二五 痛みと困惑と無言
「先日、テレビでも特集されたサカキグループの榊 信二取締役が木片を持った男性に襲われ、一緒にいた男性が怪我を負うという事件が発生しました。その場で取り押さえられた容疑者は無職の男性で、金品目的で襲ったと供述しており、今後細かい動機を・・・」
僕が救急で診察を終えて痛み止めの薬と湿布が出されるまでの間、待合室のテレビからは早速僕達のことがニュースになっていた。さっきの今、詳しい情報は入っていないものの早々とニュースになってしまう榊さんの偉大さを僕はまるで他人事のように感じ取っていた。
「榊さん、元気出して下さい。実さんも。」
捻挫と診断された僕はソファにがっくりと項垂れた榊さんと、事情聴取を終えて駆け付けてくれた実さんに何だか申し訳ない気持ちになってきた。
「私がもう少し明るい場所にある店を選んでいれば。真一、社長、本当にごめんなさいね。」
優秀さが溢れている実さんが僕と榊さんに深々と頭を下げた。気の強ささえ感じられるいつもの表情と違って儚さが滲み出ている実さんを綺麗だと不謹慎にも思ってしまった。
「一条さん。」
「あ、私貰ってきます。」
薬が用意出来たらしく、薬剤師が時間外窓口から僕の名前を呼ぶと実さんがまたもやヒール音を鳴らしながら受け取りに行ってくれた。夜の静かな病院の廊下では音が必要以上に響いているが、心なしかいつもより元気のない音に聞こえる。
「やっぱり、真一のような純粋な少年が私に関わってはいけないのだよ。」
消え入るようなか細い声に驚いて振り向くと、榊さんが少しだけ顔を上げていた。さっきの食事の時とは打って変わって、後悔の入り混じった暗い表情をしている。
「何言っているんですか?」
「今回は金品目的だったけど、昔は極道にも居たんだ。いつ狙われてもおかしくない筈なんだ。わかっていた筈なのに・・・。」
榊さんがまたもや膝の上に組んだ両手に顔を埋めた。僕が診察室から出て来た時は椅子から立ち上がったものの、それからはずっとこうだ。きっと僕の診察中もそうだったのだろう。
「真一さん!」
「静枝さん!?」
実さんが薬を受け取って僕の元に戻ってくる間、静枝さんが小走りで近寄って来た。
「静枝さん、膝。」
「私はいいんですよ!真一さん怪我は?もう警察の人から電話が掛かって来た時は本当に心臓が止まるかと思いましたよ。」
年齢のせいもあってか静枝さんは少し膝を悪くしているので運動は出来ない筈なのに、一刻も早く無事を確認しようと息を弾ませながら僕の目の前まで辿り着いた。
「すみませんでした、私のせいで。」
「いえ、私が悪いんです。すみませんでした。」
とりあえず無事であると安心した静枝さんに榊さんと実さんが続けて頭を下げた。勿論静枝さんはこの二人を知らないので、どう反応して良いのか迷っている。
「いやいや、二人のせいじゃないですから。悪いのは犯人です!だから頭を上げてください。」
そうやって僕が必死になだめるも、二人の暗くなった表情はそのままであった。僕がもう少し大人だったら、もっと気の利いた台詞を言うことができたのであろうか。
「静枝さん、この二人はね、ある会社の社長と秘書で、えーと・・・友達?と言うか知り合いになってご飯をご馳走になってその帰りに襲われんだよ。この二人は全然悪くない。」
取敢えず静枝さんに簡単な説明をし終えた頃、榊さんが僕の後ろを見据えて固まってしまっていた。驚いているのか、目に困惑の色が見て取れる。
「旦那様!どうしてここに?」
先に気が付いた静枝さんの言葉に振り向くと、同じく困惑の色を目に宿した僕の父さんがそこに居た。その目は僕ではなくて榊さんをはっきりと見据えている。
僕は直感的に胸がざわめいた。
「二人ともどうしてここに。」
榊さんから目を逸らした後、僕と静枝さんを交互に見やってから尋ねてきた。僕の頭の中に大きなクエスションマークが現れた。父さんの言った意味がわからなかったのだ。
静枝さんが僕を迎えに来てくれたということは家にはまだ父さんと母さんが居なかったからだろう。病院に向かう前に静枝さんが父さんに電話をしたのだったら母さんも一緒の筈だし、今の発言も説明することが出来ない。
それだったら、考えられる理由はただ一つ。
榊さんに会いに来たのだ。
さっきもニュースで流れていたように、榊さんの情報を手に入れることは簡単だった筈だから。
「榊さん?」
急に榊さんが僕達に背中を向けて歩き出した。
「帰るぞ。」
真っ直ぐな廊下を歩いていく榊さんの背中がどんどん小さくなっていく。追いかけようか迷っていると父さんがぼくの右腕を引っ張りながら時間外出口の方へと歩き始めた。痛みがあるのは左肩なのに、握られた右腕にも痛みが走るのは、父さんがそれなりに強い力で握っているからだ。
「父さん・・・?」
一度だけ名前を呼ぶも、父さんは何の反応もない。後ろを振り返ると実さんが静枝さんに僕の荷物と処方された薬を渡し、僕の方を見やった。実さんも僕と同じく混乱の気持ちが隠せていない。
自動ドアが開いた瞬間に一瞬で寒さを感じる。その空気の冷たさが僕の不安をより一層
強くさせた。
「辛くないですか?」
タクシーの後部座席で僕の左側に座った静枝さんが心配の声を掛けてくれる。耐えられない程の痛みではない僕は笑顔で頷くと、静枝さんが少しだけ安心した表情に戻ったので僕も何だか穏やかな気持ちになってきた。
しかし、助手席に座っている無言の父さんの姿を見るとまた不安が押し寄せてくる。じっと無言で外を眺めている父さんの後ろ姿が、どうしようもなく僕の胸をざわつかせた。
「どうしたの!?」
家に帰るや物凄いパニックに陥った母さんを父さんと二人でなだめている間に僕にどっと疲れが押し寄せ、心配する両親や静枝さんに促され自分のベッドに倒れ込んだ。
この瞬間は咲のことが頭からすっかりと消えていた。きっと、咲が現れてから初めてのことだったと思う。
次の日、咲が心配で眠れなかったのだろう、真っ赤な目をして泣きそうな顔になっているのを見た時、何とかして咲に会いにいかなった後悔をする羽目になる。