第一話 彼女と放課後
僕はコーヒーがすきだ。三度の飯よりすきだ。クラスメイトなどにこの事を伝えるとへーすごいね、など、心にもない返答が返ってくる。内心誇らしくなるけれど、コーヒー好きなだけの人間にすごいと発するのは少し見当違いな気がする。例えば僕はあんこが嫌いだが、羊羹をうまそうに食べている人をみてもへーすごいねなどという感情は抱かない。たぶん、褒める所が何一つない僕を気遣って周りの人達はコーヒーを飲む僕にそんな言葉をかけてくれるのだろう。
僕が珈琲をすきになった要因は祖母にある。幼稚園児だった頃、祖母と甘い砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲む事が毎朝の習慣になっていた。母はブラック党(ブラックしか飲まない人の事を僕はそう呼んでいる)だからそんな僕を冷めた目でみていた。
「よくそんなもの飲めるわね。」
「えっだっておいしいじゃん。」
「コーヒーはそのままで完成されているのに。なんでヒロとお母さんは余計なもの入れようと思うのかしら。」
と呆れた声で言われつづけた。そのせいもあってか祖母が亡くなってから僕はコーヒーに砂糖を入れなくなっていた。
今になってようやく母の気持ちがわかる。
「よくそんなもの飲めますね。」
目の前で砂糖をドバドバ入れたコーヒーを飲む森川さんに僕は声をかけた。
「えっだっておいしいじゃん。」
森川さんはコーヒー(砂糖たっぷり)をかき混ぜながら眠そうな顔で僕を見つめている。なんだか身体から変な汗がでてきた。なにせ僕は女の子に見つめられた経験がないのだ。
「なんですか。」
「いや、やっぱり君にしてよかったわ。」
僕は今日森川さんに呼び出されてここにいる。彼女と僕の関係は放課後に2人で会うような間柄ではない。普通のクラスメイトだ。朝のホームルームが終わった後、
「今日 4時に喫茶マンデリンで。」
とだけ言い残しすぐにいなくなった。そうして今、僕は彼女に見つめられている。
「今日この後予定ある?」
「ある。」
「じゃあその予定断って。」
「え…な…。」
「君に拒否権ないから。行くよ。」
なんて、傲慢な人なんだろう。この後僕は書店で大好きなじろちゃんの新刊を買って読書にいそしむ予定だった。彼女は伝票を持ってレジへむかう。
「僕も払うよ。」
「いい、私が誘ったんだから。」
会計を済ませ外にでた。夏の熱気が身体を包む。あぁ今すぐ帰りたい。スタスタと歩いて行く彼女を僕は必死で追いかける。
「ちょっと、森川さんどこに行くの?僕全然状況把握してないんだけど。」
「今日私に誘われて嬉しかった?」
「え…」
「嬉しかったって聞いてるの。」
「…嫌ではない。」
彼女はふっと笑うとぼくの手をとった。
「手…」
森川さんの手のひらはすべすべしていて柔らかかった。完全に森川さんのペースに乗せられている。 森川さんの事は決して嫌いではない。長く濡れたまつ毛、ふっくらとした唇、きれいな曲線を描いた輪郭。一般的に森川さんのような女の子を美少女と呼ぶのだろう。だが、僕は「木綿のハンカチーフ」の歌詞に出てくるようないじらしい女性がタイプなのだ。男の一歩後ろに立つような。僕のようなハンサムとはかけ離れた男がなにを馬鹿げたことを夢みているのだろう、とは思うのだけれど、それが僕なのだから仕方がない。森川さん含め近頃の女性はたくましい。僕が弱々しいだけかもしれないが…。例えるなら森川さんはキャンディーズの「やさしい悪魔」を歌っときながら自分が悪魔になっているタイプだ。あーあーデビル。そんな事を考えていると突然森川さんの足が止まった。
「ここ、私の家。」
目の前には僕の家の3倍はあるであろう大きな建造物があった。
「森川さんってお嬢様なの?」
「そうでもないよ。」
と彼女は言うが、自動で玄関が開き庭には花が咲き乱れ大きな犬が駆け回っている家に住む彼女を僕はもうお嬢と認識した。僕のお嬢様に対するイメージは古いとは思うけれど、まさに森川さんの家はそれなのだ。
「お嬢様、おかえりなさいませ。」
ほら、もう紛れもなくお嬢様じゃないか。