二七 愚問
「久しぶり。」
「本当に大丈夫?」
約二週間の自宅療養を終えた僕は久々にくぐる校門に新鮮さを少し感じ、何だか落ち着かない気分になっていたが、教室に入るなり薫と可南子がすぐに声を掛けてくれたことでその気持ちがふっとんだ。
「うん。」
気味の悪い色となった痣が少し残っているものの、もう痛み止めの飲み薬も湿布薬も不要となった僕は笑顔で返事をした。
「咲ちゃんと話できた?」
「うん。」
可南子が小声で聞いてくる。その優しさにまたもや胸が熱くなりながら僕は即答した。
建物を見上げると、その合間からすっかり秋の青さを伴った空が見え、思わず立ち止まる。
「真一君?」
「どうした?」
可南子と薫が続けて聞いてくるが、僕は軽く首を横に振りまた歩き出した。頭の中には静枝さんの部屋での咲とのやりとりが流れていた。療養中の自分のベッドでも何度も思い出した、そのやりとりを。
「どこか、行こう。」
物音一つしない静枝さんの部屋でしばらく抱きしめ合った後、僕の口からはそんな言葉しか出てこなかった。僕の背中に回す咲の手に、少し力が加わった気がする。
「どこかって?」
僕の腕の中で微動だにしない咲の鼻声を何とか拾えた僕はすぐさま口を開く。
「遠いところ。どこか、どこでもいい。誰も僕達を知らないとこ。」
僕は本気だった。
具体的な案が何も浮かばないくせに、誰にも気づかれずに遠い場所で、二人で生きていける妙な自信があった。
「バイトに行かなくちゃ。」
しばらくまた静寂が続いた後、咲がそうつぶやいて僕から身体を話した。
「え?」
「もう混んでいる時間だし、急がないと。」
僕に背を向け、数少ない荷物が入っている鞄を静かに肩にかけた咲は下を向いたまま僕の横を通り過ぎようとした。
「え?何それ?」
慌てて咲の左手を掴んだ僕には訳がわからなかった。
やっと会えたのに、お互いに必要としている筈なのに、どうして僕の腕をすり抜けていくのか。
「無事でよかった。」
そっと僕の手を離してから咲が静かにふすまを閉めた。
「え?」
熱を帯びていないふすまからそのまま視線を離さず、僕は無意識に呟いた。
思考が働かない。現状が把握できない。
咲は?バイト?どうして?
さっきまで会えた嬉しさで泣きそうだったのに、今は瞬きを忘れて目が乾いている。
どうして?
僕の頭の中にはその言葉しか浮かばなかった。
「…君。一条君!」
ハッと意識を戻すと同時にたくさんの視線を感じ取った。全然聞いていなかった授業の中盤、久々に授業に復帰した僕を準教授僕が何らかの質問であてていた。
「具合が悪いのかい?無理しなくてもいいんだよ。」
「いえ、すみません。もう一度お願いします。」
慌ててそう答える僕に、準教授は何もなかったかのように授業を再開した。そして、僕もすぐ集中力をなくす。
嘘をついてしまった。
優しく、嘘で作り上げた僕を許してくれた二人を。
でも、どうしても触れられたくなかった。しょうもないプライドだとわかっていても。頭の中の“?”が消えるまでは、上手く整理して話ができるようになるまではどうかそっとしておいて欲しかった。
そうしてくれた二人には今でも感謝しているよ。
でも、それで良かったのかは未だにわからない。あの時、二人に相談していたら違う結末になっていたのかな。
答えのない質問が馬鹿げているとわかっていても、いくつになってもしてしまう。それでも、きっとあの頃よりは大人になっていると思う。
初めて本気で人を好きになったあの頃よりは。
きっと。