第二話 彼女と彼女の部屋に行くまで。
彼女の犬にものすごい剣幕で吠えられながら僕は逃げるようにしてお屋敷にお邪魔した。
「ガブリエルがこんなに吠えるなんて珍しい(笑)」
ガブリエル…僕は君が嫌いだ…。
「ガブリエルの…」
「"ちゃん"つけて。」
「ガブリエルちゃんの犬種はなんですか」
「サモエド、可愛いでしょ」
なぜ犬にちゃん付けしなくちゃいけないのだろう。家に帰る途中、電車の中でサモエドを検索してみた。…ガブリエルちゃんの価値は確かに僕よりお高いようだ。君は希少価値が高いそうだね。
森川さんはさっきからずっと笑っている。クラスメイトに嫌われるのはあまり気にならないけど、彼女の犬にあんなに吠えられるのは少しこたえた。
「ねぇ…」
「何。僕今傷心中。」
彼女はまたクスクスと笑った。
「君さ…珈琲好きなんだよね?」
「まぁ…、でもなんで森川さんが知ってるの?」
「あなたの隣の席の水嶋が、隣からいつも珈琲の匂いがしてきて臭いって言ってたから。」
「臭いはちょっといいすぎだよ。」
「教室の女子の制汗剤の匂いと男子が無駄につけてるワックスの匂い、それと珈琲の匂いが合わさるとどんな匂いになるでしょうか?」
「臭い。」
「正解(笑)」
少しふに落ちないがこれから学校で珈琲を飲む時は、教室の外で飲もうと思った。
「実はおばあちゃまがね…、あっ立ち話もなんだから私の部屋に行こう。栄さん、後で部屋に私にはコーラと、井口くんには、、珈琲でいいよね?」
「うん」
「お願いします。」
「かしこまりました。」
栄さんと呼ばれた、恐らくこのお屋敷のお手伝いさんである女性は、僕と森川さんを交互にみるとにっこりと微笑んで奥へと消えていった。
「なんか、誤解されてないかな。」
「何が?」
「こう、女子の家に男子がひとりでくるって…」
「クラスメイトなんだから普通でしょ。」
「そうなの?」
「そうだよ」
僕は基本、教室では誰とも会話をしないから気がつかなかった。(断じていじめられてはいない。)そうか普通なのか。
また彼女が笑う。
「実はおばあちゃまが……」
おばあちゃま…さっきから少し気になっていたが"おばあちゃま"のせいで森川さんの話が全く入ってこない。お嬢様のなかでは祖母の事を"おばあちゃま"と呼ぶのがデフォルトになっているのだろうか…。以前、僕はカミュの異邦人で「ママン」という母親を指す呼び方に違和感を感じて、すぐに本を閉じてしまった事を思い出した。今僕は同じ感覚を覚えている。
「ちょっと、聞いてる?。」
「ごめん、今それどころじゃない。」
「……まぁいいや。ここ私の部屋」
森川さんの部屋の扉にはレースののれん(たぶんちゃんとした名称があるのだろうけど僕の中ではのれん。)が紫色のリボンに結ばれていた。
「広…」
16畳ほどある部屋の奥には大きな本棚があり、僕の愛する浅田次郎の作品も並んでいた。
「森川さん…好きな作家って誰…」
「アルベール・カミュ」
なんか、デジャヴ。
「そこ座って。」
女の子が座るために作られたであろうマカロン型の座椅子に僕は腰をおろした。
「本題に入るね…。今日、家に誘ったのは他でもない君にしか出来ないお願いがあって…。」
「うん。」
ここまでのこのこついてきてしまったのだから願い事のひとつやふたつ、聞いてやろうじゃないか。それに森川さんにはさっき400円のアメリカンコーヒーを奢ってもらった借りがある。
「デートしてほしいの…」
「ん…?」
「おばあちゃまと。」
「おばあちゃまと…。」
「うん。」
ごめん、森川さん全然話が入ってこない。