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4.あなたは誰と生きますか?

「何のことでしょう」


 アーノルドは私としっかり目を合わせて、そう訊ね返した。

 その瞳は真っ直ぐで揺らいでなどいない。


「アーノルド。あなた、私のことが好きでしょう」


「相変わらず不遜な方ですね。何故私に向かって訊くのです? ご自分でご自分のこともわからないような方が、周りの、どうでもいい人間のことなど知ってなんだというのです。あなたの明日に差し障りがあるわけでもなし」


 彼はどこまでも執事でいようとする。

 だけどその頑ななまでの冷たさが、何かの裏返しのように見えた。


「新月の日。夜の十二時。裏庭のオリーブの木の所で待ち合わせていた。私はそこで待つ人に好きだと伝えるために、走っていたのよ」


 行かなくちゃ。

 急き立てられるようにそう思っていたことを思い出す。

 けれど私は追われていた。

 巨乳をぼいんぼいんと揺らしながら迫りくる彼女に。


『あいつと夜逃げするなんて、許さないわ!』


 そう激しく罵られながら。

 夜逃げじゃない。誤解よ! そう言ったのにオリビアは聞かなかった。

 そうして手を伸ばしたあの子に、スカートの裾を掴まれた。


 そうだ。

 それで階段から落ちたのだ。


「――思い出したのですか?」


「金でも銀でもない。私が欲しかったのは黒よ。いつも私の傍にいた、あなたよ、アーノルド」


 それだけを言って、私は痛みに耐え切れず意識を手放した。


     ◇


 はっと気が付くと、そこにあったのは青い空じゃなくて、見知った天井だった。

 そうだ。この天井を知っている。毎日見ていた。


 そっと体を起こすと、そこにはまた人々が居並んでいた。

 私が目覚めたことにほっとしたように肩を下ろす。


 反対に私はびくりと肩を揺らした。

 目覚めたらそこに人がいるとか、それがどれだけ驚くことかこの人たちは知らないのだ。

 まったく、何度目のことか。


 まあ、それも私が死んでしまうかもとか心配をしてくれた故なのかもしれないけど。


「気づかれましたか?!」


「記憶が戻ったと聞いたが、まさかまた記憶を失っているのでは――」


 金髪のローレンスと銀髪のイージスがはっと気が付いてベッドサイドに駆け寄った。


「いえ、大丈夫です。ちゃんと覚えています」


 妹に殺されかけたことも。まあ、殺意はなかったと思うのだけれど。たぶん。

 居並ぶ顔の中に、黒髪銀縁眼鏡を探す。


「誰をお探しですか?」


 ローレンスに言われ、私は答えに戸惑う。


「アーノルドならいないわよ」


 またもや部屋の外からオリビアが言った。

 何故だか半笑いを浮かべている。

 私は怪訝に眉をひそめた。


「いない、って、どういうこと?」


「出て行ったわよ。自分が邪魔にしかならないと悟って」


 瞬時に私はベッドから飛び降りた。


「アイリス嬢!?」


「どこへ!」


 金と銀が私に手を伸ばしたのを、するりと躱す。

 もう、捕まりはしない。


「少々用ができました。ティールームの方でお待ちください。みなさんで私の寝室にいられるのは、とてつもなく気恥ずかしいので」


 口早にそれだけを言って、私は部屋を飛び出そうとした。

 その手をオリビアがはしっと掴むけれど、すぐに振り払う。


「お姉さま! 無駄よ! 彼はもうここにはいないのよ」


 オリビアの声が言ったけれど、私はかまわなかった。

 玄関の方へ向かうとオリビアは私を追うのをやめた。

 それを見て私は確信した。

 一度玄関を出て、庭へと回る。

 そして一階の適当な窓から再び中へと入ると、二階のオリビアの部屋へと向かった。

 ノックはせずに、そっとドアを開ける。


 思った通りだった。

 そこには手足を縛られたアーノルドがいた。

 おまけにさるぐつわまで噛まされている。


 まったく、あの子は本当に――。


 呆れながら、私は手早くアーノルドの拘束を解いた。


「アイリス様、何故ここがおわかりに」


「私が外へあなたを探しに行ったら、オリビアが追いかけるのをやめたから。絶対に会えないと思ったからでしょうね」


 だからまだ邸の中にいると思った。


「アーノルドが私を置いて一人で出て行くわけないわ。それくらいだったら、最初からあんな約束はしないもの」


 一緒に生きてくれませんか。

 アーノルドは言った。

 私もずっとアーノルドが好きだった。

 全てを捨ててもいいと覚悟をして、父にアーノルドと生きることを許してもらいに行くはずだった。


 けれど、そこで予想外の事が起きた。

 頭に衝撃を受けたことで、前世を思い出したのだ。

 前世で私は恋をしていた。

 それを混乱のままに、アーノルドに全て話してしまった。

 記憶の整理がついたころ、アーノルドに問いかけられた。


『前世のその方のことはまだ忘れていないのですよね? いえ、あなたにとってはつい先程の出来事なのでしょうから、忘れるも何も、まさに今、その方が好きなんですよね』


 そんなことはない。確かに前世の記憶は昨日のことのように思い出せたけれど、私は前世の私とは違う。

 私はもうアイリスとして十六年も生きてきたのだから。


『私と、どちらが好きですか』


 そうだ。前にもそんな風に問われていたのだ。


 でも比べるまでもない。前世での恋は、憧れのような恋でしかなかったから。

 アーノルドに対する、ずっと傍にいたいと(こいねが)うようなものではなかった。

 誰にもとられたくない。誰にも触れさせたくない。ずっと私を見ていてほしい。

 そんな風に思ったのは、前世でも現世でも、アーノルドただ一人だった。


 あまりに想いが溢れすぎて、自分でそれを持て余していた。

 幼馴染ではありながらも、長い時間を執事と伯爵家の娘として接してきたから、急に向けられたその熱い視線に顔が赤らみ、喉が塞がってしまって、声が出せなかった。


 そのせいで誤解をされてしまった。


『今はまだその方のことが好きでもいい。私には未来がありますから、これからもっと私を好きになっていただきます。だから私を選んでください』


 苦しげに眉を寄せたアーノルドの顔が愛しくて。

 請われているのだと知るとあまりの熱に体が動かせなくなった。

 心臓がばくばくしていて、物事がうまく考えられなかった。

 そしてアーノルドは言ったのだ。

 気持ちの整理がついたら、もう一度気持ちを聞かせてほしいと。

 そしてあの日、アーノルドと約束した待ち合わせの場所に向かうところだったのだ。


「アーノルド、あなたが好きよ。前世も現世も関係ない、私が一緒に生きたいと思うのはあなただけ。例えお父様に許されなくても」


 あの日言うつもりだった言葉を告げれば、アーノルドは苦しげに顔を歪めた。

 何かを堪えるようにぐっと歯を噛みしめ、アーノルドはそっと私の頬に手を伸ばした。


「あなたがすべてを忘れてしまったなら、それでもいいと思いました。忘れることで、あなたがこの世界でちゃんとした幸せを手に入れられるなら」


「そんなかりそめの幸せなんていらないわ」


「本当にいいんですね」


「ええ。そう伝えるつもりだったの」


 私もアーノルドの頬に手を伸ばした。

 どちらからとなく、互いの顔がそっと近づいていく。


「そうはいきませんわ!」


 と、そこでお約束の声が止めに入った。

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