5.覚悟はできておいでですか?
「さすがはお姉さま。まさかこんなにも早くアーノルドが見つかってしまうとはね」
「あなたがやることが雑なのよ」
「あらやだ。まるで私のことなど全てわかってるみたいな言い方。萌える」
閉口する。
私とアーノルドは互いを守ろうとするように自然と抱き合い、オリビアに対峙した。
オリビアは眉根を寄せてアーノルドを睨んでいたけれど、しばらくして、ふうと息を吐き出した。
「わかったわ。そんなにアーノルドがいいなら、認めるわ」
何故妹に許可をもらわないといけないのかわからないけれど「ありがとう?」と頷いておいた。
面倒はないにこしたことはない。
「その代わり、ずっとこの邸にいてもらうわ」
「どういうこと?」
「私がこの家を継げばいいのよ。それで、お姉さまたちを養ってあげるわ」
「そんなこと、お父様が許すはず……」
あるかも。
父はオリビアに激甘だった。
母はもう亡くなっているし。
「大丈夫よ、この家が存続することがお父様の願いなんだから。お姉さまがずうっとこの邸にいてくれるというなら、アーノルドへの意地悪ももうやめるわ」
本当に?
あまりの疑わしさに私は眉を顰めた。
しかもアーノルドに意地悪してたのか。知らなかったし。
そこに、お決まりの邪魔第二弾が現れた。
「話は聞いた!」
「そのようなことを勝手に決められては困る!」
金髪のローレンスと銀髪のイージスだった。
なんか二人セットで仲良く行動するの、双子みたいだな。
互いに抜け駆けを牽制してるからなのかもしれないけど。
「あなた方は、私の婚約者候補のうちの一人になればいいのです。私は金でも銀でも他の方でも構わないし、より貢いでくれた方に決めようかと思っていたけれど――。お姉さまに危害を加える人は別よ」
オリビアの言葉に、イージスが眉をひそめた。
「なんだと?」
「私が気づかないと思っていて? 私はお姉さまのことなら全て知ってるのよ、見くびらないでいただきたいわ」
「なんのことだ……?」
イージスの眉間の皺が深くなった。
アーノルドはオリビアが言わんとしていることを知っているのか、黙っていた。
ローレンスも何も言わず、成り行きを見守っていたがその顔は渋く歪められていた。
オリビアはそんなローレンスをちらりと一瞥する。
「お姉さまは一度目を覚ましたのよ。その時は記憶を失ってなどいなかった」
そう。確かに最初は夜逃げするのだと勘違いしたオリビアに追いかけられて、階段から転げ落ちた。
だけど記憶を失ったのではなく、その時の衝撃で前世のことを思い出した。
「ただとあることがあって、お姉さまは混乱していたわ。アーノルドが話を聞いて、宥めて――そしてお姉さまは落ち着いてから改めてアーノルドとお話をしようと思っていたのでしょう」
本当に何でも知っているんだなと驚愕する。
一体どこで見ていたのか。それともアーノルドから聞いたのか?
「ところが。そこの金髪クソ野郎がお姉さまに夜這いをかけようとしたのよ。アーノルドに気持ちがあることを知っていたんでしょう。浅はかにも、それなら体を手に入れてしまえばいいとでも思ったんでしょうね。慌てて逃げたお姉さまは再び階段から転げ落ちて、そして記憶を失った」
ローレンスは醜く顔を歪めると、荒々しい声を上げた。
「だっておかしいでしょう! 伯爵家のイージスを選ぶならまだわかる。だが見目麗しいこの私に見向きもしないどころか、執事にとられるなど、醜聞もいいところだ!」
「ゲスが。寝ている女を一方的に襲おうとした時点で醜聞以上の鬼畜だよ」
オオオ、オリビア?
口調が変わり過ぎですわよ?
「お姉さま。私がお話ししたことと事実に相違はありませんわね?」
今度は私に対してまで馬鹿丁寧に言って、私は慌ててこくこくと頷く。
怒ってる。オリビアがこれ以上もなく怒っている。
「確固たる証拠を突きつけるまではのらりくらりと逃げられてはかないませんので泳がしておりましたけれども。おかげでお姉さまが寝てる間はずっと人をつけておかなければならなくて大変でしたわ。邸の中のことが滞ってしまってまあ、不便なことこの上ない」
そんな中レモン汁なんて絞らせて持って来させたオリビアも相当だと思うけど。
けど、だから使用人たちまで揃って並んでいたのかと納得する。
そして目覚めたときに人の気配に一瞬恐怖が沸いたのは、ローレンスのことがあったからだったのだ。
「そういうわけで、ローレンス様には即刻この邸から退場願いましょう。お父様には既に手紙を出してあります。お家の方からもしかるべき処置が下されるでしょうけれども、せいぜい言い訳に励んでくださいね。何と言おうと事実は覆りはしませんけれどもね?」
オリビアに遥か高みから蔑む視線を送られ、ローレンスはくっと唇を歪めてそっぽを向く。
それからアーノルドにきっと顔を向け、文句を言おうと口を開いた。
が。
その顔はすぐに蒼白になり、何も言わないまま口元をきつく結び、部屋を出て行った。
アーノルド。
あなたは一体どんな顔をしていたの。
覗いて見ようとしたら、くるりと振り返ったアーノルドがにこりと私に笑みを向けた。
私もつられてにこりと笑みを返す。
アーノルドは怒ると怖いらしい。気を付けよう。
「まさかそんなことが起きていたとはな。ローレンスがずっとアイリスの様子を見守りたいとか言うものだから、俺も引くわけにはいかんと侍っていたのだが」
イージスが銀髪をさらりとかきあげた。
本当にこの人は格好いいのは顔だけで、毒にも薬にもならない人だな。
「イージス様。それではお姉さまのことはもうよろしいわね? あなたがクズ金髪に張り付いていてくれたおかげで、お姉さまが危険に晒されることはなかったし。その点は評価してさしあげてもいいわ。ゲス金髪と二人で競っていたときとは違って、他の男たちより一歩抜きんでた状態からスタートできるのだから、あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」
「まあ、妹に変わったところで、結婚が決まる時期が少々遅くなるだけだからな。勝算のない相手よりよほどいい」
そう答えると、オリビアの目が蔑むようにふっと細められた。
――ほーぅら。お姉さまでなくてもよかったんじゃない。
そう言いたげに。
イージス。あなたの手に負えるような子じゃないわよ。
そう言ってあげたかったけど、もはや私にそんなことを言える権利はない。
黙って見守るほかない。
「じゃ。そういうことでお姉さまたちはとりあえず私の部屋から出て行って」
あなたがアーノルドを監禁したからここにいるんだけどね。
「夜になってお父様が帰っていらしたら、アーノルドも交えて改めて話をしましょう」
ぺいっと部屋を追い出されたとき、少しだけオリビアの目が赤くなっていることに気が付いた。
だから私は、「ありがとう」と一言いって、オリビアをぎゅっと抱きしめた。オリビアの巨乳が姉妹のハグを阻んだけれど、オリビアは顔を真っ赤にして「べつにっ」と私をどんと突き飛ばした。
ツンデレが過ぎる。
◇
私はアーノルドを連れて私の部屋に戻った。
扉を閉めた途端。
アーノルドがくるりと私を振り返り、私を壁に縫い留めた。
「アーノ……」
名前を呼ぶために開いた口は、アーノルドの柔らかな唇に塞がれた。
どうやって息をすればいいのかわからなくなる頃、やっとアーノルドの口が寂しげに離れる。
アーノルドは物足りなそうに私の唇を指でなぞった。
「……このままでは許してもらえるものも許してもらえなくなりそうですね。今日はここまでで我慢します。ようやっとあなたが手に入ったのですから」
そうだった。まだ父の許可が下りていないのだった。
そっとその身を離すと、手はまだ私の頬に触れたまま、アーノルドは苦笑した。
「すべてオリビア様に持っていかれてしまいましたね。あそこで執事風情が伯爵家の方に物申すこともできませんから、仕方のないことではありますが。そんな己の身がひどくもどかしい」
苦悩に満ちたその目に、私は笑って返した。
「オリビアに入れ知恵をしたのはアーノルドでしょう? あの子があそこまで頭が回るなら、感情のままに私を追いかけまわして階段から転げ落ちたりなんてさせないわ」
オリビアなら、ただ責め立てて終わったことだろう。
父に手紙を出すところまでオリビアが考えるわけがない。
そう言うと、アーノルドはふっと口元で笑った。
いつもこうやって裏で暗躍してたのかなと思うと恐ろしい気もするけれど、苦笑しか沸かない。どんな腹黒さも、全部私のためだってわかってるから。
とにかく私達が一緒に生きられる道ができた。オリビアに養ってもらうわけにはいかないからこれからのことは改めて考えないといけないけれど。
それでも、私は明日を生きていける気がした。
アーノルドが一緒なら、何でもできる。そう思えた。
見目麗しい金髪でも銀髪でもなく。
この国ではありきたりな黒髪だけれど。
私は私の心に寄り添ってくれる、この黒髪のアーノルドが一番大事なのだ。
「アーノルド。好き」
胸の奥から何かが溢れそうで、堪らなくなってそう口にすると、アーノルドは三日月のように笑った。
「知ってます」
そうして再び、優しい口づけが落とされた。
「もうあなたを離しませんよ」
アーノルドの唇は、言葉を紡ぐよりも雄弁だった。