第1幕ー15 舞台の上の令嬢達 (上)
※※注意※※
・気分が悪くなる表現があります。
エルネストから偽のナイフを貰ったのは天啓だったと思う。偽りを本物のように思わせる事を思いついたのだから。
幼い頃からずっと奪い続けてきたマリアは私から奪うのは簡単だと思っている。成功した体験しかしていないから失敗するなんて全く思ってはいない。伯母も同様だったから、こんな簡単に出来るとは思ってもみなかった。
まさかこれをきっかけに全てを失わせようと画策していたなんて微塵も考えなかっただろう。
この夜をきっかけにカレスティア家は終わる。貴族として残れたとしても誰も見向きもしなくなる。そうなった時を私は見たいと思っているのだ。
醜く縋ってくるだろうか、それとも絶望に泣くのだろうか……。
人の注目を集めようとするのはとても緊張する。出来る限りの事はした、後は最後の一押しをするだけだ。目立たないように深く息を吸ってマリアを軽く睨みつける。
「マリア、人前で私の婚約者にくっつきすぎよ」
「えー?オリビアちゃん怖ぁい」
「人の婚約者にベタベタされて良い気分の女性がいるのか聞いてみたいものだわ。マリア、貴方はしたないとは思わないの?」
「でもでもぉ…オリビアちゃん、今日わたしのエスコートをしてくれる人がいなかったんだもん。少しくらい良いでしょ?それに……わたしとアルベルト様の気持ちは同じなんだから、そろそろ気づいて欲しいなぁ」
マリアが見上げ甘えた声で、アルベルトの腕をぎゅっと抱きしめて言う。アルベルトは困ったように私に視線を送ってきた。
「分からないわね。マリアのそれは勘違い。すぐに飽きてしまうじゃない」
「わたしは本気よ。心の底から本当に愛してしまったの。出会う順番が遅かっただけ。アルベルト様の為なら命だって惜しくないもん……」
「それ、何度目?ロベルトの時も、その前も……1人目の時から私の婚約者に対して同じ事を言っているわよね。今回だって本当かどうか怪しいわ。ねぇ、本当に命が惜しくないくらいアルの事を愛しているのか証明して見せて?命が惜しくないくらいに愛しているのでしょう?」
「う…ひっく……どぉしてそんな怖い事言うのぉ?……アルベルト様が手紙で今日選ぶって書いていたもん。つまりわたしを選ぶって事なんだよ?…ぐすっ。だからそんなの証明する必要なんてないんだから」
証明してみせろ、なんて言われると思っていなかったマリアはアルベルトの腕に顔をくっつけて泣き始めた。マリアお得意の嘘泣きだ。
うええ~んと泣いているマリアにアルベルトが引き気味になりながら疑問を口にした。
「何のことだ?俺はカレスティア嬢と手紙のやり取りなんてした事が無いのだが。誰と勘違いして手紙のやり取りなんてしていたんだ?」
「……えっ?」
バッと顔を上げたマリアの顔にはやはり涙の一筋も流れてはいなかった。
驚いた拍子に腕に抱き着いていたマリアの腕の力が緩み、その隙にアルベルトはぐっと押しやってマリアから距離を取る。想像と違う反応をアルベルトにされた事もマリアを更に動揺させていた。
伯母の話から推測するに、アルベルトと結婚さえできれば父親の権力で王城に住んで側妃のように贅沢な暮らしが出来ると思っている。きっとそこには伯母も住み着いて幸せに暮らしている事だろう。主に脳内で。
正しい情報を手に入れ、しっかり判断が出来ていれば不可能な事だと分かるのに、夢見がちな18歳の乙女であるマリアの脳内には都合の悪い話は右から左へと素通りしてしまっているようだ。
しかしここで引き下がるマリアではない。欲しがり奪いたがりのマリアは何が何でも手に入れようとする。それがマリアだ。
「で…でもでもっ!わたしがアルベルト様の事愛しているのは本当だもん!オリビアちゃんより、もっともーっと愛しているもん!アルベルト様だってわたしを選んだ方が幸せになれるんだから!」
まるで子供の言い訳のようにマリアは大きな声を出した。そのせいでチラチラ見る程度で済んでいた貴族達が堂々と見始めた。
「チッ……俺の気持ちは無視か。カレスティア嬢、君は多くの男性をとっかえひっかえしているだろう。俺は君の気持ちが疑わしいと思っている。本気だと言うのなら証明して見せて欲しいものだ」
ボソッと呟いてから薄っすら笑ってマリアに冷たく言い放った。アルベルトは明らかに怒っていた。
勝手に気持ちを決めつけられて怒らない訳が無い。私も嫌だと思うもの。
周囲にいる観客達は無責任に声を潜めて話し、クスクス笑う声がマリアを一層追いつめていく。
いつもならば私の婚約者だった男性達はマリアが死んだら自分の世界は一生夜のままだとか生きる意味が無いなどと言って止め、私を氷よりも冷たい女だと詰る。しかし場の空気はそれを許さない状態だ。特に女性陣がマリアに対してキツイ。
大広間に居る全ての人がマリアが命を懸けられるかどうか注目していた。どうせできやしないと思ってニヤニヤしながら見ている。全ての人がマリアの死を望んでいるように感じた。
なんて恐ろしいのだろう。全ての人から死を望まれるなんて余程の事だ。長い歴史の中でも王などの国家権力者くらいではないだろうか。私から婚約者を奪おうとしているだけだったのに、こんな事になるなんて思ってもみなかっただろうに。
マリアはぐるりと1周見渡して、自分の置かれている状況に気づいて顔色が青くなった。
「証明しようにも道具が無いのね」
「うん……だから出来ないよ…でもオリビアちゃんは信じてくれるよね……?」
「私が護身用に持っているナイフを貸してあげるわ」
「はっ?」
袖からエルネストに貰った偽のナイフを出してマリアに差し出した。料理長がより本物に見えるように加工した逸品である。刃の部分は先端から数センチだけ研いで先端を少しだけ尖らせてあるが切れないし刺しても致命傷を負わせる程の物では無い。
本気なのだと示すことが出来ればそれで良いのだから本物を用意する必要は無いのだ。マリアにはそれが出来ないと分かって私は命を懸けてみせろと言っている。
マリアは私から奪う事で優越感に浸りたいだけなのだから、命なんて懸けられる訳が無い。
動揺しているマリアにはこれが偽物だなんて気づく余裕なんて無いだろう。本当に自分自身を傷つけても、ちょっとだけ痛いくらいで済む。それだけの意思を示せるのならば、だけど。
これまで運命だと言い続けてあっさり捨ててきたマリアには出来ないと思っている。
ナイフを出しても大広間を警護して回っている騎士が誰も動かない。王も側妃も高い所からワインを片手に鑑賞するだけのようだ。
「さぁ、マリア」
震えるマリアの手を持ち上げて、優しい手つきでナイフを握らせた。