5話 親友
私には学生時代から続いている親友がいる。安アパートで暮らし、たまたま隣の部屋にいたのが加藤だった。
私は中学で父を亡くし、母によって育てられた。その母も高3の時、亡くなり以来親類などと交際は途絶えている。なんとか母の残してくれた財産(主に父の生命保険)と奨学金とバイトにより生活をしていた。
加藤とはぼろアパートで顔を見合わせた時、向こうから声を掛けられ、いつの間にか互いの部屋を訪問し、冗談や悩みを相談し合うようになっていた。
「おい、今日は俺の部屋で酒盛りをしよう」この歳になって、私は酒飲みの体質だと知った。加藤も酒好きで二人はすぐに気が合った。
彼は私より裕福な家の生まれだったが、ボロアパートに住んで親に頼らずに自活の道を歩んでいるほどの生活力のある男である。さらにパチンコやマージャンなどのギャンブルにも強く、大勝ちした時、私を招いて酒をふるまってもくれたのだ。
「これからの時代はコンピューターだ」「パソコンがきっと流行るよ」そんな時、いつも口にしていた。
今でいえばオタクと言う言葉がぴったりの奴で、彼の話について行くことも出来なかったが、何となくパソコンの時代になるのだろうとは思った。何やら基盤などを買い込み、ボードコンピューターを自作などしていた。好きとはいえ、私にはとてもできない真似だ。
その彼は大学を卒業して、会社勤めしていたが、1年もしないですぐに会社をやめ独立してしまう。
「電機会社だからと思って入ったんだが、会社の奴らパソコンなんて興味もねえんだよ」それが彼の退職の理由だ。私にはない独立心、実行力に、友人の将来を危惧するよりもうらやましいとも思ったものである。
門外漢で詳しいことは説明できないが、当時プログラミングはbasicが主流であったが、彼はいち早くcプログラムを取り入れて自分の物にしようとしていたのだ。彼は時代の先端をかぎ分ける能力を身に着けていたと言えよう。
彼とは卒業後も交際が続き、お互いに30前で結婚式には出席し友人代表として挨拶も行っている。夫婦ともども仲良しだった。
だから妻が昔の恋人と逃げたことを告げると彼は顔を真っ赤にして怒った。
「それじゃあ、自分勝手過ぎじゃないか?」「結婚は契約ではない。でもそれ以上の強い約束があるはずだ。それを踏みにじるのは勝手すぎる」
彼は語気を強めて妻を非難した。
とりわけ彼が怒ったのが、妻が黙って家を出たことだった。
「もっと好きな人が現れたから家を出て行くのが許されるのか。そんなんだったら、この社会は成立しなくなる」
「いろんな事情で離婚することはあるだろう。でも最低限話し合って決めろよ。黙って出て行くなんて許されるか?」
加藤と二人で酒を酌み交わしながら私のために泣いてくれた。
これがどれだけ勇気づけてもくれたかもしれなかった。
私が娘のために退職し、独立しようとした時、彼のアドバイスが大いに役立った。
「どんな形でも、会社とは繋がりを持つようにしておけよ」
「個人でやれることはたかが知れている。付き合いを保ち、人とのつながりを大事にしろ」
私はどちらかと言えば、社交的な人間ではない。引っ込み思案で人との接触を苦手としていた。そんな私の尻を叩くようにして独立を手助けしてくれたのである。
独立してから1年間はさして仕事が増えず、このままやっていけるのかと不安であった。何とか退職金と失業保険でやりくりしている間に、工務店から手堅いやり方を評価され、仕事の依頼は絶えることがないようになった。その仕事がない暇なときは加藤に何度も相談していた。
「CADはどうして使うんだ」
「インターネットはどうすればつながるんだ」
加藤にはいくつものパソコンに関する質問をしていた。本当に初歩的なのだが、加藤はそれを親身に教えてもくれたし、パソコンの選定から据え付けまで面倒も見てくれた。当時としては早くからパソコンでの製図をしていたと思う。
「あんたの図面は綺麗で見やすいな」工務店の人からも言ってくれた。まだ、製図ソフトには問題もあり、扱いにくいのもあるのだが、そう言ってもらえると嬉しいものである。その後はほとんど製図板に向き合わないようになった。
「おい、構造解析をソフトにできないか?」それは私がまだ在職していた頃、加藤に持ち出した質問である。
「なんだそれは?」
「地震の揺れが建屋などにどう影響するか、計算するものだよ」私が直接関わったのではないが、原子力関係で原子炉などの重要施設が安全であるか計算することが必要となったのだ。他の部署の話ではあるが、新しい仕事の話として興味を持った。
「一つの計算だけで100万にもなるそうだ」それどころか、実際な所、千万を請求されたこともあるようだった。
「それは、ぼったくりだろう」加藤にすれば、個々の建屋ごとに計算するのではなく、標準的な計算ソフトを作製し、必要なデーターを入力すれば、1回ごとに高額な計算にならないはずだと言う。
「それなら、お前が作れないか?」
「やれなくはないだろうが、お前も力を貸せ」
基本的な計算方法は教え、地震工学の先生を紹介して二人で研究をしていった。
「すぐに、事業化できないだろうがこれは儲かるかも知れない」商売の嗅覚を感じ取ったようだ。彼はコツコツと研究開発を続けていた。
「出資してくれないか?」私が独立して3年経過した時、彼から頼み込まれた。
彼は原子力などの大型で特殊な施設よりも民間の個人向けを対象にする構造計算のソフトを作った。それがある程度の売れ行きが望まれるようになったので、事業を拡大しようと思ったのだが、軍資金が足りないのだそうだ。
「うーん。家の返済を早めようとして、少しは金を溜めているがそんなには回せないぞ」
「それでもいい」
私は2百万の金を用意した。今から見ればたいした金額ではないが、当時とすれば私とすれば破格の金額であったし、それを使えば家のローンの返済も早まるのだ。ただ、この計算ソフトは私が言い出したようなものである。これから事業を本格的に広げようとするときに断ることは出来ない。友人の頼みに首を振れなかったのだ。
その彼が数日たって私に株券を持ってきた。
「紙くずになるかもしれんが受け取ってくれ」私が始めて目にした株券と言うものだった。
彼の会社が倒産すれば無一物になる。それでも株券として持って来てくれた彼の男意気を感じていた。
この株券が私の将来を大きく変えることになる。