おじゃまします。
高校2年最後の定期テスト直前、ぴいちゃんと2人で海を見に来た。
どこか、広くてのんびりしたところがいいとぴいちゃんが言って、シーズン前の海に決めた。
そのあとは彼女の家で、夕飯に呼ばれている。
ちょっと緊張する・・・けど、今はぴいちゃんと2人の時間を楽しみたい。
だって。
初デート、だもんね!
海沿いをゆっくりと走る江ノ電。
この時期は空いていて、2人で並んで座った向かいの窓から海と空が見える。
おだやかに晴れて、夏とは違うけど、海も空もきれいな青。
「藤野くんの名前の色だね。」
ぴいちゃんが景色を見ながら言う。
ふと、いつだったか、前にもこんなことがあったような気がした。
2人で出かけるのは初めてなのに・・・?
お天気はいいけど、3月はまだ寒い。
今日のぴいちゃんは、もこもこの白いセーターにチェックのマフラーを巻いて、ジーパンをはいている。
海岸で動きやすいようにと、靴はスニーカーだった。
彼女は浜辺か岩場か、とにかく海のすぐそばまで行くつもりで張り切っている。
いきあたりばったりに、海岸に近そうな駅で降りてみる。
少し歩くと、道路の向こう側に、海岸に降りる階段があるのが見えた。
道路を渡って、柵から下をのぞこうとしたら・・・すごい風! それに、なんか冷たい!!
波しぶきが風に乗って舞い上がってるらしい。
「・・・寒いね。」
ここまで足取り軽くやってきたぴいちゃんが、風になびく髪とマフラーを押さえながらつぶやく。
「戻る?」
これじゃあ、海のそばまで降りても、特に何もできそうにない。
「ううん。せっかく来たから行く。」
コンクリートの階段を、決意を固めたぴいちゃんが手すりにつかまりながら降りて行く。
途中で一瞬強くなる風をやり過ごしながら。
その後ろを俺も。
でも・・・。
そうやって海岸に降りても、何もすることがなかった。
犬を散歩させている人が何人か見える。
海の中で波を待っているサーファーも少し。
あとは・・・とにかく寒い!
海に近付くなんて、今日は無理!
足やジーパンが濡れたりしたら、すごく冷たそう。
それでも、砂浜をちょっと歩いてみた。
寒いのと、歩きにくいので、ぴいちゃんが俺につかまってくっついていたのは嬉しいけど・・・やっぱり寒い。
こんなときにわざわざ海に来た自分たちが可笑しくて、2人で大笑いしながら歩く。
10分もたたないうちにぴいちゃんがあきらめて、どこか暖かい場所でお昼を食べようと言った。テスト前なのに、風邪でも引いたらたいへんだ。
ファーストフードの看板を見つけて、海の見える席でお昼を食べながら、自分たちの無計画さを笑った。
失敗しても、俺たちにはまた次の機会がある。
ぴいちゃんと一緒だと、失敗したことも楽しい思い出になる。
「藤野くん。夕飯には早いけど、うちに来る?」
「え。」
「弟たちがうるさいかもしれないけど、あたしの部屋でのんびりしててもいいし。」
ぴいちゃんの部屋? 入ってもいいの?
家に呼ばれるって、もしかしてそういうこと?
“夕飯に” って言われていたから、それしか考えてなかったけど・・・、そういうことなのか?
ぴいちゃんの部屋で2人?
いいの?
けど、彼女のこの落ち着いた言い方は・・・どこまで考えてる?!
「今から帰ると、3時くらいには着くかな。」
行きたい・・・けど、俺は大丈夫か?
もしかしたら・・・ああ、自分が信用しきれない!
いや、でも、留守の家にお邪魔するわけじゃないし!
「・・・じゃあ、お邪魔しようかな。」
よし! 落ち着いて言えた。
でも、ダメだ!
気分がウキウキしてくる!
ぴいちゃんの家までのことは、あんまり記憶にない。
普通に彼女と話しているのに、頭の中では違うことを考えてしまい、さらに、それを嗜める自分がいる。
本当に大丈夫なのか・・・?
ぴいちゃんの家の玄関まで来たときには、緊張がピークに。
お母さんとお祖母さんがいるって言ってた。
もしも、気に入ってもらえなかったらどうしよう?!
べつに結婚の申し込みに来たわけじゃないけど、やっぱり気になるよ!
「お母さんが育ったままの家だから、古いでしょう?」
と言いながら、玄関を開ける彼女。
「ただいま。」と奥に声をかけ、スリッパを出してくれる。
「どうぞ。いらっしゃいませ。」
にこにこしながら、ぴいちゃんが丁寧に頭を下げてくれた。
俺があたふたしながら靴を脱いでいる間に、奥から女の人が・・・お母さんだ!
「は、初めまして! 藤野青です。」
お辞儀をして顔を上げると、すらっとしたシャープな印象のお母さんが微笑んでいた。
働いてるって聞いていたけど、たしかにスーツが似合いそうだ。うちののんきな母親とは全然違う。
お土産を持って来ていたことを思い出して、慌ててカバンを探る。
「あの、これ、みなさんでどうぞ!」
お母さんは「あら。」と受け取ってくれて、それから、
「ありがとう。うちはみんなチョコレートが好きなの。今日はゆっくりして行ってね。」
と言ってくれた。
ぴいちゃんが下を向いて、くすくすと笑っている。
ぴいちゃんに促されて、ようやくスリッパに履き替える。
2、3歩あるいたところで、階段からバタバタと男の子が降りてきた。
きっと下の弟だ。
「あ、姉ちゃん。」
「ああ、将太。藤野くん、下の弟の将太です。将太、藤野くんだよ。ごあいさつして。」
「・・・こんにちは。」
そう言って、不審そうに俺を足元から順番にながめる。・・・品定めか。
本当に大事なお姉さんなんだな。
と、俺の顔を見た将太くんが、目を丸くした。
「野球部?!」
「え? うん、そうだよ。」
この髪型でわかったんだな。
野球部だと都合が悪いんだろうか?
「藤野くんは野球部の部長さんだよ。それに、足が速いの。リレーの選手なんだから。」
ぴいちゃんが自慢してくれるのがくすぐったい。
「将太はね、前に住んでたところで少年野球をやってたの。でも、去年、こっちに引っ越したときにやめちゃって、それっきりでね。」
「こっちにはチームがなかったのか?」
「あったんだけど、6年生からだと、もうメンバーが固まっているから入りにくいって言って、入らなかったんだよ。本当はやりたいのに意地張っちゃって。」
「いいんだよ。中学に入ったら、野球部に入るんだから。」
将太くんがぴいちゃんに抗議する。
それから、俺の方に向き直って、恥ずかしそうに言った。
「あのさあ、キャッチボールできる?」
なんだかかわいい。
ちょっとぴいちゃんに似てるし。
こんな弟なら、何人いてもいいような気がする!
「え? い、いいんだよ、藤野くん。相手しなくても。」
ぴいちゃんが慌ててる。
「いいよ。ずいぶん早く来ちゃったし。」
それに、ぴいちゃんの部屋で何時間も、どうやって過ごしたらいいのかわからない。
「グローブあるのか?」
と、将太くんに尋ねると、嬉しそうな顔でうなずいた。
「兄ちゃんが前に使ってたのがあるよ。広場まで5分くらい歩くけど、いい?」
「将太。お客様なのに・・・。」
困った様子のぴいちゃんに大丈夫だとうなずいて、将太くんと一緒に靴を履き替える。
先に靴を履いた将太くんが、走ってグローブとボールを持って来た。
ぴいちゃんに「ちょっと行ってくる。」と言って、玄関の外でぴょんぴょん飛び跳ねている将太くんに合流する。
「あとで見に行くから。」
というぴいちゃんの声が聞こえた。
将太くんは人懐こい性格らしくて、キャッチボールをしながら、いろんなことを話してくれた。
学校のことや、友達のこと、お兄ちゃんの真悟のこと、そしてぴいちゃんのことも。
この1年、クラスの友達とキャッチボールをすることはあったけど、少年野球のチームにいた将太くんにとっては物足りなかったらしい。
最近はサッカーしかやらない子もいるし、塾や習い事で遊べない子も少なくない。
だから、4月から中学で野球ができることをとても楽しみにしている。
そんな彼の気持ちが、俺にはよくわかる。
同じように野球が好きだということが、将太くんと俺を結び付けてくれた。
少しすると、ぴいちゃんが自転車でやって来て、温かいペットボトルのお茶を渡しながら言った。
「ごめんなさい。お母さんに買い物頼まれちゃって。もう少し、将太の相手をお願いできる?」
「うん。気にしなくていいよ、楽しいから。」
「将太。藤野くんにわがまま言わないでよ。」
ちょっと恐い顔をして将太くんにくぎを刺すと、ぴいちゃんは自転車を飛ばして出かけて行った。
「姉ちゃんは、いっつも威張るんだ。」
そう言って、将太くんはぴいちゃんの後ろ姿に舌を出した。
それから、
「自分だって、お母さんとかお祖母ちゃんに、しょっちゅう怒られてるんだよ。」
と、ニコニコしながら俺に告げ口をした。
弟って、かわいいなあ・・・。
お茶を飲んで、またキャッチボールを始める。
さっきより仲良くなれて、声をかけあったり、笑ったりする。
将太くんは俺のことを「藤野くん」と呼んでくれて、なんだか年下の友達ができたみたいで楽しくなった。
「将太。」
しばらく経ったころ、男の声で呼ばれて、将太くんが振り向く。
俺も同じ方を見ると、俺と同じくらいの背恰好の男・・・の子?
たぶん、ぴいちゃんのすぐ下の弟、真悟・・くんだ。
「兄ちゃん。」
将太くんがちょっとバツが悪そうな顔をしている。
何かあったのか?
真悟くんは大股で将太くんに近寄ると、腰に手を当てて、将太くんを見下ろした。
「お前、何やってんだよ?」
いきなり叱られている将太くんが気の毒になって、かばってあげようと近付くと・・・。
「こいつが来たら、嫌がらせをしろって言っておいたじゃないか。」
なんだって?
「なのに、嬉しそうにキャッチボールなんかして、なんだよ!」
嫌がらせって・・・。
ぴいちゃんのことが大事なのはわかるけど、考えることが子供だな。
驚いたけど、不思議と腹は立たない。
2人が彼女のことを守ろうとしていることがわかるから。
でも、嫌がらせなんて・・・、可笑しい。
悪いと思ったけど、笑ってしまった。
真悟くんにキッと睨まれたけど、何でもなかった。
「去年、電話で話したよね? 藤野青。よろしく。」
「・・・真悟です。陽菜子がいつも世話になってます。」
不機嫌に目を合わせずに、それでもきちんとあいさつをしてくれる真悟くん。
ぴいちゃんも言葉遣いが丁寧だし、家のしつけが厳しいのかもしれない。
「くそ。将太、野球部にやられたな。」
・・・そうでもないか。
でも、野球をやっていたおかげで、味方が1人増えた。
「それで? こいつ、どんなヤツなんだよ、将太?」
まるで俺がいないような話し方。
かわいそうに将太くんは、真悟くんと俺の板挟み状態でもじもじしている。
「俺、向こうに行ってるよ。」
2人に声をかけて、飲みかけのお茶を置いておいたベンチへ向かって歩き出す。
兄弟だけの方が話しやすいだろう。
「あ、藤野くん、俺も。」
将太くんがタタタッと追いかけて来た。
それから、振り向いてひとこと。
「兄ちゃん。藤野くんはいい人だよ。やさしくて、親切だもん! うちに着いてすぐだったのに、キャッチボールしようって言ったら、すぐに『いいよ』って言ってくれたんだから。」
あ。
あれって半分は、ぴいちゃんの部屋でどうしたらいいかわからなくて困ってたからだったんだけど・・・。なんだか、申し訳ない。
「それに、俺の話をちゃんと聞いてくれるし、かっこいいよ。」
あれれ。
「ほめすぎだよ。」
照れくさくなって、持っていたグローブで将太くんの頭をポンとたたく。
将太くんがニコニコしながら俺を見上げた。
その楽しそうな顔に、俺への信頼が現れていて嬉しくなった。
「・・・しょうがねえな。」
真悟くんが、あきらめたようにため息をついた。