遺品
長袖に腕を通す季節になった、袖の厚さも日に日に変わり暖房器具も出番となる。
富士山が薄化粧をする頃、勉強が嫌でよくこの窓からよそ見して眺めていた時を思う。
ここは、半年前に亡くなったオヤジの書斎。
もう半年経った、あっという間だった…
小中高と、三年ごとにここへ呼ばれ受験勉強を必ずやらされた所、嫌いな場所でもある。
オヤジの遺言で、葬儀と四十九日が終わってから三ヶ月は私物に手を出さないでくれと言われていた通りにしていた。
今日は遺言通り、その時となってここの片付けをしている。
遺品と言うものは実に厄介だ、人様の物を無断で整理しなくてはならないし、残された家族の意思で形見にするか廃棄処分するかに分けなくてはならない、人という心が試される時だ。
研究熱心だったオヤジが遺したものはこの大辞森と言う一冊の辞書だ。
出版会社の研究事務所だったM氏の助手として熱心に働いていたが、自宅にまで研究を持ち込む様な事はしなかった。ある時までは子煩悩で、アルバムを広げても思い出がたくさん残っている。そのオヤジにも転機があった、事務所の分裂で新しく設立し所長となった時、わたしの勉学に対する教育方針が変わってしまった。そのお陰で今のわたしも助教授と名乗れるくらいにまでなれたのだから、オヤジは間違ってはいなかったのだろう。
この大辞森の記念すべき初版第一号が机の上に何時も置かれていた。かれこれ何十年と触りもしていないので埃が被っている。
濃淡の緑色が白くなっている、他人から見れば汚い年代物の一冊の本、辞書に過ぎないがオヤジとわたしにとっては家宝だしこの印刷物が人生そのものだ。
遺品と言うオヤジの遺作を目の前に思う…
暫くして我に返り、片付けの続きを始めると眩しいくらいの西陽で窓枠の影が長方形になった時、今のわたしが手がけた大辞森平成年最終版をオヤジの遺作の隣に並べた。
「これが遺品整理… だな、オヤジ?」
わたしは、そう呟いて窓を眺めた。
この書斎と空気、窓から見える景色全てがオヤジの遺品だと気が付いたわたしは片付けをしていた手を止めた…
窓から見えた夕焼けに染まった季節外れの赤富士がとても綺麗だった。
わたしの中のアルバムに、オヤジとの写真がもう一枚増えた日になった…。
終