第1幕ー2 新たな婚約と迷惑な客人
婚約破棄されて数日、父が書斎に私を呼び出してとても苦い顔をして婚姻の申し込みがある事を告げた。持参金もしくは援助目当ての家かと思っていたら意外な事に王室からである。相手はアルベルトだったという事も私をとても驚かせた。
アルベルトは燃えるような赤い髪と冬の空を思わせる薄い青色の目を持った凛々しい方だ。兄弟は弟と妹2人、うち弟と妹の1人は腹違いの兄妹である。
彼は第一王子だが、王太子は弟の第二王子である。政略結婚をした王妃の子よりも自身が愛する側妃が産んだ子を優先した結果だ。そういう訳でアルベルトは近い将来、公爵位を得て王領地の一部を治めることになっている。
つい先日議会にて王がアルベルトに1人で去るのでそれでは寂しいだろうと私を名指しで指名し、その通達が今日父の元に届いたのだ。王室が長年かけて積み上げてきた借金を清算する事が条件として盛り込まれている。クレーエ家としては利益の全く無い結婚話であるように思えた。
よくよく話を聞くとアルベルトが数年後賜る領地の利益の3割を受け取れる事になっており、その領地内であれば面倒な手続きを役所でせずとも様々な形態の商売をしても良いとなっている。
利益を受け取れるのは良いとして、2つ目の方は随分融通が利いている。裏があるのではないだろうかと勘繰ってしまう。何せ土地の場所の記載が無いので調べようが無いのだ。
国王から名指しで指名された以上断る事も出来ず、5度も婚約破棄された娘の結婚相手として良いと思える人物も思い当たらず、受け入れざるを得ない縁談。その前の縁談でさえ借金まみれの家の息子だったので大差無いと言えば無いのだろうが、今回ばかりは流石の父も苦虫を噛み潰した様子で受け入れ、私にこうして伝えているのである。
「どうせあの小賢しい女の指図だと思うと物凄く嫌だが……お前に次があるとも思えん」
「はぁ……」
父は王族が嫌いなのだ。何よりも今の国王が嫌いなのである。父曰く、“危機感の無い駄目な奴”だかららしい。実際国王は父の言う『小賢しい女』である側妃の言いなりで、湯水のようにお金を使うから税が年々上がっている。それでも賄えず王城は借金が膨れ上がっているのだ。
アルベルトの事も国王同様気に入らない様子だが結婚を認めたとなると、それなりには認めているらしい。
私もマリアと離れられるのなら文句は無い。どうせもう結婚は無理だろうと思っていたのだ。彼ならば知らない仲では無いし、楽しく生きていけるだろう。
「アルベルト殿下ならばお前を幸せにしてくれるだろう」
「納得しているのでしたらその顔はやめません?」
クルリと窓の方へ向いて私から表情を見えなくした。しかし、庭の手入れをしていた庭師が見て叫び声を上げた。窓から薄ら見える父の無理矢理な笑みに凄味があり、鬼か悪魔のような形相に見える。
直に見てしまった哀れな庭師は腰を抜かして地面に尻餅をついたまま暫く動けずにいたくらいだった。彼は運が悪かったと思う。
1度も顔を合わせずに書類のやりとりのみで婚約が結ばれてから数日、アルベルトが初めて屋敷を訪ねてきた。準備しておいた部屋に通しておいてもらい、私は鏡の前で服装を確認をして私室を出た。
待たせている部屋へ行くとアルベルトはじっと窓の外を眺めていた。家で雇っている庭師の努力が詰まった自慢の庭だ。異国風に造られた庭で池の上に橋がかかっており、そこを渡ると四阿と呼ばれる建物がある。
「どう?」
「中々風変わりな庭だな」
「折角来たのなら四阿に行ってみる?」
「ああ、行ってみたい」
「そう言うと思っていたわ」
ガラス張りの大きな窓を開いて外へ出るとアルベルトも続いて出てくる。短く刈られた芝生の上に平べったい大きな敷石が埋められていて、その上を歩く。
「こうして近づいてみると綺麗だな……あれは睡蓮だろう?本で見たが実物は初めてだ」
「ええ、取ろうと思わないでね。この池はかなり深いから」
池には白や黄、ピンク色の花がチラホラ咲いている。昔取ろうとして溺れそうになった事を思い出し忠告をした。
四阿に着くと水の香りから緑の香りに切り替わる。夏の香りだ。
小さなテーブルと長椅子が設置されており、それも他では見ない種類の形だ。ここに来ると思っていたから前もってクッションやら色々持ち込んで準備されていた。
「……急な話で驚いただろう?」
並んで座り、暫く言葉を交わさずに池を眺めているとアルベルトが話しかけてきた。
「ええ、まぁ。でも納得はしているわ」
「すまない……オリビアを巻き込む形になってしまって」
「何を謝るの?5度も婚約破棄された女を貰ってくれるのなら有難いと思うわよ。アルとなら楽しく過ごせそうだし、悪い話じゃないと思っているわ」
「そうか、ありがとう。一生をかけて大切にする」
微笑んで顔にかかった髪を払ってくれた。
それからもう暫く庭を眺めてアルベルトが王城へと帰って行った。
彼と入れ違いでカレスティア家の馬車が止まり、伯母が降りてきた。
「あら、出迎え?」
扇をバサリと広げ、ツンと顔を上に向けて伯母が偉そうに言った。予定より早く来た伯母を部屋に案内し、母を呼びに行った。
伯母はしょっちゅう母を訪ねて来る。特にここ数年は私が誰かと婚約を交わした後、1週間以内に必ず来る。マリアがまた私と婚約した相手に横恋慕するから、その相手を細かく知ろうとする。
次のマリアの恋人になるであろう人物を探りに来るのだ。
今回の相手にも伯母は難色を示すのだろう。否定しかしない伯母だから、やっぱり否定するために来ているのだ。
よくもまぁ母はそれをニコニコと聞いていられるものだと感心さえする。
母と伯母の間に血の繋がりは無い。母の生家イングレース子爵家へ後妻として入ってきた人の連れ子である。
母には昔から婚約者がいて、それがカレスティア伯爵である。見目が良く、将来有望となれば母や伯母と同じ年頃の令嬢達が目の色を変えて狙うような人物だったという。当の本人達は兄妹のような親友のような関係で、結婚しても穏やかな生活ができたのかもしれない。
どういう経緯で母から伯母に変えたのか触れられたことは無いが、幼い頃から見ていれば大方伯母が略奪したのだろうと勝手に推察している。伯母は訪ねる度にあれこれ頂戴と言って持って行くのだから。
今では屋敷の中が質素になっている。彩として花が飾られている程度で絵画や彫刻などの美術品はおろか、家具やインテリアは無駄な装飾の無いシンプルさ。掃除をするメイド達にとって大変助かる状態になっている。
私が思うに伯母は欲しがりなのだ。それを幼い頃から見てきたマリアが同じように育ってしまったから現在の迷惑な状態になっている。
略奪後は周囲の評判や私の迷惑を考えて速やかに結婚してしまって欲しいのだが、伯母がえり好みして難色を示し続けている間にマリアがまた私の婚約者に恋をするという終わらないスパイラルに陥っている。
婚約する前に他の人を運命だと言って数ヶ月で捨ててしまうのだから本当に迷惑この上ない。私が5度も婚約破棄を受ける羽目になっているのは伯母のせいでもあった。
その伯母がマリアと今の恋人、つい先日私と婚約破棄をしたロベルト・バレンスエラの愚痴を零している。
「全くあの子の気が知れないわ。何を考えているのかしら。今にも潰れそうな家の3男を好きだなんて言うのよ」
「あらまぁ」
「どうせ長く持たないと分かっていても、一時でもそんな家の人と恋人だなんて周囲の笑い者だわ。それにね、あの3男はバレンスエラ子爵と使用人との間にできた子だというじゃない。平民の血が混じった子だなんて汚らわしいわ」
「あらまぁ」
「ああ!全く誰に似たのかしら!」
「あらまぁ」
ふふふっと母が笑いを零す。それを横目に伯母に似たのよと私は内心思っていた。
「そういえば、オリビアはまた婚約したのね。次はアルベルト第一王子だなんて可哀そうに。あの王子は第一王子なのに王になれないもの」
「はぁ……」
「陛下も考えが浅いわよね。もっと良い相手がいるのに選ばないなんて」
伯母は扇をゆったり扇ぎながら微笑む。伯母の顔はまたマリアに軍配が上がるのだから早々に諦めて騒ぎを起こす前に譲れ、と言っているように見えた。
その場に居ないアルベルトを貶める事を言って嫌悪感を抱かせようとしているのも、私が伯母に対してそういう印象を持つ後押しをした。
マリアが何度も人から婚約者を奪っているというのは社交界では有名だ。賭け事にすらなっているのだから伯母も知らないはずが無いだろうに。
それでも伯母はマリアが私から婚約者を略奪するのを止めない。周りの反応を全く気にしない辺り、潔すぎるくらいである。
私には伯母が気持ちの悪いもののように見えていた。義理でも母と姉妹じゃなければ関わりたく無い相手だ。
気が済むまでグチグチ言って、3日後に商会の従業員を寄越すよう伝え伯母は自分の屋敷へ帰って行った。
「本当に可哀そう。お姉様はずっと可哀そうだわ」
走り去る馬車を見送りながら母がニコニコして手を振りながら言った。
隣で母の言葉を聞いた私は「そうですね」とだけ答えた。