愛の呪い
私たちの血は、きっと呪われているんだわ。
テレビを見ていて、それなりに落ち着いた頃合いだった。バラエティは何を見ていてもつまらなくて、これから学校の宿題もしなきゃな、と考えを巡らせている時だった。
「どうして、そう思うの?」
小学校低学年の子供なんて、言葉の意味はそうそう理解出来ないとでも思っていたのか、母は肩をすくめて多くは語らなかった。ただ、伏せられたまつ毛が濡れているのを見ると、とても悲しくて、母の頭を一生懸命に撫でた。
母はその言葉の次に、こう言った。
「アンタも男には気をつけなさいね。絶対に、男を守るのよ」
その頃、再婚を悩んでいたらしい母は、当然のように失敗に終わった。相手が突然事故で死んでしまったからだ。
そうして母も、数年後には私一人を残して死を選んだ。
自らに流れる、不幸の血を恨んで。
「どうして」
多分、世界中でこの言葉を使った選手権があったら、私は堂々の一位になれる。それくらい、私はいつも、どうして、と叫んでいる。
だって、考えてみても欲しい。
好きな人が出来て、恋人になって、それから話は早いけど、結婚しようかなんて話題が出て。それから、婚約まで済ませてさあ結婚はもうすぐ!なんて幸せな未来がいっぱいに広がっていた時に。
相手の男性が交通事故で意識不明の重体、だなんて。
あげて突き落とされる、っていうのは最初から不幸の状態よりもよほど酷いと思う。だって、幸せの味を知ってしまっているんだもの。これから私はどうやって生きていけばいいの。そんな絶望に侵される。
電話口から漏れる、未来の旦那様の両親それぞれの声が遠のいていく。だから、申し訳ないけど今はそれどころではなくてね、本当に貴方を娘のように思っていたのだけれど、ええ。
お決まりの文句。この度はご縁がなかったようで、誠に残念です。
誰かの声がして、私は両耳を押さえた。自室に居るはずなのに、真っ暗闇の中をひたすら歩いている感覚に陥る。嫌だいやだ、これで何回目?
ベッドに寄りかかって、携帯から漏れる声を聞き流していたら、しかし逃せない単語を出されて私はぎょっとした。
「あのね、信じてはいないのよ?いないのだけれど。……貴女、息子で五回目なんですって?」
「……なんのこと、ですか」
「いえね、ウワサを聞いてしまってね。貴方、結婚願望強いって聞いていたけど、前に付き合っていた男性たち、みんな結婚までこぎつけたらしいじゃないの。それで、結婚間近になると男性が不幸にあってお流れになるっていう……」
「は、はは……、まさ、か。そんなわけ、ないじゃないですか」
「そうね、そうよね。……でも、ごめんなさい。火のないところに煙は立たないっていうから……。信じてはいないけど、そうね。息子がこうなってしまったのなら、もう……」
「っっ」
私は唇を噛み締めて、勢いのままに通話を終えた。いくら失礼と分かっていても、耐えられなかった。そもそも、信じていないとかいう言葉なんて嘘じゃないか。一体どこからその話を聞いてきたのか知らないけれど、私だって悲しんでいるのに、そんな話を今しなくたって。
「自己嫌悪、だよなあ」
ため息をついた私は窓の外を見る。心を映したかのように雨がザアザアと降り続き、それが更に気分を沈ませる。知っている。隠していた私もいけない。でも、全面的に私のせいかと問われると、それは違う。
きっと、私の血のせいだ。
ここで一つ、自分語りをしてみようと思う。客観的に見るととても重苦しいものなので、簡潔に。
私は幼い頃より恋多き子供だった。
初恋は幼稚園の頃に済ませ、ファーストキスは小学六年生で経験済み。中学生にはクラスメイトが相談に来るくらい、恋愛のエキスパートと呼ばれていた。恋に恋して猪突猛進だった。ある意味で夢見がちだと言われても仕方のないくらいに、毎度毎度運命を感じていた。
だからと言って、私が男をとっかえひっかえしていたかというと、そうでもない。私は一度好きになると、他の人なんて目に入らなくなって、一途を貫き通す。彼氏がころころ変わっていたのは、まだ世間をよく知らなかった小学生まで。それからは、私がフラれない限り、長く関係は続いた。
それに加えて、私は客観的に見ても、彼女にするにはそこそこうってつけの容姿と性格を持っていると思う。可愛すぎず、かと言って不細工でもない。笑うと可愛いね、君の控えめだけど胸に秘める熱い所が好きだよ、と何度言われたことか。これは自慢ではない。他者からの意見と自分の見解をまとめた自己評価なのだ。
そして、私は複雑な家庭環境によって、結婚願望が人より強かった。十六歳を過ぎたら、すぐに結婚して、専業主婦になろうと思っていたくらいだった。そしてそれは、事実として私の人生に刻まれている。十六歳になった瞬間、五つ上の三年付き合った彼氏に結婚を申し込まれた。
そうして、その彼氏は原因不明の病に倒れて、今では植物生活を送っている。
私はふと、思い立って本棚からアルバムを取り出した。
ぱらぱらとめくると、かつて付き合っていた彼氏たちとのツーショット写真がいくつも出てくる。そして、交通事故に遭った現在の彼氏の写真も。
「ユウヤ、トキ、カズ、アキヒロ、ケイタ……」
みんな、大好きだった。この人となら、人生を共にできると思った。だから、結婚まで必死にこぎつけた。愛されたかった。
でも、どうしてだろう。
婚約して数か月経つと、必ず彼らは私の眼の前から幸せを奪っていくのだ。
ユウヤは植物人間に、トキは刑務所に、カズはホームレスに、アキヒロは薬物中毒に。
そして、ケイタは交通事故で意識不明の重体。
私が結婚間近になると、必ず相手の男性は不幸に見舞われる。それこそ、結婚だなんだと言っていられないくらいの、どん底の不幸に。人生を滅茶苦茶にしてしまう。
最初はもちろん、信じられなかった。一度目で純粋に涙を流して、二度目で自分の不幸に胸を痛めた。
だけど、三度目からは強い結婚願望と共に恐怖が心を支配した。もしかして、と奥底で予感が過ぎて、それから、やっぱり当たってしまった。
――私達の血は、きっと呪われているんだわ。
母の言葉が、何度過ったことだろう。アルバムに映る運命の人たちだった彼らは、もはや私と顔を合わせても仕方ないくらいのどん底を這いずり回っている。未だに死者が出ていないのが幸いだけど、果たして延々とあるかもしれない幸せを目の前に吊り下げられて生きるのと、潔く死ぬの、どちらがいいのか。
そうして私は、また、五度目の結婚を逃した。
二十七歳、独身。職業はOL。資格は五つ以上所得。性格は温厚で情に厚い。容姿は可もなく不可もなく。とっつきやすい。
私の履歴書と言えば、こんなにも普通で、だからこそ、たった一つ、この言葉が強烈に映る。
男性を、不幸にする。
たったこれだけ。されどこれだけ。
果たして私は、愛に飢えたまま、男を巡り、何度もその気にさせて、相手の人生を滅茶苦茶にしてしまった。
だけど、それも今日で終わりだ。
「これからは、俺が君の幸せを届けるんだ。一緒に、励んでいこうね」
ありきたりな言葉だけど、それが何よりも嬉しい。
そう、ついに私は結婚をしたのだ。
三日前に入籍をして、本日晴天の中で輝かしい結婚式を挙げた。憧れの純白のドレス。次の人に幸せを届けるブーケトス。そして、最愛の人が隣で微笑む。
ああ、なんて素敵なんだろう!
今までの辛い経験なんて、全てが踏み台なのではと思えてしまうくらいに、私は幸せだった。これからは隣の彼と一緒に歩んでいく。夢だった花嫁にもなれたし、仕事もやめた。明日からは専業主婦となり、いずれは子供も産んで、素敵な家庭を作る。
「ありがとう。私、とっても幸せ」
私はそう言って、隣の彼に微笑んだ。薬指に輝く結婚指輪が何よりも煌めいて見えた。
式が終わって一息ついた私達新婚夫婦は、これ以上ない幸せを噛み締めながら新居へと帰宅することになった。
でも、旦那が新居に足を踏み入れることは、二度となかった。
「どうして?どうしていつも、私の幸せを奪っていくの?」
位牌の前でぶつぶつと呟くものの、誰もかれもが白けた目をして私を見ているのが分かる。結婚式のあとで、さあ家に帰ろうと二人で移動した途端、乗り込んだタクシーがトラックと衝突事故。私はピカピカの無傷だというのに、隣に居た旦那はアスファルトに投げ出されたもの言わぬ屍と変わり果てていた。
その時、私の心がピキッと音を立てた。
やがて、それらは時が経つにつれてひびを大きくしていき、今や破裂寸前だった。
結婚式を挙げた直後に行われた葬式で、誰が平常心で居られるというのか。
そして、旦那がこの世を去ったことによって、私のあらゆるうわさが周囲に伝わってしまった。
最初は可哀想、新婚さんなのに、なんて同情的だったのに、一体どこから仕入れてきたのか、結婚間近になると男の人生を滅茶苦茶にする人間として、呪われた女と言われるようになった。
おかげで、葬式で泣く私の姿に、皆が皆、白けた軽蔑するような視線を投げかけてくる。もちろん、旦那の両親もだ。
直接私が手を出しているわけじゃない。単なるウワサだ。だけど、男の人生を壊しているのは事実なので、強くは言わないけれど、非難するような顔が私の心にずぶずぶと突き刺さる。焼香が終わると、旦那の両親は何か言いたげに私の元へ近寄って来た。だけど、私はそれに耐えられるほどのメンタルを持ち合わせていない。
気づけば足は葬儀会場を抜け出して、安いアパートへと向かっていた。
勘違いしないでほしい。
一番傷ついているのは、他でもない私なのだから。
それからの私は、坂から転がり落ちるような生活を始めた。人生の伴侶となるべき人が必ず私の前から幸せを奪っていくというのは、とにかく苦しい。やっと結婚をしたというのに、早速バツイチという称号がついてしまったこの現実も、涙の原因だった。
家から一歩も出ることなく、冷蔵庫の食材は減るばかりで、一週間も経てば何もなくなった。それでも誰かの顔を見る気にはなれずに、水だけで三日も過ごし、ぼんやりと過ごした。傷が癒せるはずもないのに、時間がなんとか解決してくれると信じ込んでいた。この期に及んで、私はまだ運命に縋っていた。
そうしてふと思い出すのは、やはり母の言葉だった。
男を守るのよ。そう呟く彼女の顔は、悲壮感が漂って、小学生ながらに胸を痛めた。
母も、恋に恋して生きる女だった。
私を産んですぐに父を病で亡くして、それからは様々な男性とお付き合いして、再婚をしようと必死だった。金銭目的ではない。ただ、愛されたかったのだ。
それでも、母も私のように、深い関係を築いた男性を全て不幸のどん底に叩き落した。愛に飢えた母が耐えきれなくなって命を絶ったのは、私が中学生に上がったばかりの頃だった。
母と同じ未来を辿る私は、やはり血に呪われているのだろうか。現代を生きる自分にとって、そんな話は到底信じがたいものである。けど、そうは言っていられなかった。
ようやく水だけでは耐えられなくなったころ、ふと思い立った。母は、どうして呪われていると言ったんだろう。それは、何か確信があっての事なのではないだろうか。あの時言った私達、とは、私以外の事を指すのではないか。だって、あの時の私は、まだ母の言う呪いなんて受けていなかったのだから。
そろそろ空腹にも耐えがたくなった頃、都合がいいとでも言うように、私は気まぐれにふらりと家を出て、母の実家に立ち寄ってみることにした。そこに、真実はある気がした。
「そうかい、やっぱりあんたもそうなってしまったのかい」
母の実家に尋ねると、祖母が出迎えてくれた。私を成人するまで金銭的に援助してくれた恩人でもある。ただ、一緒に暮らしたことはほとんどなくて、たまに顔を出すだけなので、私の現状は知らなかった。
「あの子はそれに耐えきれなくなって、死んじまった。……まあ、私も見ての通りさね。アンタにも、おじいちゃんのカッコいい姿を見てほしかった」
「おばあちゃんも、やっぱり?」
「もちろん。こう見えて、波乱万丈に過ごしたものだよ。……なんたって、うちの家系は呪われていて、尚且つ、女しか産まれない。そして、女はみんな、愛に飢えているんだよ。男に愛されたがっている」
気になるなら、蔵に行って家系図を調べればいい。そして、代々伝わる話も知りなさい。そうしたら、少しは納得できるだろうよ。
祖母はそう言うと、特に慰めるそぶりもなく、客間から去っていった。その背中は、全てを悟った哀愁が見えて、私は何となく、これから知ることに恐怖を覚えた。
蔵に入って、埃が舞う中で見つけたのは、小さな家系図と、この家に伝わる伝説だった。
曰く、初代の女性が神に見初められたが、既に女性は子をなしており、神と共になることはなかった。神は子をなした女に惚れたものの、既に穢れた身体を持つ彼女を娶ることは出来なかったらしい。すると、神は子供を狙った。子供は女だった。
そこからは、神と一家の壮絶な意地の張り合いだった。
愛されたがりの子供たちは、神の存在に気付くことなく、意地でも男を作り、結婚をして、子供を産ませる。
神は意地でも女の子供を産ませて、今度こそ男と結婚せずに、自らの存在に気付くように仕向ける。
そうした慣れの果てに今の私がいる、らしい。
壮絶な意地の張り合いを広げた女性は私を覗いて十九人。私は、二十人目の子供だった。
随分とふざけた内容だと思った。そんな神の意地に突き合わされて、この一家は不幸の女性になったのか。確かに家系図の全ての女性が子を産んですぐ旦那に先立たれている。母と同じだ。
「神の嫉妬に狂わされながらも、何とか生き永らえた家系、ってこと?」
そうだとしたら、とんだ迷惑だ。そして、母の言う呪われた血というのが、理解できる。もしこれが本当だとして、今も神は何処かで私を見ている。子をなさないように、邪魔を繰り返しながら。
「むかつく……」
それで私の大切な人たちを傷つけて、幸せを奪うなんて、憤り以外の何も感じない。
「ならばなぜ、お前たちは私を見ようとしない。なぜ、他の男に愛されたがる。私はいつだってお前たちを見ていた」
その声は、家系図を仕舞って、蔵を出ようとした時に聞こえた。扉に手をかけていた私は、恐る恐る振り返って、声のする方へと顔を向けた。
そこには、白装束をまとった美しい男性が、怒りの表情を浮かべて立っていた。長い髪が風も吹いていないのにゆらゆらと揺れていて、それだけで、私は誰なのか分かってしまった。
「神さま?なの?」
「……いかにも。お前は、私が見えるのだな」
頷いた彼は、ゆったりと私に近づいてくる。その姿に怯えた私は、後ずさる。彼は、その純白の衣装とは反対に、真っ赤な感情を露わにしていた。
「お前たちはいつもいつも、私をないがしろにして他の男に行く。なぜだ。愛されたいのなら、私を見ればいい。なぜ、私を選んでくれない」
「そ、そんなの知らないわよ。でも」
誰だって、自分の好きな人を不幸にする神様になんて、会いたくないわよ。
そう言ってやると、神様は立ち止まった。不思議そうに首を捻って、しばし考え込む。そして、私の手を取る。
「では、私がお前を幸せにする男として嫌な思いはさせない。他の男にも危害を加えないと言ったら見てくれるか?」
神様の瞳に映り込んだ私は、誰からも愛されない惨めな姿をしていた。ぼさぼさの髪に、化粧も施さず、肌はボロボロ。それも当たり前だ。一週間以上外に出ていなかったのだから。
神様の氷のように冷たい手は、まるで私の心のようだった。そして、神様の悲しい気持ちのようだった。
「神様は、私を最後まで愛してくれるというの?」
冗談交じりに言うと、神様は真剣な顔をして頷いた。こんなに惨めな格好をしている、愛に飢えた女だというのに?
そう問いかけると、美しい顔を歪ませて、それが目的なんだ、と呟いた。誰からも愛されなくなった時、真に私の姿を見ることが出来るであろう。私だけを、見てくれるだろう。悲しい顔をしてそう言う彼の姿は、まるで私を写したかのようだった。何だか可笑しくて、吹きだしてしまった。
「私たちは、似た者同士というわけね」
氷が二つ、寄り添うと、不思議な事に徐々に溶け始めるらしい。その日だけは神様の手を取って帰宅した。まだまだ戸惑う心を彼にあげるわけにもいかなくて、答えは待ってもらうことになった。
それからの神様は私の前によく姿を現し、私も気づけば彼に心を許しつつあった。
新しい彼氏を作っても、神様は嫌そうな顔をしたけれど、それでも以前のような不幸の兆候もなく、順調に行ってしまう。
けれど、付き合う彼氏よりも、神様の方が私を求めてくれている。私だけを見て、私だけを狂おしいほどに愛してくれている。それが徐々に伝わる頃、私はすっかり彼の虜になっていた。
私の自己分析によって分かること、それは。
私は、いつだって愛に飢えている。
それは、血に刻まれた運命だった。
愛されたい。誰かに狂おしいほどに愛されたい。
なら、私は一途に想ってくれている、それこそ計り知れない愛を与えてくれる神様を選ぶしかなかった。
結局、彼氏とはすぐに別れて、気が付けば、神様の隣で寄り添うようになっていた。
来る日、私はこの世を去っていた。
白無垢を着て、神様の温かい手に引かれて、幸せを抱え込んで、私は光に吸い込まれていく。これで、男を不幸にする一家は途絶えた。
あとはただ、神様と寄り添う、女性の姿だけが後世に残るだろう。
「私は、君がずっと好きだったんだよ」
一途な神様は、そうやって私に毎日囁いていた。