10話 子供たちの進路と失恋
咲さんは物静かで、口数の少ない人だった。私の前だけそうしているのかとも思ったことがあるが、近所の奥さん連中との井戸端会議でも、話の中心になることはほとんどなく、いつも聞き役に回っている。
互いの家庭を訪問した時も、子供たちが会話を主導し、大人がそれを聞いていることが多くなる。
私は無口でいつまでも黙っているのが多く、咲さんも同じだ。
ただ、咲さんがいるだけで回りが温かく心が和んで来るから不思議な魅力を持つ人でもある。
(咲さんと一緒になれたら、いいだろうな。こんな人と結婚出来たら幸せになるだろう)そんなことを思ったことは何度もある。
始めて咲さんと会ってから、意識をずっとしていたと言えよう。
私が一人で子育てをしていることを知った人は良く再婚を勧めてくれた。
「いい人がいるんだ。会わないか?」娘が小学校に入学する頃、本間工務店の社長から言われたことがある。
大事な得意先からの話でもあり、私は見合いの席に着いた。
「鳥井です。」自己紹介から会話が始まったが、話す話題がなかった。
「趣味は何だったね」見かねて本間さんが言い出してくれる。
「ええと、山を登ることがあります」
今なら山ガールズなんて言葉もあるが、当時は一般女性には最悪の趣味とも言えた。
相手方から断りの返事が来たのは言うまでもない。
まあ、私の頭にはいつまでも咲さんのことがあったのでそれも悪くなかった。
それ以来、態の良い理由をつけて見合いは断りつけていた。
一方的に私の片思いでいたとは思えない。
だからこそキャンプなどで和樹を私に預けてくれたのだと思う。
「男親がいないとだめなんですね」そう言う言葉もただの咲さんの感謝だけではなかったように思う。
ただ、私は咲さんに遂にプロポーズをすることが出来なかった。
中学の時、和樹がぐれて説教したことがある。その時、私と咲さんのことを疑われ、それを咲さんにも話した。
(和樹が私たちの関係を気にしている。もし結婚すれば和樹はより反発をするようになるかもしれない)
「お互い、難しい年ごろの娘と息子を持ちましたね」その言葉で咲さんも後のことは言わなくても分かってくれた。
私たちの関係はそれからより子供たちや、世間の目を気にして慎重になった。
やがて、子供たちは高校を卒業して、それぞれの道を進んでいくことになる。
娘は望みの専門学校に入学でき、そして学校の寮生活に入った。
家には私一人に暮らすことになった。妻に去られて、ずっと私と娘で暮らしていただけに、家の中は空虚なものとなってしまった。
私の建築士の仕事は順調で、収入も増えていて、殆ど家のローンは払い終えてもいた。娘の学費もさして問題にならない。正直、そんなに稼ぐ必要もなかったのだが、何かに打ち込んでいないとやるせなさが募ったのだ。
仕事部屋には美優紀の写真が飾ってある。
「いつかお父さんの面倒は私が見るよ」そんなことを言ってくれるようで、それが励みで仕事をしていたようなものだった。
和樹は東京の大学に入った。私の母校である。正直、これには私も驚いた。私の時もそうだったが難関で知られていたし、今も偏差値も高いはずだった。
「お前、どういう手を使ったんだよ」
「トーリーは俺の実力を信じないのかよ。俺だって、やるときゃやるよ」
そう言って、彼も都心にアパートを借り、独り暮らしを始めるのだった。まあ、私と違って、ボロアパートに住んでバイトで学費を稼ぐなど殊勝な考えはもってなかった。
子供たちが家を出て、私たちに障害の一つがなくなったが、何も進展することはなかった。
それどころか、咲さんに素晴らしい人が現れたのである。相手は地元の食品加工の会社を経営している人だった。
すでに2人の娘さんが嫁ぎ、1年前に奥さんを失い、心寂しくしていた時に咲さんに出会ったらしい。
猛烈な求婚の連続。咲さんも受け入れたのだ。
旦那さんは、私から見ても申し分のない人だ。物柔らかな態度でありながら、自信にあふれ、実行力のある人である。
優柔不断で、遂にプロポーズを言い出せなかった私とは大違いのひとだ。
後から考えても私にもう少し決断力があり、咲さんと結婚していたら、私も子供たちも人生が大きく変わっていたと思う。
ともかく私の夢は完全に終わった。
和樹は東京に出ても週末には家に戻っている。
「お前、まだ咲さんのおっぱいが欲しいのか」早速そんな彼をからかってやる。
「横山さんがおふくろをいじめないか、見張っているんだ」
ただ本心はそうでない。どうやら和樹は新しい父親に随分気に入られ帰るたびに小遣いを貰っているようなのだ。
これではバイトなどするわけはないし、私の苦学生活など彼には別世界の話で終わるだろう。
ただ、ご主人がオープンな性格でお付き合いを続けているのは幸甚なことである。
それどころか、結婚を機に家を改築することになり、私が相談にあずかることになった。
私と咲さんは以前ほどではないにせよ、友人であり、相談をし合うことに変わりないのだった。