九 ぐるぐるごちゃごちゃ
ブロロロロロッ・・・・
肌寒さと、遠くなっていくバイクの音で目を覚ました僕は一瞬にして体の痛さを感じた。それもその筈、絨毯の上に座って眠っていたのだから。
「やっぱり寝るのは布団だよな・・・。」
そんな当たり前のことをポツリとつぶやきながら僕はそこで思いっきり体を伸ばした。まだまだ薄暗い部屋の中で何とか見えた時計が指す時間は五時半。いつもなら完璧に眠っている時間だ。
「寒っ。」
鼻水をズッと軽くすすりながら何か羽織る物を探していると、布と布が擦れる音がした。それに反応して振り向くと、咲が上半身を起こした状態で僕の方を見ていた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
お互い寝ぼけているのか、二人して見つめ合ったまま静止している。
何だ、この図。
「おはよう。」
とりあえず出てきた僕の第一声に反応するかのように咲が動き出した。
「まだ、ご両親眠ってるわよね。今の内に静枝さんのとこに戻るわ。」
僕の挨拶を完全に無視して、咲が布団から出てくる。声は昨日よりも大分マシになっている。
「悪かったわね、布団占領して。」
「いや、別に。」
相手が誰であれ、女の前では格好つけてしまうのが男の性である。本当は寒くて体も痛いのに、僕は平気なふりをしてぶっきらぼうに返事をした。
「じゃ、また。」
「うん。・・・・あ、待った!」
咲がドアから出て行こうとした瞬間、僕は異変に気付いて咲を呼び止めた。
「何よ?」
いつもの強気さが少し戻っている咲を今度は僕が無視して庭に目を凝らした。
まだ陽が上らずに薄暗い中、誰かが居る。
「親父だ。」
肌寒さをひしひしと感じているのだろう、腕を軽くさすりながら庭の花を眺めているのは間違いなく親父だ。昨日早く寝たみたいだったから、早く目が覚めたのだろうか。それとも、毎朝の日課なのだろうか。
「咲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
まだ親父を直接見たことがないであろう咲を窓際に呼ぼうとすると、背中に人の体温をほんのりと感じた。考えるまでもなく、思い当たる人物は一人しかいない。
「咲?」
いつも態度がでかかったからか気付かなかったけど、咲は思った以上に小柄だった。身長は僕の肩までしかない。僕だって身長が高いわけではないから、きっと人混みに紛れたら埋もれてしまって探し出せないに違いない。
「さ・・・・」
僕は咲の今の気持ちを瞬時に理解できなかったから名前を呼ぶしか出来なかったけど、咲が少し震えるような手で僕の服をキュッと掴むものだからそれすらも出来なくなった。
とりあえず僕はもう一度庭に目を向けると、軽くストレッチをしていた親父と目が合ってしまった。
「お、はよう。」 ガラララ
思いっきり目が合ったものだから無視するわけにもいかず、ゆっくりと窓を開けながら何とか聞こえるような声で父さんに挨拶をした。父さんも同じように挨拶を返してくる。
部屋の中よりも遥かにひんやりとした朝の空気が僕の頬に触れ、もう秋なのだと思わざるを得ない。
きっと青ざめているだろう僕の顔も、そのせいだと思いたい。
「早いな。」
まだほとんどの人が布団に包まれている時間帯、父さんはそれを考慮して普段より小さな声で喋るものの十分に僕に届く。
「あ、何か目が覚めちゃって。父さんこそ早いね。」
何気なく他愛なく返事をしているが、僕の心臓は人生で一番早くドクドクしている。おそらく父さんが何も反応しないから咲はすっぽりと僕で隠れてしまっているのだろう。
本当に?
いや、ここはポジティブに考えるんだ。ネガティブに考えたら負けだ。
頑張れ、僕。
と、頭の中ではぐるぐる、心臓はドクドクとした状態で何とか父さんと会話を無事に終えた僕は自分で自分を褒めたくなった。
いや、褒め「たい」じゃない。褒め「よう」。
よく頑張った、僕。
すごいぞ、僕。
「咲、親父もう家の中に戻っちゃったよ。」
親父が家の中に戻って数分後、ごちゃごちゃ考えていた頭の中をすっきりさせるとずっと僕の背中にくっついていた咲に声を掛けた。
「顔、見た?」
何も返事をしない咲が微かに頷く。もう震えはすっかり止まっている様だ。
「似てないわね。」
「へ?あぁ、顔?僕は母さん似だからね。と、言っても自分ではよくわからないけど。」
「そう。」
会話終了。
あ、すごく気まずい。
「戻るわね。」
何事もなかったかのように咲はいつもの調子を取り戻し、僕の部屋から出て行った。ドアから出て行く時の咲の後姿は本当に小さくて、昨日咲の弱気な部分を見たからかもしれないが、か弱い女の子なんだと思い知らされた。元々は上から目線の強気な少女だということを忘れてしまいそうだ。
咲はどういう気持ちで僕の袖を掴んだのだろう。
親父の娘ということを証明に来たから、早く接触したいのではないかと思っていた。でも、さっきの様子からだとそうじゃない気がする。
わからない。
咲の気持ちが。考えていることが。
僕は窓を閉めながら、少しショックを受けている自分に気が付いた。自分がここまで人の気持ちをわからないのだと気付いたからではなく、咲の気持ちがわからなかったから。
「え?」
いやいや、違う。人の気持ちがわからないのが情けないからショックを受けたのだ。咲じゃなくても、きっと同じ気持ちになる筈だ。
・・・・多分。
じゃなくて、絶対。
・・・・うん。
その後も僕はだんだんと明るくなっていく外をただ眺めることしか出来ないまま自問自答を繰り返した。
その日、睡眠不足で少しふらついていた僕は若さの欠片も見られなかったに違いない。