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折口信夫。その、物の怪的な?大和民俗学・国学   私的折口信夫論

作者: 舜風人

はじめにお断りしておきたいのは、、、



折口信夫のあの厖大な著作を私ごとき浅学のやから?がすべて読めるはずもなく、、

また理解しうべくもないということです。


したがって以下の駄文?はあくまでも私の場当たり的な?「私的な感想」にすぎません。


あしからずご容赦くださいませ。





さて、



折口の国学(民俗学)を解く鍵とは?


いわゆる『折口学』という原生林?の三大キーワードとは、


ヨリシロと(今回は故あって?解説しませんが)


マレビトと


貴種流離譚


であるといわれていますよね?



まず、


貴種流離譚とは


折口信夫のいわゆる「貴子流離譚」という概念は



今はすっかり、忘れられたオペラ「ボヘミアン・ガール」(バルフ作曲)が典型的な貴子流離譚ですね。

すなわち、


高貴な血筋に生まれながら故あって卑賤の身分に身をやつして諸国をさまようという、


まさにその通りの筋立てです。


洋の東西を問わずこの種の物語の多いことは周知の事実です。


たとえば日本には『鉢担ぎ姫」があります。


筋は言うまでもなくご存じでしょう?



いちいちあげていたらきりもないくらいこの手のものがたりや、神話・伝説・童話・メルヘンなど数限りなくあります。





ところで、、、、。


人間だれだって自分が高貴の出であると思いたいのは心情であろう。


それで日本各地に平家落人伝説が無数にあるのである。


『じつはな、我が家は今でこそ百姓に身をやつしているが、元は平家の血を引く家柄さ」


と、、、、こうなるわけである、





あるいは、また、


これは日本の家系・系譜をたどるとみんないずれは天皇の系統に結び付くという


つまり日本人みんな天皇家の末裔ということになるわけである。


まあこれを敷衍すれば、


日本人はみんな天皇の赤子、日本は天皇を中心とする大家族ということにもなるわけである。


そんなことはありえないはずなのだが?


みんな天皇の血筋に自家の家柄を結び付けて高貴の家柄としたいがための、


まやかしと言ってしまえばまあ、そういうことなのである。



とくに江戸時代以前には血統が重視されたから、


百姓身分から出世して大名までなった一家などは、


自分の家系を、学者に金を払って、依頼して、散々こじつけて、


何とか有名家系に結び付けたニセ家系図を作ってもらったりしたという笑えない事実があるのである。





で、、、、。ここで話は突然、飛びますが、 (折口学とは関係の無い脱線です)


これから以降はスピリチャリズム(心霊科学)の話になります。


「人間はみんなとんでもない高貴な血筋の生まれなのです」


と、突然言ったら驚くでしょうか?


実は人間は誰でも神の子なのです。


天上界から故あって追放された神の子なのです、


ですがほとんどの人は一生それに気づかず、虚しく人生を終わってしまうのです。


気づきなさい。あなたは本来神の子です。


卑賤の群れの中にいても本当は神の子なのですよ。


その意味で人間はみんな


『ボヘミアン・ガール』の主人公アイリーンであり、


「鉢かづき姫」なのです。


今がたとえ、乞食であれ、どうであれもっと誇りと品位を持って精神の貴族として


生きなければなりません。



なぜならあなたは本来神の子なのですから。


故あってこの下界に追放された神の子です。




さて「折口学」に戻りますね。



次は、


マレビトとは?何ぞや?


一年に一回とか


あるいは、予告も無くとつぜんにとか


この現世に現れる異界からの訪問者のことですね。


その訪問者は


或いはこの現世に祝祭をもたらしたり


或いは災厄をもたらしたりと、


予想もできないことをしでかして


又、


突然、去ってゆく。


それがマレビトです。


日本の祭りでは


一年に一回、山の神が里に下りてきて村人に憑依して


そこで祝祭空間をもたらすというのが実に多いパターンですね。


これがまさにマレビト、そのものです。



折口の国学・民俗学については


膨大な著作があるわけでそれらすべてを知るはずもない私ごときがこれ以上くだくだ述べて、


ボロが出ないうちに?



聞きかじりはこのぐらいにしておきましょう。




さて次は、、、



折口の小説と短歌についてですが、


短歌は少年時代からアララギ派に属して


筆名、「釈超空」として有名ですね。


ですが短歌は私自身あまり興味が無いので、置いといて


ここでは、


小説について取り上げてみたいと思います。



まず小説といえば


代表作は



「死者の書」でしょうね。


これは平安時代?に仮託して


大津皇子の死にまつわる詩情を


また、藤原郎女との恋?を不思議な余韻の美文?擬古文で書いた一種異様な?小説です。


擬古文で流麗に描いた一大絵巻です。


その擬古文調があまりに嵌まりすぎていて


理解不能?領域まで達していると言ったら言い過ぎでしょうか?


また、、折口の独特なオノマトペ?というか


独特の擬音効果も摩訶不思議な余韻を残す。


一度聴いたら忘れられない、あの擬音ですね。


ただ古sの小説は読み下すだけでも一苦労?ですから


理解?するのはもっと難解でしょう。


で、、、、


もっとわかりやすい?小説としては



「口ぶえ」がありますね。折口が20代のころ書いた未完の小説です。


これは戦前の旧制中学を舞台にした、


まあ、言ってみれば青春?ボーイズラブ?小説ですが



男だけの旧制中学での男子生徒の恋?


つまり同性愛を描いたものですね。


折口は同性愛者であったことは事実ですが


この「口ぶえ」には


みずみずしい詩情として描かれています。


小説のあらすじは、


校内一の美少年の「漆間」に対して少年たちの恋を描きます。


たとえば、、、


この美少年に、


上級生たちは「付文」(ラブレター)をおずおずと、渡すとき、、


こんなことを言うのです。



「おい。漆間、ちょっと、これ見てんか、、、、見て、、返事やろ、思たら、、、くれたまえ」



青春のむせ返るような青っぽさと、少年愛の詩情が


そう、まるで、戦前の女子校の「おねえさま」シスター同士の


淡い同性愛少女小説のように


ざわざわと揺曳していくのです。



折口信夫、


彼は日本人の魂に迫る原風景を


「大和の心」を探求し続けた


碩学であったのだ。


もし、


このうっそうと茂る原生林にはまり込んだら



二度と?


もう


出ては来れないのかもしれませんね?




付記


折口信夫のほとんどの著作は


ネット無料図書館「あおぞら文庫」で読むことができます。

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