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二二 やっと反抗期

 自分のマンションを目指して運転する実は、もう見慣れたと言ってもいいかもしれない顔を見掛けた。

 いや、資料と一緒に会った時と比べると明らかに大人っぽくなっており、昨日見掛けた時とはずっと余裕のない顔になっている。

プップー「どうしたの?」

 実は車を近付けて声を掛けた。

「あなたは・・・」

 疲労が隠せない顔には不安も入り混じっているが、昨日会った実のことは覚えていたらしい。すぐにそのまま言葉を続けた。

「あの、女の子、見ませんでした?背が低くて、こう、ざっくりと肩まで切った黒髪で、色白で、」

 とりあえず思いつくままのキーワードを並べる真一の言葉に、一瞬で咲のことだと実は理解できた。しかし、知っていると即答することはできなかった。咲が昨日居候先であろう真一の家に帰ることを拒否したからだ。

「その子がどうしたの?」

「昨日の晩、帰ってこなくて、」

 ビンゴであった。実がミスターの元へと連れて行った女の子はこの少年の家に居候しているのだ。しかもこの二人の様子を見ると、恋愛でも絡んでいるに違いない。

「一度見ただけの人にそんなこと喋っていいの?一条真一君。正確に言えば昨日が初めてではなかったんだけどね。」

 真一がハッとした顔になり、実の顔をまじまじと見つめた。その眼には同様の色が隠せていない。

「いい表情になったわね。」

「あの、その・・・」

「安心して、言わないわよ。こうすれば思い出すかしら?」

 そう言って鎖骨まで伸びていた髪の毛を手で一つにまとめてみると真一があっ、とした表情になった。

「思い出したかしら?」

「・・・マスコミはもう辞めたんですね。」

 真一はすっかりと実のことを思い出していた。忘れていた、高校生の頃のある記憶が鮮明に蘇ってくる。

「それからあなたが探している女の子、今日は家に戻るって言っていたからあなたも今日は帰りなさい。」

「!咲に会ったんですか!?」

「間違ってなければ、ね。」

 思えば名前を聞いていなかったので咲という名前もピンとこないが、おそらく間違っていないであろう。

「咲は無事なんですね?」

「ええ、だから帰りなさい。」

 少しだけ実は嘘をついてしまった。昨日の夜出会った時は全然大丈夫ではなかったので、無事と言えるかは疑問だったが、今日の朝の様子を見ると平気そうだったのでとりあえず頷いた。今は真一の顔色の方が悪く、思わず心配になってしまった気持ちからの行動であった。

「わかりました、ありがとうございます。」

「送って行きましょうか?」

「いえ、大丈夫です。」

 真一は少し考えてから、実の言葉を信用できると判断してお礼を口にした。表情も少しほぐれ、ゆっくりと疲れた体を動かしながら家へと戻っていった。そこに残された実は角を曲がって真一が見えなくなるのを確認してからまた車を動かし始めた。

「若い人は、少し時間が経つだけで変わるわね。」

 おばさんのような独り言を思わず実は呟いた。

 少しの時間と言っても、もう二年になる。その時の自分を実は思い出していた。今の真一のように、恋焦がれる人をがむしゃらに追うことを止めていたその頃は同じように冷めた瞳をしていた。だから真一のことが気になったのかもしれない。

 その頃のことを思い出して実は少しだけ胸が熱くなった。


 真夜中に家を抜け出したのは初めてだった。優等生だった僕は塾が終わった後も家に直帰していたし、大学に入ってからも夜通しで遊んだことなど一度もない。そんな僕が静枝さんから咲が帰っていないと聞いた瞬間にいてもたってもいられなくて飛び出した。時間は本当に真夜中で、少し布団に入っていた僕は咲と家まで戻って来なかったことに酷く後悔した。

 そうやって初めてのことなのに、特に罪の意識が芽生えたりしなかった。体が疲れているからということもあるだろうが、初めて授業中に居眠りした時のように妙なスッキリ感があったのだ。

 と、いう能天気な気持ちは玄関のドアを開けた瞬間に消え去ったのだけれども。

「おかえり。」

 僕は考えてもいなかったこの状況に目を見開き、その場に立ち尽くした。

「おや・・・父さん。」

 いつも心の中で呼んでいた言葉を喉の奥に飲み込んでから、何とか冷静に目の前に立っている人物を呼んだ。

「ちょっと書斎に来なさい。」

 そう言って父さんは背を向けて廊下を歩き始めた。玄関のドアを開けたまましばらく立ち尽くしていた僕は覚悟を決めて、ようやく靴を脱いで家に上がった。静枝さんが朝食を作り始める時間だったらしく、台所から心配そうに顔を出した。ほとんど寝ていないのだろう、目が赤く充血し、表情からあっという間に疲れが読み取れた。

「大丈夫。」

 そう静枝さんに声を掛けて僕は台所の前を通り過ぎた。台所や居間には人の気配を感じず、母さんはまだ起きていないと僕は勝手に判断した。

 ドアがきれいに閉まっている書斎の前にたどりついた僕はふうーっと一度だけ時間を掛けた深呼吸をし、ノックしてから部屋に入った。

「どこに行っていた?」

 部屋のドアがちゃんと閉まったことを確認すると、父さんは僕を真っ直ぐに見据えてそう言った。その声はひどく重く、今までに聞いたことのない怖さがあって僕はまともに父さんの顔を見ることが出来ない。

「・・・散歩。」

「あんな真夜中から?」

 僕は優等生の自分を守る為ではなく、怒られたくないという気持ちから嘘をついた。こんな幼稚園児や小学生がするようなこと、もしかしたら初めてしているのかもしれない。

「見ていたんですか?」

 思わず敬語口調になった僕が顔を上げると、父さんと目が合った。

「お手洗いに行った時に、玄関から出ていく後姿が見えたんだよ。」

 咄嗟に目を逸らしてしまったので気付かなかったが、父さんの顔にも静枝さんと同じような疲労が見て取れる。昨日は早くに休めた筈なのに、どうして。

「起きていたんですか?」

 またもや僕は敬語になっていたが、それは完全に無意識だった。

「子どもが真夜中に家を飛び出して心配しない親なんて居ないんだよ!」

 相変わらず強いその口調に、僕はまた目を見開いた。怒鳴る、というまではいかないが、明らかに腹を立てているのがわかる。

「なあ、真一。若い内にしか出来ないことは沢山あって、それをしたい気持ちもよくわかる。でもな、親に黙って真夜中に外をうろつくことはいいことじゃない。私の言いたいことがわかるな?」

「・・・はい。」

 まだ僕には驚きがかなりあって、父さんの言うことを理解する為に少しの時間を要した。でも、親の子どもに対する気持ちが確かにあって、それを感じると不覚にも泣きたい感情が少しだけ込み上げてきた。

「何を、隠している?」

 僕はまた目を逸らした。咲のことをまだ言う訳にはいかない。でも、さっきの散歩のように見え見えの言い訳すらも浮かんでこない。父さんの無言の視線がやけに痛い。

「言えません。」

「真一、」

「でも、暴走行為とか周りに迷惑を掛けるようなことをしている訳ではないし、これからは気をつけます。だから、聞かないで下さい。今は言いたくありません。」

 どうして僕の口からは敬語しか出てこないのだろう?血の繋がっている親子なのに。そして、何故僕の視界は少し霞んでいるのだろう?咲のこと、いつまでも黙っている訳にはいかないことはもうとっくにわかっている。でも、今はまだ言う訳にはいかない。そんな感情が支配している体を僕は自分でコントロールすることができない。

「やっと反抗期か。」

 僕が視線を再び父さんに向けた頃、父さんの視線はもう僕にはなかった。椅子から立ち上がり、窓へと歩み寄って明るくなってきている庭を眺めた。窓に映っている顔が少しだけ笑っているように見える。

「わかった、信用しよう。でも、勝手に夜中に抜け出すことはもうしないように。母さんにも今回は黙っておく。」

 母さんは僕が一人息子ということもあってかなりの心配性な性格である。何かをしでかせばすぐにわめく姿を簡単に想像出来た。なので、黙っておいて貰えることはすごく助かることで、少しだけ変な力が抜けた気がする。

 それから父さんはもういい、と一言だけ言ったので僕は書斎をあとにした。僕の中で色々な感情が渦巻いている。咲への想い、親への罪悪感、そして疲労感。

 ご飯のいい匂いにつられて台所の方を見ると、静枝さんが相変わらず心配そうな顔で僕の方を見ていた。僕は「大丈夫。」と全然大丈夫そうでないぎこちない笑顔を向けた。

 そしてふいに咲に会いたい、という衝動に駆られた。


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