二六 会いたくて会いたくて
「辛くない?欲しいものない?」
昨日の今日、学校を休んだ僕に母さんがつきっきりで質問してくる。父さんは仕事が忙しくてどうしても休む訳にはいかず、その代わりに母さんは僕が心配だからと静枝さん共々僕につきっきりの状態であった。
「大丈夫だって。全治十日の打撲だし、今日学校に行けないこともなかったくらいなのに。」
今のソファにもたれかかり、いつも以上に心配性になる母さんをよそに僕は時計が気になって仕方なかった。静枝さんによると咲のバイトは昼からで、今は静枝さんの部屋に居ると言うのだ。一刻でも早く会いに行きたいのに、母さんが居るとそれが出来ない。そわそわしながら母さんと話をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「真一!」
「真一君!」
小走りの足音がしたかと思うと、薫と可南子が部屋に入ってきた。昨日、榊さんと食事に行ったことを知っていた二人は何回も電話やメールを送信してくれ、今朝「大丈夫」と返信したのに、心配で家にお見舞いに来てくれたのだった。
昨日の今の時間帯も図書館で同じようなやり取りを交わした僕は、二人の温かさが本当に嬉しかった。
「えっと?あら、もしかして、可南子さん・・・?」
初めて見た薫に、可南子。母さんは二人を交互に何回か見やった後、可南子に取り敢えず挨拶をした。
「初めまして。急にお邪魔して申し訳ありません。真一君のことが気になって。」
「あ、そうなの。でも・・・」
はきはきと丁寧に言葉を並べた可南子に対して母さんは明らかに困惑しているのが見て取れた。
「今は友達として仲良くしてるんだよ。そしてこちらが板橋薫君。高校まで同じクラスになったことなかったけど、今すごく仲がいいんだ。」
慌てて入れた僕のフォローに何とか母さんが納得したかな?と思った頃、今度は家の固定電話が鳴り響いた。
「はい。」
いつも通り静枝さんが電話を取り、話を進めていく。その光景を見て可南子が
「やっぱりすごいなぁ。」
とポツリと呟いた。僕が小さい頃から静枝さんはこの家で働いてくれていたから特に何とも思わなかったけど、考えたら家にお手伝いさんが居るということは珍しいことなのだ。その静枝さんが家のことを全てしてくれる光景には一度来ただけでは慣れなかったようだった。
「何が?」
薫が真顔で可南子に質問をした。僕の家族構成を知らないからではない、きっと薫の家にもお手伝いさんがいるからだろう、何がすごいのかが理解出来なかったようだった。
「どうせ私は田舎の凡人ですよ。」
可南子の呟きは当然のように聞こえるのは、僕が自分の小ささを最近続けて感じたからだろうか。
「奥様。」
静枝さんが母さんを電話口に呼び、僕の周りには薫と可南子の二人になった。
「ねえ、咲ちゃんは?」
一応気を使って可南子が小声で僕に尋ねる。
「まだ会えてない。」
僕も小声で返す。しかし、そんな気の遣いが必要の無い程母さんと静枝さんが慌ただしくなった。
「真一、お父さんに呼ばれちゃったけど、一緒にいなくて大丈夫かしら?」
本当は僕の傍に居たいと言わんばかりの表情である。しかし、前に咲が話していた大臣云々のことだろうか、周りがごたごたしている中親父は忙しいらしく、母さんをヘルプで呼びたいようだった。そしてそんな親父のことも心配で仕方ない母さんはその頼みを断れないようだ。
もしかしたら、親父の計らいなのかもしれないけど。
「大丈夫だよ。父さんをしっかり手伝ってあげて。」
僕のその一言に母さんは頷き、静枝さんと慌ただしく準備を済ませて父さんの元へと行った。
「じゃあ薫君、私達も学校に行こうか。」
「え?」
母さんを玄関まで見送って居間に戻ると、可南子がそう切り出した。てっきり一緒に咲に会うと思い込んでいた僕は思わず驚きの声を上げてしまった。
「結構元気そうで安心したし、咲ちゃんと二人でゆっくり話しなよ。」
薫も同じ気持ちだったらしく、鞄を持ちながら立ち上がった。
「咲ちゃんの居所に困ったら私の家でも大丈夫だから。」
「授業代わりにしっかり聞いておくから。」
僕が引き留める間もなく可南子と薫はそう言い残して僕の家を後にした。
「いいお友達ですね。」
「うん。」
静枝さんが玄関の鍵を閉めながら僕に言ってくれたその言葉を僕は素直に受け入れた。そしてすぐに咲の居る離れへと急いで向かった。
何を言えばいいのかなんて迷うこともないくほど、咲に取り敢えず会いたいという気持ちで一杯になっていた。
静枝さんの部屋のドアを乱暴に開けると、体育座りの状態で膝に顔をうつ伏せていた咲が反応して顔を上げた。真っ赤な目をして今にも泣きそうな顔の咲を見ると僕は思わずホッとしてしまった。まるで立場が逆で、咲が怪我をしたがその怪我が大したことないとわかったかのように。
「怪我」
「平気。打撲だから。」
僕は咲の言葉を遮って傍に寄った。二日間会っていなかっただけなのに、久しぶりに見た気がする咲の顔は更に小さくなってしまったように感じた。昨日静枝さんから聞いて心配してくれていたのだろう。
何とかして会いに来なかった自分を責めた。
「咲。」
名前を呼ぶと共に怪我をしていない右腕で咲を抱き寄せた。動く時に左肩に一瞬だけ痛みが走ったが、そんなこと構わずに右腕に力を入れた。
咲の体温を感じるとまたホッとし、僕の中で咲の存在がどれ程大きくなってきていたのかを思い知らされた。
「咲。」
もう一度名前を呼ぶと、咲が両手を僕の背中に回し、服を軽く掴んだ。少し手が震えている。
愛しい。
僕の頭の中にはもうそれしか浮かばなかった。