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八 ふられた僕とガラガラ声の少女

 書斎から自分の部屋に戻ると、僕は電気をつけずにベッドの上にボスっと寝転がった。そしてカーテンを閉めていない窓から入ってくるかすかな光を仰向あおむけの状態で浴びながら、半分以上黒い雲に覆われている月をただ眺める。


コン コン


 引力で導かれたかのように月を眺めてどれくらいの時間が経ったのだろう。何十分と経ったのかもしれないし、たったの数分かもしれない。とりあえず、部屋に戻ってからも少しドキドキしていた僕の心臓が落ち着いた後に気のせいではないかと思うような小さなノックが聞こえた。


カチャッ・・・キィッ


 ゆっくりと開かれたドアから静かに入ってきたのは、勿論咲だった。

「親に見付かったらどうするんだよ。」

 いつも通りに喋ったら一階に居る両親に聞こえてしまう気がして、僕は咲の姿を確認しながら小声で言った。それぐらい静かな夜なのだ。

「何よ、起きてるんじゃない。」

 朝よりは少しマシになったガラガラ声で、咲も静かに言った。いや、風邪で小声しか出せないのかもしれない。心なしかいつもの強気も感じられない。

「大丈夫よ。今日は疲れて、もう寝るって静枝さんが言ってたから。」

「そう・・・・」

 視線を月に戻してそれから何も言わない僕を少し眺めた後、咲は無言で僕の横に座った。

「別れたんだって?」

 咲らしくストレートで聞いてくるものの、いつもの強気がないせいか心をえぐられるような感じが全くしなかった。

「私のせい、よね?」

 らしくないにも程がある。咲の表情は見えないものの、明らかに気にしているのがわかって僕は驚かずにはいられなかった。

「・・・・・・・・・ごめん。」

 何も言わない僕がよっぽど落ち込んでいると思ったのか、いっそう小さな音声で咲は申し訳なさそうに謝った。

「・・・・・・・・・いや、咲のせいじゃないから。」

 他にどう言えばいいのかわからず、僕はそう答えることしか出来ない。こんな時に気の利く言葉も思いつかない。

「・・・・・・・・・」

「いや、わかんねぇや。咲のせいなのかも。咲が現れてから僕の生活ガラっと変わったから。」

「・・・・・・・・・」

「でも、不思議なことにすっきりとしているんだ。ずっと優等生の仮面を被ってて、息苦しくなったことは何回もあった。でも、どうすることもなくて。生まれ変わりたいって思ったこともあったけど、出来なかった。」

「・・・・・・・・・」

「そうだよな。思うだけだったんだから。周りも僕を疑うこともなくて、だからもうそれでいいやって。諦めて一生仮面を被ることに決めてたんだ。」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 ずっと黙って話を聞いている咲に向かって一気に話をしていた僕の会話が途絶えると、部屋の中にはただ静寂が広がるだけだった。

「でも、本当は違う。」

 すうっと一度深く息を吸い込んで吐き出した後、僕は気付いてしまったことを口に出した。

「周りのせいにしてたんだ。優等生の僕じゃないといけないのは、皆がそれを望んでいるせいだって。だからしてあげてるって自分にずっと言い聞かせて生きてきた。」

 そう思えば楽だった。元々勉強は嫌いじゃなかったから、好成績を取る為の勉強はそれ程苦じゃなかった。


 でも、本当はずっと恐れていたことがある。


「周りの望むような僕じゃなかったら、必要ないって思われる気がしていたんだ。」

「・・・・・・・・・」

 薄々気付いてしまったことを言葉にすると、体が熱くなって鼻の奥がツンとし始めた。

「親はいい大学を出て、弁護士の経験も積んで、若くして選挙に当選して・・・・それで僕が出来損ないだったら、親は立派なのに、って白い目で見られるんじゃないかって怖かったんだ。」

 金持ち学校に通っている内に、勉強してもいい成績が取れずにノイローゼになったクラスメイトが居た。生徒会長の姉と比べ続けられて自殺未遂を図った女の子が下の学年に居た。どんな悪さをしても親が汚いお金でもみ消す不良がどの学年にも居た。

 正直やりたいようにやっている不良には憧れの気持ちも少なからずあったが、家柄を述べられなげかれている彼らを見ると自分もその道に踏み入ろうとは思わなかった。

「見捨てられるのが、怖かった。」

 汚い金で親からかばわれずに学校から退学処分になった生徒も居た為、いい子で居なければという気持ちはいっそう強くなった。

「本当の友達なんか居なくても、一人じゃなければよかった。幻滅されて離れられるくらいなら、上辺の関係だけでも仲良くできていたら。僕は、咲みたいに一人ぼっちでも生きていけるほど強くないから。」

 相変わらず月を見つめながら発言すればする程、心なしか目頭が熱くなっていくように感じる。

「自分がこんなにも弱い人間だなんて思わなかった。」

「そんなことないわよ。」

 しばらく何も言わなかった咲の出した声が、真っ暗な部屋にわずかに響いた。

「人間は弱いの。それに気付いて、受け入れることが出来ているアンタは弱くない。」

 咲にはつくづく否定されてばかりだが、良い意味で否定されたのは初めてかもしれない。冷静にそう思っている自分にも僕は少し驚いていた。

 ほとんど影にしか見えなかった咲のシルエットがみるみる近付いて、僕の横に静かに寝転がった。僕は視線を移すことなく、空気の流れだけでそれを感じ取っていた。

「私は、時折すごく怖くて仕方なくなる。何で生まれてきたんだろう?って。私は一体誰なの?って。」

 神経をぎ澄ませていないと聞き逃してしまいそうな小さな咲の声はやっぱりガラガラで、まるで他の人と会話しているような錯覚に陥ってしまう。いつもと違って弱気な内容だからなおさらだ。

 そして咲の意図する内容がその時の僕にはよくわからなかった。

「咲?」

 再び静寂が訪れた頃、部屋の中が少しだけ明るくなった。綺麗な弧を描く下弦の月が真っ黒な雲から脱出している。

「寝てる?」

 僕の呼びかけに反応しない咲は目を閉じて眠ってしまっていた。月明かりではっきりと見える咲の寝顔は、とても白くはかない美少女の姿だ。僕はその姿が恐ろしくさえ感じられた。

 このまま目を覚まさないんじゃないかという、感覚に。

「弱気になり過ぎだよな。」

 女にふられた僕に、風邪をひいた咲。そんな弱気な二人で会話したものだからきっとありえないことを思ってしまったのだ。

 そうに違いない。

「ったく、風邪悪化したら大変だろうが。」

 僕はガバっと起き上がり、咲をベッドにちゃんと寝かせて布団を掛けた。その後ベッドにもたれかかるように絨毯の上に座り込むと、妹がいたらこんな感じなのかな、と咲に言ったら怒られてしまいそうなことを思った。

―私は一体誰なの?―

 咲が眠ってしまう前に発言した言葉が頭の中でリピートされながら、僕もそこで眠りへと入り込んでいく。


―私は一体誰なの?―

 咲、そう思うのはきっと咲だけじゃない。誰だって一度は思ったことがある筈だよ。

 

 僕だって、薫だって、可南子だって

 そしてきっと親だって


 どんなに憧れを持たれる大人だって、一度は考えたことがある筈だよ。

 だって、咲が言ったように人間は弱いから。

 誰かに自分の存在意義を示してもらえると安心する筈なんだ。



 絶対、そうだよ。




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