11話 そして結婚
娘は無事、看護学校を終了し、少し離れた病院に勤務するようになり、年に数回しか会う機会がなくなった。
そのころからか、私は趣味に興ずるようになった。
加藤の影響でアウトドアが好きになり、特に冬の山が気に入った。一人で葉が落ちてすっかり開けた林に入り、サクサクと落ち葉を踏みしみるのは何とも心地よい。
「私だけがいま、この地にいる。この景色を味わえるとは私だけだ」そんな気分にもなって、ある意味一人暮らしを満喫するようにもなっていた。
そんな独身生活を味わっていた頃、娘が24になった時、彼氏を連れてきた。
娘より4つ年上の外科の医者の卵だった。顔はジャガイモで、身長は180をはるかに超し、横幅をそれに比例している。その体つきに似合わず、教養のあるところが見え、好青年に見えた。
「美優紀さんと結婚を前提にしたお付き合いをさせてください」
その申し出も、落ち着き払い、口調もしっかりしている。
「娘を幸せにしてやって欲しい」私はそれだけを言った。
その後、娘たちは結婚式の日取りなどを二人で決めたいようだった。
私にできるのは結婚資金の提供ぐらいだったが、二人はすべて自分たちで行うと言った。
「自分たちの力だけで式を挙げたいと思います」そう言う婿さんになる男には信頼が持てた。
今の若い人たちが結婚をどのように上げているのか知らないが、自分たちだけの力で行いたいとする気持ちには好感が持て、私は結婚式などには一切口を挟まないことにした。
その結婚式のスケジュールの説明をしに来た時、娘が驚いたことを言い出した。
「お母さんにも出てもらいたいの」お母さんとは出て行ったあの女のことだ。
その言葉を聞いて訳も分からなくなる。
あの女を呼ぶなんて何かのまちがいだろう。
(あの女は生きていたのか。義父と義母の葬式にも出なかったのに、いつから娘とは会っていたのか)そんな感情が湧き出していた。
「家はお父さんと二人だけなのに、向こうは両親と兄妹、それに親類もたくさん集まるのよ。せめてお母さんに出てもらいたいの」
娘の言い分は分かった。だが、私の頭は錯乱してしまっていた。
「まあ、いいだろう」そんな言葉を絞り出すように言ったのだと思う。後になっても同様な態度でいたか思い出せない。
(美優紀は幸せの絶頂のような顔をしている。娘の大事な結婚式を壊してはならない。)
そんなことを必死に考えていたと思う。
娘達が式の日取りを言ってから、楽し気な顔で去っていった。
そんな二人を見送り私は疲れ切っていた。
「どうしてあんな女を呼ぶことになったのか。」その疑問が浮かんでくる。
(あいつは俺と娘を置いて出て行ったんだ。まだ幼い美優紀が薄暗い部屋で泣いていたのを鮮明に覚えている。あの女は娘を悲しませてことをなんとおもっているのか)恨みと憎しみが同時に襲ってきた。
(親の葬式にも来なかったじゃないか。何で娘の結婚式には出て来るんだよ。)
それからは、どのように生活していたのか思い出せない。
ただ、娘の結婚式の日だけが近づいていた。
結婚式当日。私は前夜から一睡もすることが出来ず、私はその日を迎えた。
鏡を見れば私の目は血走り、顔は青ざめていたことだろう。
式の前にあの女とも顔があった。
「お久しぶりです」あの女はぬけぬけと言いやがった。
(男手一つ、娘を育て上げ、あいつは母親として何をしてきたんだ。この結婚式によく乗り込んで良く来られたものだ。)私は怒りで頭が一杯になった。
今まで、あの女の存在を消し去っていただけに、目の前に憎い女を見てしまって、私の思考回路は止まった。
その私の怒りを素知らぬ風情であいつはやり過ごしていた。
昔のように、顔つきは変わらないようにも見える。相手方への挨拶はにこやかにしている。その顔が余計に憎々しく思えた。
娘の晴れ舞台でもなければ、式を放り出して、どこかに立ち去ってしまいたい気持ちだった。
娘のことを考えなければ私は式を無茶苦茶にしてしまっていただろう。
こみあげる怒りに錯乱している私をほっておいてスケジュール通り運んでいた。
私は言われるがまま指定された式場に立ち、導かれるままに足を進めた。
盛んにフラッシュも焚かれ、写真を何枚も撮られる。その時は出来る限り強く目をつむった。
「お父さん、目を開けてください」と誰かに言われたようだが、そんな声にも耳を傾けない。
(うるさい。これが私の気持ちなんだ)
キャンドルサービスだとか、バージンロードとかつまらない行事が続いた。私には拷問の時間と思えた。
「私をここまで育ててくれて本当にありがとうございました。」娘の言葉が空々しく頭の中を通り過ぎる。
「馬鹿をいえ、こんな女と並んでどうしてそんな言葉を聞かなければならないんだ!」怒鳴りたくなって、慌てて口を抑えた。
(なんで娘が私にこんなことを指せるんだ。美優紀が私の気持ちがわかっているのか。こんな親不幸な娘に育てたつもりはない)
私にはその日、自分で何をして、何をされたのかも殆ど覚えていない。やったことは今の現実を見たくなくて、目をいつもつむっていることだった。他人は愛娘を嫁がせるあまり歓喜極まっていると見た様だったが、私は地獄の苦痛を味わっていた。