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七 収穫は後頭部

「お帰りなさい、真一さん。」

「ただいま、って本当は逆だね。」

 家に着くと母親が出迎えてくれた。本来なら僕が家に居て両親に「お帰りなさい」と言う筈なのに、外出していた為に僕が言われている。両親の出張なんてなかったのではないかという錯覚に陥ってしまう。

「お帰り。」

 リビングに入ると、親父・・・・父さんがソファに座りコーヒーを飲んでくつろいでいた。

「ただいま。」

 僕はそのまま父さんの正面のソファに座ると、静枝さんが紅茶を運んできてくれた。

「真一さん、可南子さんはお元気?」


 ガチャン


 父さんの横に座った母さんが何の脈絡もなく可南子の名前を出したもんだから、僕は思わず手に持ったティーカップを倒してしまった。

「あらあら。手に掛かってないですか?」

 すかさず布巾ふきんを持って駆けつけてくれた静枝さんがテキパキと動きカップを片付け、すぐに新しい紅茶が運ばれてきた。

「ありがとう。」

 静枝さんから新しい紅茶を受け取ると同時に、僕は気を取り直す。

「実は、別れたんだ。」

「まぁ、いつ?」

「・・・・・・今日。」

 優等生だった僕は律義なことに可南子のことを両親に話していた。直接会わせたことはないものの度々話題に上がり、その度に優等生モードできっちりと応答していた。さすがに別れたことは言うつもりはなかったのだが、話を振られたもんだから少し考えた結果とりあえず報告することにした。

 親の前ではまだ優等生を止められない僕。

「どうして?」

「えーと・・・・・価値観の不一致・・・と言うか・・・・・・色々。」

「色々って?」

 見苦しく言いごもった僕に母さんはなおも追及してくる。女ってどうしてこう追及してくる生き物なのか。

 可南子と別れた理由に色々も何もないんだけどな。

「真一さん?」

「まあまあ、いいじゃないか。真一だって年頃なんだ。親に言いたくないことの一つや二つあるさ。」

 意外にも僕の窮地きゅうちを救ってくれたのは父さんだった。思えば今まで可南子の質問をしてくるのは母さんばかりで、それにうんざりし始めた頃に父親はいつも話を終わらせてくれていた気がする。

「それより、そろそろ晩ご飯にしようか。」

 父さんがそう言うと、静枝さんが慌しく動き始めた。母さんも納得していない顔をしているものの、それ以上追求してくることはない。

 僕は何気なく父さんに守られていたんだ。

 ちょっとしたことだけど、今更ながらに気付いた自分を少しだけ恥じた。


コンコン

「はい。」

「真一だけど。入っていい?」

 父さんが書斎に入ったのを見計らって僕も書斎へと足を運んだ。父さんが書斎に居る時は仕事をしている時というイメージがあった為、こうやって私用で訪れるたことは今までなかった気がする。

「どうした?」

「えーと、あの・・・」

 さっき窮地から救ってくれたお礼を言おうと思っていたのだが、今更という気もして何も言葉が出てこない。そんな僕を父さんは不思議そうな顔で見つめている。

「アルバム、とかある?大学の。」

 何かを言わねば、と考えると咲がさっと僕の頭をよぎった。そうだ、帰り道気を引き締めた筈なのに忘れるとこだった。

「私の若い頃に興味があるのか?」

 そんなんじゃなくて、何か手がかりを探ってやるという気持ちで言ったのに父さんは心なしか少し嬉しそうに見える。

「あ、うん。それに同じ大学だけど今と違うことがあるかな、って思って。」

 僕はまたいつもの様にもっともらしい理由をとりあえずつけておいた。親の前でまだ本当の僕をさらけだしたくないという気持ちがまだ心のどこかにあるようで、無意識に口から出ていた。

「私も大学の頃付き合っていた女性と別れた時、しばらく何も手がつかなかったな。」

 今までとは違って歯切れの悪い僕が落ち込んでいると悟ったのか、父さんが自分の話をサラっとした。

「父さんにもそんなことあったんだ。」

「あるさ。昔から社会はガラっと変わったが、人間の感情はそう変化しないものだよ。楽しい時は笑って、好きな人ができたらドキドキして、嫌なことがあったら落ち込んだり泣いたり。ただ最近はそんな当たり前のことが出来ない人が増えている気がするがね。いや、させてもらえないと言った方が正しいのかな。」

 父さんの大学のアルバムを探しながら言ったその言葉に僕は心がずしりとした。今までの自分が見透かされているような、そんな気さえしてくる。

 いや、そんな筈はない。今まで演じてきた優等生の僕は完璧だった筈だ。

 でも、僕は何故か父さんの言葉に何も意見を言うことが出来ず、ただ父さんの背中をじっと見ているしか出来なかった。

「あった。懐かしいな。」

 見るからに時代を感じるアルバムと、そして大学生活の写真が収まっているのだろうアルバムを見つけた父さんはささっと(ほこり)をはらうと机の上にそれらを置いた。

「もう三十年前にもなるのか。」

 柔らかな表情で父さんがアルバムをめくり始めると、僕はすかさず横から覗き込んだ。

「今とは大分授業内容も変わっているのだろうな。」

 アルバムの最初の方である校舎や学長・教員の写真のページをゆっくりと、懐かしみながらめくっていく父さんは僕が知っている父さんとは違って見える。

「父さんは、どこか写ってる?」

「どっかに載ってた気がするが・・・あった、これだ。」

 そう言って父さんが指差した部分には一人の男の人が写っていた。これが三十年前の父さんか、って

「後頭部じゃわかんないって!」

「そうだろうな。」

 思わず口に出した僕の言葉に父さんはあっさりと頷いた。

「研究室の写真が確かあった筈。」

 今のやり取りが何でもなかった事の様に父さんはその研究室の写真とやらを探し出す。今のやりとりが楽しかったのか、わずかに笑いながら。


 ・・・父さんってこんな人だったっけ。


 僕が今まで知っていた父さんは真面目で、必要以上の言葉を喋らないタイプだ。母さんがお喋りだからそれで上手くバランスが取れているのだろうが、少なくともこんな風に冗談というか特別に笑いが起こるような話をした記憶がない。

「父さん。」

 僕は聞こうと思っていたことを口に出そうとしてその先に詰まってしまった。心臓がドクンと大きくなって今ものすごく緊張しているのだと気付かされる。

 さりげなく聞こうと思っていたのに、一度詰まってしまってから頭の中が真っ白になってしまっている。

「何だ?」

 そんな僕とはうってかわって父さんは当然のことながら不思議そうな顔をしている。

「いや、その・・・大学時代に、か、彼女とか・・いなかったのかなぁ、って・・・」

 やっと僕の口から出てきてくれた台詞は、覚えたての言葉を一生懸命並べて喋っている幼子(おさなご)のようだった。

「そんな聞き辛そうに聞かなくてもいいじゃないか。今は母さんも居ないし、親子なんだから。」

 確かにそうだ。親子だからこそ恋愛話など恥ずかしいものにも感じられるが、本当は照れることなどないのだ。

「居たよ。二つ年下の、元気な人だった。」

 写真とかはないの?って聞きたかったけど僕はそれ以上何も言えなかった。父さんが今まで見たことのない表情をしたからだ。

 懐かしむというよりも切なそうな、少し弱々しい顔。仕事で疲れている時とは明らかに違う顔。

 

 僕はそれ以上何も追及することが出来なくなって父さんの書斎をあとにした。

 そしてそのまま永遠に理由を聞くことが出来ないかと思っていたが、それからあまり月日が経たないうちに僕はその理由を知ることになる。



 それは僕と咲が知りたかった真実だった。




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