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十 オレンジ色に溶ける

「え?」

 寝不足の日曜日を乗り越えた月曜日、ある事件が起こった。

 いや、事件という程のものじゃないのだろうが、それまでの真面目な可南子のことを思うと事件と言っていいのではないだろうか。

「大倉さん、さっきの選択授業に来てなかったけど、体調でも悪いのかな?」

 僕のことだけじゃなく可南子のことまで心配していた薫は、二限目の授業が始まる前にそう教えてくれた。一度休んだくらいで単位が貰えないなんていう馬鹿げた話は聞いた事ないが、どんなに高熱を出そうが出欠を取らない授業にも必ず出席している可南子が居なかったなんて驚愕きょうがくするに当たり前だ。

「僕のせいかな。」

「えっ!?あ、違う、そんなつもりで言ったんじゃ・・・・」

 勿論そんなことはわかっていた。でも、きっと僕が原因というのもあながち間違っていない。だから薫も強く否定できずに語尾が少しずつ小さくなり、最後には曖昧に声が消えてしまったのだろう。

 しかし、腹立つ気持ちは全く無く、今の僕には可南子への心配と罪悪感の気持ちで一杯だった。

「でも、考えたら先週の真一と同じで違う席に座ったから気付かなかっただけかもしれない。教室の中に居る人を全員ちゃんと見た訳じゃなかったし。」

 フォローしてくれる薫にも少し申し訳なさを感じてしまう。

 別れた手前、どうしたの?なんてメールを送るのも気が引けてしまうし、今からの必須科目の授業で教室内をキョロキョロ見回すのもみっともなく感じる。

 僕は一体どうすればいいのだろう?


 そんな風に悩んでいる間に昼が来て、一コマ空いて四限目の必須科目の授業にも可南子は来なかった。

「別れたのに連絡するのって、やっぱりおかしいよね?」

 本日の授業が全て終わった直後、テキストや筆記具をしまわずに僕は薫に質問をした。可南子の姿を見なかった今日一日、そればっかりを考えていた。

「そうかな?」

 そんなハラハラのぼくとはうらはらに、薫はあっさりと返答をしてきた。

「僕は女の子と付き合ったことがないからよくわからないけど、友達に戻ることって無理なの?」

「・・・・出来るの?」

 僕は付き合った女の子が可南子が初めてではないが、そんなに経験があるわけでもない。

 だからだろうか。恋人という関係になったら二度と友達に戻れないものだとばかり思っていた。

「大倉さんのこと、嫌いになった?」

「いや、僕の方は特に。でも向こうは、多分。」

「んー、じゃあ無理なのかな?」

 結局解決せず。無難な人生しか送ってこなかった僕達に理解できる感情なんて、きっとほんの一握りしかないだろう。でも、こうやって話をするだけでも僕はきっと救われている。

 薫という存在が、僕の中では既に大きな存在となっていることに気が付いている僕は少しだけ成長したのかもしれない。他人を受け入れることが出来たのは、何か少し悔しい気もするけれど咲のおかげだということも認めている。

 だから無意識に出向いてしまったのだろう。


「は?」

 学校の帰り道、他に相談する相手が見付からない僕は咲のバイト先へと出向いた。

「客にその態度はないんじゃないのか?」

 風邪もすっかり治ってしまった咲の雰囲気は最初に会った時そのものに戻っていた。だけど、弱っている咲よりはずっといいと思う。

 最初ここでアルバイトをしたいと言った時、思わず想像してしまった制服姿よりもずっと似合っている咲は与えられた仕事をテキパキと器用にこなしている。

「あのねぇ、私は今仕事中であんたと世間話する余裕なんてないのよ。」

 僕が頼んだアイスコーヒーにストローを挿しながら、小声で言ってくる。確かに店内の席には客がギッシリと詰まっているし、僕の後ろにはサラリーマンが並び、店の入り口には女子高生のグループがどれを注文しようかたむろして話している。

 働いたことのない僕はこんなことにすら気付かなかったのだ。

「悪かったな。」

 アイスコーヒーを咲から手渡される時、謝った僕に咲が軽く溜息をした。

「思い出の場所とかにいるかもよ。ないの?そういう場所。」

 伏せていた視線を上げた時、咲はもう次の客の注文したコーヒーを入れていて話し掛けることなんて出来なくなっていたけど、「ありがとう」とだけ言って僕は店を出て走り始めた。

 聞こえたかはわからない。だけど、僕をこうやって走らせるだけの勢いをくれた咲には感謝したい。それから、実はそんなにコーヒーが好きじゃない僕の為に蜂蜜を少し入れてくれたことにも。

 運動があまり得意でない僕は走る速度はそんなに速くないし、すぐに息切れして歩いたりしてしまう。コーヒーを飲むと喉が潤うどころか逆に喉が渇いてしまう気さえしたけど、僕は構わずに走った。咲が言った場所に、一ヶ所だけ心当たりがあるのだ。


 定番のデートスポットで、街が見渡せる高さで、初めてデートした場所。行った後、初デートで行くと別れるというジンクスを聞いて二人で笑い飛ばしたことを思い出す。

 まさか、本当にそんなことになるなんて思わなかった。

 そこに居るに違いないという自信はそんなになかったけど、可南子はそこに居た。さすが咲。態度はでかいし、言い方はきついけど、やっぱり女の子だ。女の子の気持ちがわかるのだ。

 おかげで僕は可南子と納得のいく別れ方ができた。


「遅いよ。」

 僕が来ることを見越していたのか、汗をだらだらかいてぜえぜえ息切れしている僕の姿に驚くこともなく可南子が最初にそう口を開いた。

「なーんて、別れてるからこんなこと言うのおかしいか。」

 僕に背を向けて手すりにもたれかかる。

「可南子。」

 何とか整ってきた息を思い切り吸い込んで、僕は意を決して可南子の名前をはっきりと呼んだ。

 優等生の僕としてでなく、一人の人間として、男として可南子の名前を呼んだ。

「やり直してくれないか?」

「・・・・・・・」

 可南子は何の返事もしない。僕に向けている背中からは少し考えているのだという様子がうかがえた。

「僕は、可南子のことちゃんと見ていなかったと思う。だから」

「駄目だよ。」

 可南子は振り返りながら僕の言葉を遮った。少しだけ潤んだ真っ直ぐな瞳に貫かれた僕は、それ以上何か言葉を発するなんて出来やしなかった。

「真一君は優しいから今度こそは大事にしようって思ってくれたんだろうけど、罪悪感で付き合っちゃ駄目。本当の愛じゃないもの。」

 僕は最初可南子の言うことがよく理解できなかった。今度こそ大事にしたい、という気持ちで言ったのだが、確かに今まで申し訳ないという気持ちも確かにあった。

 そう考えると可南子の言う通り罪悪感でやり直そうとしているのかもしれなかった。

「きっとお互い様だけどね。」

 可南子がニコリと笑った。僕は未だに可南子の示していることがよくわかっていない。

「私も、真一君のことちゃんと見てなかった。」

 夕陽が空だけでなく、街を、僕等の居る空間を全てオレンジ色に染めている。でも、その中で可南子が一番染まってしまっているんじゃないかと思う。今まで見た中で最も綺麗で、幻想的な気がする。

 何か失礼な話なので本人には言えないけど、そう思った。

「入学式の時、新入生代表で挨拶をしている姿を見て一目惚れしたの。他にも同じような女の子はきっといただろうし、私の想いは嘘じゃなかった。」

 昨日喧嘩別れした時と違って、穏やかな顔つきで可南子は言葉を続ける。

「だからすぐに告白したの。どんな人かも全然知らずに。でもそれって外だけしか見てなかったってことなのよね。」

 僕達が付き合い始めたのはまだ周囲の人の顔も名前もまだ全然覚えられていない、入学して一週間経った頃くらいだ。恥ずかしそうに告白してくれた可南子はとても可愛くて、舞い上がって僕はすぐにOKしてしまったのだった。

 勿論、格好悪いから表には微塵みじんも出さなかったけど。

「私は浪人して、死ぬ程努力してこの大学に入ったのに真一君は現役で何でもスマートにこなしちゃって、本当に理想の彼氏だった。何も不満なんかなかったのに、ある時冷静になったの。私は愛されているのか?って」

 真っ直ぐに見つめる可南子の目を、僕は今見つめ返せない。僕の隣で幸せそうに笑っていた可南子は、心の中で本当の僕に気付いていたのだ。いつも笑顔をつくろっていた自分に。

「でも、“理想の彼氏”を手放したくなくて必死で自分に言い聞かせた。付き合っているから大丈夫、って。最後は意地になってたかな。」

 可南子が再び僕に背を向けてオレンジ色の中に溶け込んでいく。その背中からはもう何の迷いも探し出せない。可南子はもう先の世界を見据えている。

 僕を必要としていない、これからの自分の世界を。

「だから、お別れ。お互いの為にならないから。」

 可南子の声と肩が少しずつ震えてきていることに気が付いたけど、僕にはどうすることも出来ない。もう僕は彼氏じゃないから。

「可南子。」

「もう行って。」

 何を言えばいいのかわからなかったけど、気が付いたら可南子の名前を呼んでいた。でも、弱っている姿を必死で隠している可南子にそれ以上何も言えなかった。

 僕は可南子の言う通りその場を静かに去った。


 その次の日、大学にすっきりとした顔で現れた可南子と僕は普通に話しをした。

 友達に戻ろうと、僕の方から伝えると可南子はすぐに頷いてくれた。 恋人としては成り立たなかったけど、友達としてはいい関係だと思う。


 あれから大分経って、社会をある程度把握してきている今でも。



 咲が居なくなった、今でも。





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