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二八 秋に知った春香

 突然だった。


 秋色の空の青さも珍しくなくなり、咲とは会ったばかりの時のような喧嘩も、かといって両想いの男女らしい行為も一切ないままずるずると日にちが過ぎていた日常に、突然のことだった。

「真一、話がある。」

 怪我もすっかり治って、何てことのない休日の昼食後、父さんがひっそりと僕に話しかけた。

「え。」

 母さんは静枝さんとティータイム用のケーキを焼こうと盛り上がっている。家族そろっての昼食は、特に珍しくもないし、食事中の会話もまさにほのぼの家族そのものだった。その後に険しいとまではいかないが、真剣な顔で僕に話があると言った父さんに対して僕は何のことか見当さえつかなかった。

 当たり前になり過ぎて、すっかり忘れていたと言ってもいい。


話をする場所は静枝さんの部屋だった。


「!」

 父さんの背中を追って歩いて辿り着いた部屋には、咲が気まずそうに顔を俯けて正座していた。そんな咲は父さんに続き僕が入ることがわかると、少しだけ顔を上げ、一瞬だけ僕と眼が合った。少し潤んでいるようにも見える。

「座りなさい。」

父さんは机を挟んで咲の対面に正座をした。僕はどっちの隣に座るかを選ぶことができずに、部屋を入ってすぐの場所に座り込んだ。勿論、正座で。

少しばかり沈黙の空間となり、僕の頭の中はすっかりとパニックになっている。


どうして?

いつ?

母さんは知っているの?

これからどうしよう?

 

考えたところで解決策なんか浮かぶ訳がない。それは僕が混乱しているというだけが理由ではなく、全然人生経験がない子どもであるからだ。

「今朝」

 話があると言った時のように、父さんがひっそりとした声で無言の空間を破った。

「庭に出たとき、静枝さんの部屋のカーテンが開いたから挨拶しようと近寄ったら、彼女の顔が出てきた。」

 それはそれは驚いた、という文字が顔に書いてあるかのような表情で父さんが話す。

 それはそうであろう。僕が父さんの立場であったら腰を抜かすまでしていたと思う。

「春香。」

 次の沈黙を破ったのは咲だった。俯いたまま、ひっそりとした父さんの声よりもさらにひっそりとした声だった。そんな咲に対して、父さんは視線を咲から離さないでいる。驚いているような、目をしっかりと見開いて。

「春香って言いましたよね?」

 父さんと同様、驚いたであろう咲が唯一聞き取った言葉であろうか。どうやらその時に二人でじっくりと会話を交わしたりはしていなかったようだ。

 気が付けば、いつのまにか咲も父さんを見ている。その咲の視線をしっかりと受け止めている父さんは静かに頷いた。

「母です。」

 僕の視線は咲へと釘付けとなっているが、咲の視線が僕に向く様子は全然ない。

「春香は・・・相沢春香は私の母です。」

 最初に咲と会った頃、咲の父親が僕の父さんの訳がないと全否定した。だけど、父さんがふいに呟いた名前が咲の母親の名前であった。それは少なくとも知り合いで、ふいに出た名前ということなら何かしらの関係性があったと思っていいのではないか。もしかしたら、大切な女性であったのかもしれない。

僕は書斎で父さんの大学時代の彼女のことを話していた時の顔を突如思い出した。

「そうか。」

 父さんは続けて何かを言おうとしたが、そのまま口を閉じた。

「知っているんですか?」

 黙ってしまった父さんの代わりに咲が口を開いた。きっと、ずっと聞きたかったことなのであろう。僕に啖呵を切ったその日から、ずっと。

「知っているよ。」

 静かに父さんが言った。その瞬間、僕の世界から音が消えた気がした。


 嫌だ。

 どうか、咲の父親だなんて言わないでくれ。どうか、そんな訳ないと笑い飛ばしてくれ。

 僕と咲は他人なんだと証明して、好き合うことに何の問題もないんだと安心させてくれ。


 だけど、それは叶わなかった。

 と、言うのも、咲が父さんに「自分の父親ですか。」と聞かなかったからだ。僕と同じ気持ちもあったとも思うが、父さんが「後日ゆっくり話そう」と言って席を外した。

 静かに静枝さんの部屋を後にした父さんの足音はもうとっくに聞こえない。

「ごめんなさい。」

 涙交じりの声で咲が僕に謝った。

 咲は僕にどんどん弱気な部分を見せるようになったけど、謝るのは初めてではないだろうか。

「私、」

「もういいから。」

 いい筈ないけれど、咲を責めることなんてできない僕は咲に近寄って抱きしめた。

「ちょっと。」

「・・・・・ごめん、足が痺れて、もう少しこのまま。」

 こんな緊急事態にこんなことしている場合じゃないけれど、嘘ではない理由を付け足して僕は久々に咲の体温を感じる。

「うっ」

 素直に僕の胸で泣く咲を更に愛おしく感じる。

「大丈夫だから。」

 一緒に泣いてしまいそうになるのを何とか堪えて、壊れた音楽プレーヤーのようにただその言葉だけを咲に投げかけた。その言葉は自分にもひたすら言い聞かせてもいて、あと僕がその時できたのは、ただ咲が泣き止むのを待つだけだった。





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