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十六 男性A

 薫が食堂で話してくれたすごい人とは、十代で家を飛び出して暴力団に入るも抗争の関係でアメリカに高跳びし、実力主義の世界に感化され大学で経済学の勉学に励んだ人のことだった。何がすごいって授業料やらビザの関係うんぬんで何と生徒でもないのに授業を受講。何食わぬ顔で真面目に受講していた為疑われることなく三年間過ごすも、喧嘩で警察のお世話になったことからばれてしまい日本に強制帰還。勿論、有罪である。きっちりと服役をこなした後、またもやすごいことに働きながら大学に通い、今度は日本の経済学をしっかりと学ぶ。アメリカの経済学も交えて会社を立ち上げたのが三十代に入ってすぐ。そして約十年で有数の企業にのしあがったという社長がこの日本に存在するらしい。

 何度もしつこいけど。確かにすごい。

 薫が一気に話すものだからところどころ曖昧だが、朝に皆が話題にしていた理由として納得出来る為、おそらく合っていると思う。

 さて、何故僕が今この話を思い出したかというと、つい今しがた僕がある大きな会社へと向かっているからだ。さっきぶつかった人が少し日本人離れした雰囲気があって、さらにその時に相手が落とした携帯電話を今居る場所まで持って来て欲しいと頼まれたのが少し離れた場所に建っている有名なビルなのだ。

 相手は自分のことを社長だなんて一言も言っていないが、ぶつかった時間と今いる場所を考えれば車で移動したのだと容易に計算できる。つまりはそれなりの稼ぎがあるのだろう、と電車の中で揺られながら考えたところ薫の話を思い出した次第である。

 この出会いは偶然だったのか、必然だったのかなんて考えは全く浮かばなかった。


「Thank you!本当に助かったよ。」

 指定されたビルの中にある企業のロビーに着くなり、さっきぶつかった人が見た目通りの日本人離れした流暢(りゅうちょう)な英語でお礼を言いながら歩み寄ってきた。色黒な肌の色が、高い背とがっしりとした体形を更に大きく見せている。

「もう少しして大事なbusinessの電話が入るんだ。ぶつかったのが君みたいな親切な人で助かったよ、hahaha!」

 特に大笑いすることでもない気がするのだが、その人は大きなジェスチャーを交えながら感動すると共に最後は腹の底から笑いだした。

 絶対にアメリカ、少なくとも海外には行っていたな。と、瞬時にして思うのはきっと僕だけではない筈だ。

「あ、じゃあ僕はここで・・・」

「待って、oh,sorry!」

 注目を浴びることが嫌いな僕はその場からすぐに退散しようとしたがその男に呼び止められた。と、同時に僕が今しがた受け渡した電話からコールが鳴った。

「Hello!」

 僕がそこに居ないかのように、そしてさっきの何かに大笑いしていた時とは打って変わって真剣な表情で難しい話を進めていく。

 これが大人なのか。

 いつもきりっとしている親父が書斎で僕につっこませたように、まるでスイッチが本当に存在するかのように、変化の瞬間を見てしまった僕は自分の優等生モードが全然大したものではなかったことに気が付いた。常に気を張り巡らせ、一人で居る時しか落ち着いた気持ちになれなかったあの頃は何も知らず、ただ自分はすごいとだけ思っていた。

 でも、所詮は偽者。何とつまらない人生を過ごしていたのだろう。

「何かお礼をさせてくれ。」

 電話を切るなり少年のような笑顔で僕にそう語りかける男を思わず見つめてしまう。

「少年?」

「あ、いや。お礼なんていいです。当然のことをしただけなので。」

「Wow!」

 所々英語が入る喋り方には違和感が多少ありつつも頭にはこないが、今のオーバーリアクションには思わず嫌な気分になった。

「馬鹿にしてます?」

「いやいや、そんなつもりはないよ。ただ腹の底で何か企んでいる奴ばかりとbusinessをしているから、ついね。気を悪くしたら済まない。」

 真っ直ぐと僕の目を見ながら謝るその瞳には嘘一つ感じられず、ただ威圧されるだけである。

「でも、お礼はさせてくれ。今の電話を取りそびれていたら大変なことになっていたかもしれないんだ。大袈裟じゃなく、社員の首を切らずにも済んだよ。」

「そこまで大きな契約だったんですか?コーヒー豆をまとめ買いすることが。」

「Great!聞き取れていたんだね。でも、あくまでもbusiness nameで正確にはコーヒー豆ではないのだよ。何かは教えられないがね。」

 business name、つまりはばれたくないことを暗号化した言葉という意味だろうか。柔らかな笑顔の下に、重要なことは言えない鋭さを備えている顔付きからは大物感が漂っている。

「でも、今何かが欲しいとか、何かをして欲しいことがあるとか、そういうのは無いんです。」

 その言葉に嘘は無かった。昔から望めば大抵のものは手に入った。自分一人の力で獲得した全国模試で総合百位以内も、大学への学内推薦も、優等生という建前も・・・と、まあ今振り返ればつまらないことだらけだけれども。また、それと同時に何かを欲しがってはいけないという考えの元で過ごしてきた僕にとってそれがいつしか当り前になり、物欲は全くと言う程なくなってしまったのだ。

「だから結構です。」

「じゃあ何故幸せそうな顔をしない?」

 思ってもいない言葉に、僕は唖然としてしまう。鋭い瞳でいとも簡単に僕の心を見抜いてしまっているようだ。

「不幸そうな顔をしているってことですか?」

 少しだけ反応を考えた後、僕はそう質問をした。怒りも入り混じったような、そんな表情と声になっていただろう。

「No!そうじゃない。ただ、欲しいものが無いということは欲しいものが全て手に入っているということかと思ったが、そうは見えない。何か悩み事があるということかな?」

 核心をズバリと突かれた僕は一気に体中の力が抜けた気がした。この男にはきっと敵わない。本能でそう感じ取った。

「何で、わかるんですか?」

 まるでいたずらが見抜かれて失敗した子どものように、不服そうな顔つきで僕は男に質問してみた。

「半分は賭けだったよ。君が姑息で、平気で嘘を吐くことができるのだったら騙されただろうけどね。」

 ニッコリと、嫌味無く説明してくれる男には何故だか腹が立たない。そんな不思議な雰囲気を持っている。

「じゃあ、あなたと話したいです。」

 ふいに口をついて出た言葉は自分でも理解出来ず、キョトンとしている僕とその男の周りだけ時間が止まってしまった。

「あ、変な意味じゃなくて。」

 一分は経っていたと思う。自分の言ったことがゲイ発言に聞こえるのではないかと思うと一気に恥ずかしさが込み上がってきた。

「いや、その、何か大物だって思って、じゃなくて、いや、違わなくて、ただ、何か凄そうで、興味が、こう、」

 話せば話すほど自分が何を言っているのかがわからなくなり、底なしの泥沼へとどんどんはまっていくようだ。そんな僕にまたもや男は嫌味なくニコリと微笑み、あっさりとこう言い放った。

「いいよ。」

 大人の雰囲気にまだ少年のあどけなさを残すその男の一言に、動揺していた僕はスーッと落ち着き始める。

「今日は都合が悪いから、明日また来てもらってもいいかな?夜なら大丈夫だと思うから。」

 スーツのポケットから取り出した手帳をパラパラとめくり、さっさと予定を決めてしまう様子に無駄な動きが微塵も感じられず、スマートさが伺える。

「社長!カンファレンスルームに急いで下さい!」

 突然の思ってもいない声に、僕は驚いてビクッと肩を震わせる。エレベーターから出てきたのだろうか、カツカツとヒールの音を響かせながら猛スピードで走ってくる綺麗な女の人の威圧感というか、険しい顔に更に僕はまたビクッとしてしまう。

「まだ真一と喋っている途中なんだよ。それにまだ時間あるじゃないか。」

「馬鹿言わないで下さい!あと五分しかないじゃないですか!」

「やれやれ、日本人は時間にうるさいな。」

「うるさいのは社長です!いつもああ言えばこう言うんだから。ほら、行きますよ。」

 秘書なのだろうか、その女の人は華奢な体からは想像できないような力でガシっと男の腕を掴むと、少しも落ちないスピードでまたエレベーターの方へと引っ張っていく。

「あ、あの、」

 唖然とした僕が我にかえった頃、エレベーターに乗り込む社長が「またね。」というような笑顔で手をひらひらと振り、あっという間に視界から消えてしまった。

 そこにポツンと残された僕に忙しいんだな、という感想が残りはしなかった。

「いいって一言も言ってない。」

 ただそれだけ思った。



 他には何も、本当に何も思わなかった。



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