四 ことごとくツイてない
「はっ。」
咲と大学に来た次の日、僕は学食で昼ご飯を可南子と食べながら重要なことを思い出した。
「どうしたの?」
可南子が手に持っているフォークを止め、不思議そうな顔をしている。
「いや、次の授業のプリント忘れたかと思って。ほら、先週配ったの今週も使うって言ってただろ?でも朝鞄に入れたの思い出したよ。」
いつも通りの優等生スマイルとそれらしい言い訳に可南子もいつも通りに「そうなんだ」と頷く。
「ね、次の土曜日暇?観たい映画があるんだ。」
少しも僕を疑わない可南子がデートに誘ってきた。
「土曜か。いいよ、何の映画?」
内心気が進まないものの、断る理由も特にないので受け入れた。可南子が観たいのはやっぱりというか恋愛映画で、最近話題になっている映画だった。映画は久しぶりで楽しみだ、なんて思っていない台詞が口から出ては可南子を喜ばせた。
(楽しみだ、じゃないよ。)
昼の講義を聞きながら、僕は心の中で溜息をついた。咲が今日から雇ってもらえてラッキーだなんてさっきの昼ご飯時に思ってしまったからだ。咲が僕の家に来た理由は親父の娘かどうかを確認する為で、咲の生活を見守っていく為じゃない。
でも、どうやって?
戸籍で証明できないことはもう判明しているし、かと言って親父に隠し子の覚えはないか、なんて聞ける訳もない。
「真一君?」
考え事をしている僕を不思議に思ったのか、隣に座っている可南子が名前を呼んだがその声は名前を呼ばれたと脳で認識されることなく僕の耳をただ通過した。
「一条。」
「はい。」
突然教授から名前を呼ばれ、驚くもののすぐに返事をした。
いけないいけない、今は授業中なんだ。優等生モードを崩してはいけない。
「君は父親と自分は似ていると思うかね?」
「外見は似ていないですね。しかし、国に尽くしている父親の様に正義感溢れる人間になりたいとは思っています。」
教授はそうか、と感心して遺伝の話を続けて話し始めた。そうか、今日の講義テーマは遺伝だったな。僕は遺伝の話となると決まって嫌な気持ちになる。小さい頃からお父さんのように立派にならなきゃね、なんて言われ続けて育ったからだ。
それはさておき、優等生モードを持続して授業を聞いているフリをしている僕の横で可南子が不機嫌な様子になっていたことに僕は全く気付かなかった。
僕の頭の中は咲とのことでいっぱいになっていたのだ。
「咲、遺伝子診断しよう。」
咲がバイトから帰ってきて僕の部屋に入ってくるや否やすぐに切り出した。昼の講義で遺伝の話を聞いて閃いたことだった。親父が一緒ということは僕らは義理の兄弟。遺伝子診断すれば同じ遺伝子が見つかる筈だ。
「嫌よ。」
咲の決断は早かった。
「何で。親父の娘かどうかすぐに結果が出るじゃないか。」
「病院には行きたくないの。」
幼い理由に、僕は呆れざるを得なかった。
「幼稚園児か、お前は!」
「姉に向かって幼稚園児とは何よ!」
「誰が姉だ!・・・・・はっ!?」
どうやら咲は僕を驚かせるのが得意らしい。
「いくつと思っていたのよ。」
「十代。大学に行きたかったって言ってたからてっきり僕と同じか一つ下くらいかと。」
咲は元々背が低いが、かなり痩せている為に実際の身長よりも小さく見える。髪も無造作に短く切られ、化粧っけもないためにとてもじゃないけど年上には見えない。
「見る目ないわね。今年でもう二十三になったのよ。」
「嘘だ。」
僕より三つも年上。僕の親はお見合いして半年ぐらいで結婚したと以前に聞いたことがあったので、計算すると咲は親父とお袋が出会う前に生まれていることになる。
「何が嘘よ。ま、若く見られて悪い気はしないけどね。」
咲は僕の不信な視線に気付きながらもそれほど不機嫌にはならない。女ってどうして年齢をそう気にするのだろう。可南子だって浪人して大学に入ったので僕より一つ年上で、そのことを気にしている。男からしたらそんなのどうだっていいのに。
「とにかく、遺伝子診断をしようぜ。」
「嫌だってば。」
「逃げるのかよ。」
「病院には行きたくないんだってば。」
僕は問題をさっさと解決したいのに、咲は頑なに拒んだ。金目当てて来た訳ではないと思っていた考えが揺らいでしまう。
結局小一時間言い合いをした結果、僕の意志は通らなかった。何て頑固な女なんだ。
「まず、お前の母親が僕の父親と同じ大学ということから調べよう。」
言い合いをして疲れた僕は違う視点から調べることにした。咲の言っていることも本当かわからないし、時間が掛かるのは覚悟しなければいけないと思っていたので半ばヤケになっていた。
「どうやって?」
「大学の卒業アルバム見ればわかる筈だろ。」
「私の母親とあんたの父親、学年違うわよ。」
「マジかよ。」
どうしてこうことごとく証明方法が消去されていくのか。日頃の行いが悪いと仕方ない気がするが、僕にはその覚えがない。
「でも一応見てみよう。」
僕はもしかして、という希望を捨てたくなくて前向きな発言をした。
「そうね。」
特に止めることはなく咲も同意した。だけど、また僕は運に見放された。
「鍵が閉まってる。」
親父の大学アルバムが置いてあると思われる書斎に咲と一緒に行ったものの、鍵が閉まっていて入ることができない。何度かドアノブをガチャガチャと動かしたが、開く筈もなく、空しい時間だけが過ぎていく。
「考えたら大事な書類とかあるかもしれないもんな。当たり前か。」
僕はドアノブから手を離し、ドアに背もたれた。
「さすが政治家ね。それとも大臣候補だからなのかしら。」
「何の話?」
僕は咲の何気ない一言が理解できなかった。
「知らないの?何大臣か忘れたけど、収賄容疑の掛かっている大臣がいてその人が辞任したらあんたの父親が最有力候補なのよ。」
「それ有名な話?」
「ニュースでやってたくらいだから有名じゃないの。私、それを観てお母さんとあんたの父親が一緒の大学ってこと知ったのよ。」
僕はテレビを全くと言っていい程観ないので、周りから親父の話題を振られてもわからないことが今までに何度もあった。今回もそのケースだ。
「大臣になったら、また周りがうるさくなるな。」
ずるずるっとドアを伝って座り込みながら僕は嘆いた。父親が名声を得れば得るほど、周りは騒がしくなる。
「何が嫌なのよ。」
がっくりとうなだれ、視線が床へと向いている僕の頭上から咲が質問してきた。
「だから、親父の地位が高くなると張り付いてくるマスコミの数も増えるし、それと同時に僕にまでゴマをすってくる奴も多くなる。周りもとりあえず知り合いになったら得かも、とか言う気持ちで寄ってきたりするし、何より“お父さんみたいに立派にならなきゃね”なんて言われることが多くなるんだよ。」
「馬鹿じゃないの?」
僕の溜息交じりの嘆きを咲はバッサリと言い捨てた。顔を上げた僕の視線は真っ直ぐに僕を見据えている咲の視線とぶつかった。
「一人で思い込んで、自分は可哀相だなんて。悲劇のヒロインのつもり?」
僕は男だからヒロインじゃなくてヒーローと言うのが正しい、なんて言う訳もない。
「馬鹿って・・・」
今まで言われたことのない言葉の方に僕は反応した。“気持ち悪い”同様、咲に出会うまで人生で一度たりとも言われたことのない言葉に怒りが湧いてきた。
「馬鹿だから馬鹿って言ったのよ。そんな考え方しているようじゃ、本当の友達と言える人もいないんでしょ?」
「ふざけんな!」
きっと怒鳴ったのも、人生で初めてだと思う。
「お前に何がわかるんだよ!」
本当はもっと何か言いたいのに、喧嘩もしたことのない僕には他の台詞が浮かばなかった。
「わかる訳ないでしょ!私には父親が居なかったんだから!」
咲も僕に負けじと怒鳴り始めた。
「あんたは自分のことしか考えられないの?あんたが大学に行けているのも、こうして大きい家に住むことが出来ているのも、何もしなくても食事が出てくるのも、あんたの両親が精一杯働いて稼いでいるからでしょ!それなのに自分は可哀相なんて、本当に甘ったれたお坊ちゃんね。」
「なっ・・・!」
甘ったれたお坊ちゃんなんて・・・もう少しで成人になると言うのに、子ども扱いされたことに怒りはどんどん膨らんだ。だけど、情けないことにやっぱり次の言葉が出てこない。
咲の後ろで晩ご飯ができて呼びに来てくれた静枝さんが驚いて立ちすくんでいたけど、それに構う余裕なんかなかった。いつもの優等生モードに切り替えることなく、咲とお互いに睨み合ったまましばらく親父の書斎の前で時間を過ごした。