第1幕ー20 崩壊を招いた令嬢(下)
第1幕はこれにて終幕
ブリオネス公爵が呆れた視線をマリアに投げかける。まさかマリアがこのような反応をするとは思ってもみなかったようだった。
私はブリオネス公爵の反応が新鮮だった。彼はどこまでも冷静で、全体を見渡しているようだ。アルベルトがマリアと婚姻を結んだ場合、政治的変化も含めて考えている。今なら私は彼の胸中が分かる気がする。
きっとやっかいだと思っているに違いない。
ブロトンス侯爵が可哀そうなものを見る目でブリオネス公爵を見ていた。
「夫人が言ったように、王妃派側妃派と呼ばれる派閥を1つに纏め上げ、結束を固めるという事だけならばアルベルト殿下とカレスティア嬢の縁談は悪くは無い。しかし東の国境付近、それがアルベルト殿下が賜る土地なのだが、そこを開発する為に結ばれた婚約なのだよ。もちろん成果が出るまで王都へは戻れないし、開発費もかかる。カレスティア家にそんな余裕や伝手は無いはずだ。それでも君は婚約すると言えるのかね?」
子供でも分かるようにかみ砕いて説明されてマリアは涙に濡れた目でブリオネス公爵を恨みがましい目で見た。これだけで、もう色々と駄目だろう。横目でカレスティア伯爵が伯母とマリアを睨んでいる。
ずっとカレスティア伯爵が避け続けたのと、伯母がマリアをとことん甘やかして育てた結果だ。マリアに常識について問う事も矯正する時間もとうに過ぎた。まともな常識を持っていれば私は5度も婚約破棄される事は無かったし、6度目の婚約だってここまで色々工作せずに済んだのだから。
まぁ……実際の所私も伯母とマリアがここまでとは思わなかったけれど。
「しかし公爵様、マリアは殿下を想うあまり手首を切ったのですよ!これほど思い詰めているのに諦めろとおっしゃるのですか?お金でしたら妹の家から援助してもらいます。姉妹ですもの、快く受け入れてくれますわ」
「……カレスティア夫人、そこまで仰るのならこれらを全て支払って頂いてからにしましょうか」
父が分厚くなった紙の束をテーブルに置いた。カレスティア伯爵は一目見て目を剥き、慌ててそれを手に取ってめくり始めた。
その紙の束は伯母とマリアが奪っていった物の請求書だった。下の方は紙が黄ばんでかなり前から溜めてきた物だと分かる。私がドロテアに用意させ父に渡した分も含まれていて、厚みはかなりのもの。これで殴ったら人を殺せるのではないだろうか。
「何です、これは……請求書⁉こんな昔からの物まで……親戚なのに⁈」
「余計な事は言わずに謝罪だけして頂けたならば、こちらもここで出すつもりは無かったのですがね。王室の借金を肩代わりした分、今まで我が家から勝手に持って行った品々の購入金額、これまでオリビアの婚約でかかった金額、全て支払って頂きます。もう何十年も前から請求書を送っていますが、一向に支払われておりません。夫人と妻がたとえ血が繋がっていなくとも姉妹だからと言って家のお金を当てにされては困るのですよ。もう別の家の人間なのですから筋だけはしっかり通して頂かないと」
「お前……隠していたのか?」
「痛っ……!隠してなんて……クレーエ家が捏造したのです!」
「捏造するには手が込みすぎだ。紙の黄ばみまで再現できない。どこまで迷惑をかければ気が済むんだ!」
ワナワナしながらカレスティア伯爵は伯母の腕を強くつかんで引っ張った。伯母はカレスティア邸の女主人。お金の管理も任されていた。
商会から請求書が届くと、かまどや暖炉に入れて灰にしていたから直接屋敷へ行って請求しても話にならないと思っていたようだ。クレーエ家を甘く見ていた証拠だ。
「だ…旦那様……それは違うのです。わたくしは知りません……」
「ハハッ!知らないと!これでもクレーエ家は商家ですよ?夫人は我々を馬鹿にしすぎでは?」
「こんな額払える訳が無い!!どうして黙っていた!やはりこんな女、妻にするんじゃなかった!!」
「そんな、旦那様……!これはクレーエ伯爵が勝手に言っているだけです。家には1枚もそのような請求書はありません」
「夫婦喧嘩は自分達の屋敷でしてくれますかね?たとえ夫人が捨てていようが燃やして証拠を隠滅していようが、こちらには控えがありますから言い逃れは出来ませんよ。ああ、それは持ち帰っていただいて結構です。疑わしいと思うなら思う存分お調べください。それは控えとして取っておいていた物なので」
ざっと見積もってもカレスティア家にそれを支払える程の資産は無いだろう。カレスティア家が月々得るお金に比べたら商売をしていた方が遥かに儲かる。
頑張って考えて交渉できる材料を作る事が出来れば減らせるかもしれないが。
「見るに耐えられない……。カレスティアの本邸は確か王都よりも静かな場所にあったな。全て片付いたら、そちらで当面療養してみては?」
ブリオネス公爵は薄く笑ってカレスティア伯爵を見据えて言った。実質公爵からの追放宣言だった。
それから数日が経ち、カレスティア伯爵が数人の使用人を引き連れて父を訪ねて来た。馬車から運び出されたのは、かつてクレーエ家にあった品々。
再び顔を合わせるまで壮絶な夫婦喧嘩が繰り広げられ、伯母は自室に閉じ込められ、マリアは貴族籍を除籍され神殿へ送り出された。いい加減身に染みて分かったのだろう。
一度は外へ放り出したものの、屋敷の前で喚き散らすため仕方なく伯母は自室に閉じ込めている。話くらいしてあげたら良いのに頭に血が上って拒絶しかしない。
カレスティア伯爵は屋敷中を探して伯母が勝手に持って行っていた物をあるだけ持って謝りに来た。あれからまともに眠れていない様子の彼は疲れ果てた様子。
そこから先は父とカレスティア伯爵の間で話し合い、上手くまとまった。
結局カレスティア伯爵は伯母を連れて北方にある本邸へ移り住む事にしたようで、3日と経たずに彼等は王都から出て行った。
それを知ってから数日後に私は母に付き合って、さして行きたくもない神殿へ足を運んだ。急に母が一緒に行こうと言い出して、1度は断ったもののしつこく誘ってきたので折れて一緒に行くことにしたのだ。
「ワタクシはこれから神官様と少しお話があるから、オリビアはそこで待っていてね」
「はい」
母は女性神官の元へ行ってしまい、暫く私は長椅子に座ってじっと祭壇を眺めていた。礼拝の日では無いので人が殆どおらず静かだ。母と神官の話し声が目立つくらいには。
王都の神殿は王族が利用する事もあり地方の神殿よりは綺麗で見ごたえがある。趣味の悪い女神像、あれだけはいただけない。あんなものはベラーク国だけだ。
そんな女神像の前でじっと祈っている神官が目に入って、まさかと思いながら凝視する。すると祈りが終わった神官が立ち上がり振り向いた。
「オリビアちゃん……?わたしを連れ出しに来てくれたの?ねぇ、この前の事は謝るからオリビアちゃんの屋敷で住まわせてくれない?」
マリアはすぐに気づき近寄って来て私にお願いをした。何も言われずに放り込まれたらしい彼女は自分がどうして神殿へ入れられたのか理解していなかった。
カレスティア伯爵は全く何も言わずに神殿と話だけ付けてマリアを置いて行ったのか……。ガックリしてしまって何も言えなくなった。
「ねぇ、聞いてる?ここは嫌なのよ。朝早いし、食事は美味しくないし、お茶は安い茶葉の味だし。それにおしゃれも出来ないのよ!それに見てよこの手!こんなにボロボロになってしまったの。それにね……」
「申し訳ありません。この者はお知り合いですか?」
マリアが私に詰め寄る様子を見ていた女性神官が間に入って聞いてきた。
「この者は最近入ったばかりの神官なのですが、どうも色んな人に迷惑をかけてばかりで。もしご不興を買ったのでしたら申し訳ございません」
「いえ、良いのよ。入ったばかりなら仕方ないもの」
「この人はわたしの従妹!従妹なのよ!」
「お黙りなさい!」
「残念ながら他人よ。母が戻ってきましたので……」
「クレーエ夫人の……!これは本当に失礼いたしました!!」
「ちょっと!痛い!痛いんだけど!!」
丁度母が話を終えたのが見えて私は立ち上がると女性神官がマリアの頭をぐっと押し頭を下げた。寄付やバザーなど母は積極的に神殿に関わっているので神殿としては大切な信者だ。今後の寄付金の事を考えると失礼な事は出来ない。
「オリビア、近くの喫茶店に寄ってから帰りましょう」
「はい、お母様」
「叔母様!マリアよ!!お願……」
「いい加減になさい!!」
視線だけを女性神官とマリアに一瞬だけ向けて、何も聞こえなかったかのように出口へと歩いて行ってしまった。母はどこまでも残酷だった。
マリアに向けて『ごめんね』と唇の動きだけで伝えた。かつてマリアが何度も私に伝えた言葉だ。
「…………っ!!!!オ……オリビアのくせにつ生意気よぉぉぉぉ!!」
「やぁねぇ……神殿なのに騒がしくして」
母の横顔はいつも通り微笑んでいて、マリアの事をどう思っているのか……。きっとこの質問の答えは決まっている。“可哀そう”それだけだ。
神殿を出ると昼の太陽が濃い影を作り出し、気持ちの良い風が吹いた。
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