1原則である。

 センターには保育士、教師、カウンセラー、寮母、寮父、ボランティア、その他さまざまな人間が出入りする。


 周囲に常に目を配り、子供たちからどんな暴言を吐かれても全く動じない60代の寮母はゴッドマザーと呼ばれていた。


 思春期の多感な時期に寄り添うためにはと、勤務時間後も遅くまで勉強する新人男性スタッフ。


 赤ちゃんにミルクを上げるのだと、毎日授業を終えると制服も着替えずに新生児室に飛び込む男子学生。


 図書室にはリクエストに完璧に答えることが出来る司書教師がいた。彼女は30代という若さで子供達には今何の本が必要か精通していた。

 わたしが自分の存在が意味の無いものだと思い深く苦悩していた少年時代、彼女は一冊の本を差し出した。

 20世紀のナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者フランクルの『夜の霧』だった。


 【君が生きる意味や目的を、世界に問いかけたり、期待するのは間違っている。世界こそが君にそれを問いかけ、そして君に期待しているのだ】


 わたしは世界、そして彼女の期待に応えるため、猛然と小説を書き始めた。

 育児センターを卒業後も仕事をしながら出版社に持ち込みを続け、ようやく最初の本が出版できた時は真っ先に彼女に読んで貰った。

 育児センターの懐かしい図書室のカウンターで、彼女はトレードマークの眼鏡を外して泣き崩れた。

「良かったね、良かったね……」

と繰り返しながら。



 

 ひとしきり子供の話をしたところでようやく気が済んだのか、彼は話を変えた。


「そういえば出生の話で思い出しましたけど、今朝テレビで変わったニュース流していましたよ。もちろん【せかいのおわり】のお知らせではないですが」


 気になる口ぶりである。つい先を促してしまう。


「どんなニュースだい。朝は執筆に専念しているから、今日の事はまだ何も知らないんだ」


「このコロニーの空気調整システムの施設に入り込んで、薬品を大規模に散布しようとした犯人が捕まったそうです」


 思わず首をかしげた。そんなに興味深いことだろうか。


「よく聞く話じゃないか。毒物などを無差別にふりまこうとする愉快犯なんて。もしかして難攻不落と言われている、厳重な空気調整施設の警備をすり抜けたのかい」


「いえ建物に入ろうとした時点ですぐ捕まったそうです」


 ますますわからない。


「だったら他の事件と何が違うんだい?」

 

 したり顔で彼は語りだした。まだ若い編集者にとって、年配の作家に自分が教えるという立場は楽しいのかもしれない。


「散布しようとしていた薬品が非常に珍しいものだったそうです。原始の先祖たちが持っていた本能を無理やり呼び覚まし、古来行っていた生殖行動を行いたい気持ちを強制的に高める薬です。ニュースだけではわからなかったので調べてみたんですが、受胎センターによる出生システムが出来る前は、設備等は使わず女性体と男性体が原始的な方法で受胎していたそうです。まだ地球に残っている野生の動物ではそうした繁殖方法が見られるそうですが」


 妙に胸騒ぎがした。これ以上、犯人の動機を知りたくないという気持ちが。しかしわたしの心境を知らない彼は話を続けた。普段の彼は非常に空気を読む。編集という仕事柄だろうか。遠慮のない発言は彼の綿密な計算の上だ。

 その彼が目の前の人間の様子に全く気が付いていない。わたしがこの話題で感情を害する可能性があるなどと微塵も考えていないのだろう。


「薬を流そうとした犯人は、その古来からの本能が残っていたそうです。そして自分のような人間がいないことに幼少期から絶望していた。絶望はやがて執念に変わった。自分のような本能を持つ人間を増やすために、薬品開発に至ったということだそうです」


 やはりわたしが考えた理由と同じ動機だった。机の上のコーヒーカップを両の掌で押さえつける。動揺を落ち着かせるためだが全く効き目はない。カップはわたしの手の震えによりカチャカチャと音を立てている。さっきコーヒーを飲み干しておいたことに感謝する。そんなわたしの姿が目に入らないのか無情にも彼は話を続ける。


「だけどわからないんですよね。その古来からの本能を満たすためには相手が必要だってことはわかりますよ。だけどそれは意中の相手だけでいいんじゃないですか。どうして無差別で薬をばらまこうなんて……」


「わたしにはわかるな。犯人の気持ちが……」

 

 もうやめてくれ!!これ以上聞いていたくなくて彼の話を遮った。


 キョトンとする担当。犯人の心理、そしてわたしの発言がよほど理解不能なのか。


「わたしには彼の気持ちが手に取るようにわかる。君は自分が他の人とは違う感情の動きをすると心の底から感じたことはあるかい。自分は完全に異質な存在だと。わたしは恋をした事は無い。男性、女性といった性別に関係なく、たった一人を求め、また相手からも求められたいという感情を知らない。おそらくこれからも知ることはないだろう」


 彼は明らかに動揺していた。自分がまずい発言をしたことに気が付いたのだろう。必死に話題を取り繕うとしている。


「しかし、それはあなただけではないじゃないですか」


 慌てたように彼は言い募る。事実なのに何故かそれは彼の言い訳に聞こえた。彼の顔を見たくなくて、カップを持っている手元を見つめ続ける。


「そうだ。わたしのように特定のパートナーを欲しない人間は100人に1人の割合で存在する。わたしが住んでいるシェアハウスはそういった人間の集まりだ。だからわたしは孤独を感じることはない。子供の頃は恐怖だった。わたしは育児センター出身だった。そこではありとあらゆる年代の子供が集められていた。周りの子供たちは成長するにつれ好みの相手を見つけていった。正直に言って理解が出来なかった。嫉妬や独占欲。なぜ効率的でない感情を持つのかと。そしてそんな【恋】という感情を持たないわたしは、欠落した人間なのではないかと。初めて一般教育で世界には異性や同性を愛する人間、 そしてわたしのように恋愛感情を他者に抱かない人間が他にもいると知ってどれだけ安心したか。自分と同じように【恋】をしない人間に最初に会った時にどれだけ高揚したか。説明なしで自分の感覚が伝わる相手にどれだけ心地よさを覚えたか」


「それで先生ほどの有名な作家になっても、若者たちとシェアハウスで暮らしているんですね」


 彼の声は明らかに震えいていた。もしかしたらわたしがシェアハウスに住み続けるのを、守銭奴だとからかった過去の自分の発言も思い出したのかもしれない。

 普段のわたしは、心のうちを不必要にはさらけ出さない。気になる発言についても笑って流すようにしている。もちろん自分に恋愛感情が無いことは周囲に周知している。しかし当事者以外に疎外感をわかってもらうのは困難を極める。わたし自身も心無い言葉を何度もぶつけられた来た。正直に言うと、我々のコミュニティには死を選ぼうとした仲間も多い。赤の他人から、それで生きている意味があるのかと言われて傷つかない人間はいるだろうか。


 彼の表情を見ないようにしながら話を続ける。


「おなじ性質を持つものとは無条件で分かり合える事がある。それは年代や性別、仕事や生まれた時の環境の違いを時に凌駕する。もちろん一枚岩ではない。さっきも言ったように子供に対する感情だけでも様々な人間がいる。しかし少数派の我々は同質というだけで大多数派の人間が信じられないであろう連帯感を感じる」



「……それで薬品を流布しようとした犯人の気持ちがわかるというのは?」


 苦悩するわたしの姿を前にして、言いにくそうに彼は聞いてきた。本当は聞きたくないだろう。しかし彼は自分が始めたトラブルの責任を取りたいのかもしれない。責任感の強い彼に、大人げなく八つ当たりのように感情をぶつける。


「おそらく彼は本当に1人だったのだろう。そのような原始の感情を持つという人間は今まで聞いたことはないから。自分が異質だと知り、仲間を必死に探して、見つからなかった時の絶望感。そして世界の方がおかしいのだと呪い、自分と同じような人間に変えようとする心理。わたしには手に取るようにわかる。わたしには仲間がいた。しかし彼のように1人だったら、わたしも同じように世界を呪い、薬を撒こうとするかもしれない……」


 沈黙が流れた。

 重苦しい雰囲気を変えようと、何かをしゃべろうとするが上手くいかない。そして彼の表情を見る勇気もなかった。もしかしたら担当を変えてもらわなければいけないかもしれない。わたしの孤独はあくまで自分の問題だ。彼が大多数派だからと言ってわたしに非難されるいわれは無い。

 もしかしたらわたしは彼に嫉妬していたかもしれない。まだ自分が異端だと気づいていなかったセンター時代。自分が手に入れられると疑ってすらいなかった、普通の家庭を築いている彼を。

 もう抱くことが出来ないであろう、彼の娘。わたしの手を掴んだ幼子の小さい手の温かさが、蜃気楼のように儚くなったことを感じた。


「大丈夫、あなたはそんな薬はバラ撒きませんよ」


 どのくらいたってからだろう。重すぎる沈黙を終わらせてくれたのは彼からだった。声音からは何かを吹っ切ったような決意を感じる。彼と目線を合わせる勇気が出ず、下を向いたままのわたしに繰り返すように彼は語り続ける。


「大丈夫です。先生が世界でたった1人の恋をしない人間だったら、苦しむかもしれません。もがいて、孤独に泣いて、そして薬をつくりあげるかもしれない。そして本当に1人が辛かったら、きっと先生自身が飲みます。他の人と同じように【恋】が出来る薬を。自分自身の感情や思いを捨ててでも。罪を犯そうとした他人の孤独にまで思いやれる優しすぎるあなたなら」


 恐る恐る顔を上げた。彼は穏やかな表情をしていた。なんの気負いもない。なぜか本心から言っていると信じられた。

 30歳以上も年上のわたしにまるで教え諭すように。もしかしたら彼は、最愛の娘に常にこのような語り口で話しかけているのかもしれない。

 わたしが彼に怒りを吐露した理由。たぶんわたしは存在することを赦されたかったんだろう。同じ少数の仲間ではなく、違う価値観で生きている人間たちから。

 

 もし、自分が世界でたった1人の恋をしない人間だったとしても、やっていけるような気がした。目の前の彼のように、そのままの自分でよいと言ってくれる人が、たった1人でもいるなら。


「……君もずいぶん詩的な表現が出来るんだね」


 いつもの得意顔の彼が帰ってきた。


「そりゃあ、僕は先生の作品の愛読者ですから。僕みたいな熱心なファンのために早く次の作品を完成させてくださいよ。締め切りに間に合ったら、我が家の天使を抱っこさせてあげますから」


 彼の軽口に思わず涙がこぼれそうになる。見られたくなくて再び下を向いた。


 わたしには慈しんで育てた我が子はいない。もしかしたら目の前の彼は、わたしが以前に受胎センターに提出した精子によって、誕生した子供かもしれない。

 だがそれは、ただわたしの遺伝子を引き継いでいるという事実だけだ。心を通わせ育て、成長を喜ぶ親子とは全く違う。

 しかしわたしは全ての子供が家庭、育児センターと育つ環境が違っても幸せに過ごせることを願っている。


 わたしにはたった1人と定めたパートナーはいない。時に嫉妬で身を裂くような痛みを覚え、同じ気持ちを返してもらえないことに絶望し、出会えた運命に心から感謝して、情熱を捧げる相手は……

 しかしわたしは、この月や水星もしくは火星のコロニー、原始の惑星である地球に暮らしている全ての人々が愛おしくてたまらない。


 わたしは死を迎える最期の瞬間でも、自分の人生を後悔することは無いだろう。

最高の環境で幸せな子供時代を過ごす事が出来た。

 孤独に苦しんだわたしに仲間がいると知り、渇きを癒すことが出来た。

 物語りを紡ぐという天職に巡り合うことができ、たくさんの人がそれを読んで喜んでくれた。



 テーブルの上の打ち合わせの途中だった、小説のラフ案がふと目にはいった。




 朝テレビのスイッチをいれると、ニュースキャスターが「おはようございます。せかいのおわりまであと七日になりました」と言う。




 世界が終わりになるときでも、わたしには一緒に過ごす愛する家族はいない。

 同じようなシェアハウスの仲間と無駄口を叩いているか、それともたった1人自室で過ごすか。

 わたしは人を愛したことが無い寂しい人生だったかもしれない。

 しかしわたしはこの世界を、自分の人生を愛していた、と終わりを迎えることが出来る。



 出来れば締め切り(せかいのおわり)までに、この世界へのラブレター(恋文)だけ書き上げたいが。

 





【アセクシャル】 用語解説

他者に対して性的欲求・恋愛感情を抱かないセクシャリティ。人口に占める割合は1%ほどとされている

一次選考を通過できなかったことを知った日は一日荒れました。

原因がわかった方、ぜひアドバイスを頂きたいです。


誤字脱字報告もありがたいです。

感想もお待ちしています。

星もお待ちしています。


それでは次作でお会いできるのを楽しみにしております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公はとても思慮深く、他の方々への優しさに溢れたひとだと思いました。 自身がかつて孤独を感じていたからかも知れませんが、傷付いたことがあるひとはその分周囲に優しくなれるのだと思います。 無…
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