神様の悪戯
神様の悪戯
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夕日が落ちる。
空の蒼と混ざったその色は、何十にも夕日を包み込んでいた。
ただ、無秩序に生えている建物のガラスに、いくつもの夕日を映し出す。下の部分は既に闇に飲まれていて、だんだん付き始める町のネオンが偽物の光で町を照らしていた。
しかし、その偽物の光すら、届かない場所がある。
バブルの塔がたくさん立ち並ぶ繁華街のはるか遠くに、そこはあった。東京には珍しいむき出しの土と、コンクリートが混ざり合うその土地。
靴が地面を擦る音がする。
ざりざりっと、歩くには足を引きずりすぎているその音は、まるで負傷している人間のもののようだ。
と、闇の中から、右腕を庇うように抑えた少年が息も絶え絶えに歩いてきた。
服のあちこちが、鉄や、土の汚れでボロボロだった。髪の毛はもつれて、顔は殴られたかのように紅く腫れ上がっていた。満身創痍の少年の存在のなかでぎらぎらと光る黒い瞳が、空を見上げる。
もう既に、暗く、星すら見えないが闇に包まれる空に憎しみを込めた目で。
はっ、と荒く息をついて、その場に崩れ落ちるように倒れた。
胸をふいごのように上下させて、いつもより早い呼吸を繰り返す。
「ちくしょうっ、こんなつもりじゃ……なかったのに。」
少年の口から悲鳴にも似た声が漏れた。かみ締めた唇が、鉄の味を帯びる。
少年にはもう、この場から逃げる余力は残っていなかった。
こんなところで人生が終わるとは考えても見なかったのに。
どうしてだろう?
いつから自分の人生計画が崩れたのだろうか?
いつか、誰かと恋をして。
いつか、誰かと結婚して。
いつまでも、シアワセに暮らすことを望んでいたのに。
所詮は使い捨てのただの、偽の生き物だったのか?
「ちっくしょ…。」
拳を握り締めて、ひんやりとする土に額を擦り付けた。
足が痛い。手が痛い。頭が痛い。体が痛い。
そしてなにより、ココロが痛かった。
「人生のピリオドを打つのが親友じゃ、はなしになんね――。」
立ち上がろうともがいて、這うように出口ではなく近くの壁を目指した。
体をもたれかけて、自分を追ってくる人間を待った。
目がかすんでもうよく見えない世界には、昼も夜もなかった。
まぶたを閉じると、ただ、肌を突き刺す寒さが堪えた。
かつり、かつり、
人が歩く気配がだんだんと近づく。
「……来たか。」
少年は、まぶたを開けた。
目の前に立つ、長身の男。すこし長めの金髪が、夜風にそよいでいる。
彼の顔には微塵の悲しみも、怒りも、…表情もなかった。
「よぉ、親友。…やっぱり俺は消えなきゃいけないのかよ?」
「消えるのが、一番だと思うが。」
「…なら、何で俺は生まれたんだろうね。意味がなくて、消えたほうがいいなら、なんでうまれたんだ?」
「…おまえの存在を必要としたときが在ったからだ。」
「そっか、俺、必要とされてたんだ。」
「………。」
男は黙った。
少年はくくっと、押し殺したように笑う。
「……よかった。」
「………役目は終わった。おまえは消えなきゃいけない。」
ただ、たんたんと、青年は語る。
少年は微笑んだ。さっきの激情のかけらすらない。ほんとうに静かな微笑だ。
「……俺が消えたら、それは、死んだってことになるのかな?」
「………少なくとも、おれの中にはおまえの存在が残る。」
男は一歩ずつ、少年の下へと歩み寄った。
少年は動かない。
男は自分の命を奪うものだった。人生を、うばうもの。
拳銃が、額に当てられた。
鉄の冷たさが、あと少しでものすごい発熱をし、その後で自分は死ぬのだと感じると、背筋をなんともいえない恐怖が這っていった。
「ああ、なんかさびしいな。怖いな。これが、しぬってことか……」
「それが、“死”ということだ。」
男は、トリガーを引いた。
かちり、
しかし、弾は出てこなかった。
ただ、少年は長く息を吐き、動かなくなった。
開いていた瞳を閉じ、笑みを浮かべたまま、まるで眠っているかのように、壁に頭をあずけて。
しばらくした。
月が出てきた。
つきは、少し雲をまとわり付かせてそこにあった。
薄い月光が、少年の顔を照らす。
「おきろよ。」
男は、低くつぶやいた。
少年が身震いする。
ゆっくりと、瞬きし頭を上げて男を見た。
少年は、目を細めて、
「おはよう」
と笑った。
幼い子どもの笑み。
先ほどの少年とはまた別人のようなそぶりに、男は別に動じた風でもなく銃を鞄にほおりこんだ。
「久しぶりだね。何年ぶりかな?」
「さぁな、最後にあったのが、小3だった。」
「いま、何年?」
「おまえが、隠れてもう六年もたった。」
少年は体を起こして、背伸びした。先ほどまであった傷は――――なかった。
「僕ってば彼に頼りすぎたみたいだね。……もういないけど。」
「…かわいそうなやつだな。おまえもアイツも。」
「自分の人格に押し付けて逃げた僕は卑怯だよね。そして、親友にもう一人の僕を殺させるのも、すっごく卑怯かな?」
「反省するんなら、するな。」
男は少しばかり眉を寄せて少年から顔をそらす。
「は――い。」
少年は、いたずらっぽく舌を出して笑った。
『これが、しぬってことか……。』
男の耳に、あの言葉が木霊する。
命はない、ただの形容するならば偽物の人格。
彼に死を与えた自分は、罪びとなのだろうか?
「帰ろう、琢。」
「……ああ。」
少年に、手を引かれ、さっき死んだ『もう一人の少年』のことを思った。
自我を復活させた少年。
自我を奪われた少年。
神様の悪戯は、
カリモノの少年に、命というものを与えた。
*atogaki*
5、6年ほど前に別HNで書いた多重人格者である少年の話です。
人格が消えるということは死ぬということになるのか、また、それを消すことは殺す事になるのか。
僅かに疑問を抱いた青年視点の話でもあるのですが、人間の死など書くのは難しいようです。
青年と少年の会話のシーンや、場所には心を込めたつもりなのですが、うまく書き表すことができませんでした。
重々しいテーマですが、設定は気に入っている作品です。