もう大丈夫?
ぴいちゃんが大丈夫なのかどうしても確認したくて、放課後、映司と岡田と一緒にいったん教室を出てから、下駄箱の手前で忘れ物をしたと言い訳して教室に戻った。
彼女がバイトがある日は、混雑を避けて、ほかの生徒よりあとに教室を出てくるということを、最近、本人から聞いていた。
でも、階段は2か所あるし、彼女が図書室に寄ったりすることもあるから、俺がこうやって戻っても、確実に会えるかどうかはわからない。
階段を降りてくる人波に逆行しながら4階にたどり着く。
廊下には、まだうろうろしている生徒がいるけれど、みんな階段の方に向かっている。
その中をゆっくりと、教室に向かう。
教室のドアは開けっぱなしで、ななめにガランとした室内が見える。
手前の教室には、すでに誰もいない。長く続く廊下にも、人影はまばらになってきた。
「じゃあ、また明日ね。」
女子の声が聞こえて、和久井が中に手を振りながら教室から出てきた。
和久井は俺を見て顔をしかめると、
「ぴいちゃんをいじめたら許さないからね。」
と、通り過ぎがてらに小声で言って、去って行く。
そんなこと、俺がするわけないのに。
でも、俺がぴいちゃんと話すために戻ってきたことに気付いたのか?
教室の入り口に立つと、ぴいちゃんが窓の方に歩いて行くところだった。
ちょっと迷って、俺は忘れ物をした演技を続けることにした。
「あれ? まだいたのか。」
しらじらしいセリフに、ぴいちゃんがドキッとした様子で振り向く。
男の声だから警戒した?
でも、俺を見て、肩の力を抜いたのがわかった。
そして、ほっとした笑顔。・・・よかった。
「どうしたの? 忘れ物?」
机をガタガタいわせてる俺を、窓に手をかけて見ているぴいちゃん。
近付いて来ないのは、昼休みの岡田の行動で、警戒心が強くなっているせいか・・・?
「うん。」
机の中を探すだけじゃ、あんまり時間は稼げないな。
「・・・今日、いたんだってね。お昼休み。」
一瞬、手が止まる。
「岡田から聞いた?」
机から出した置きっぱなしの教科書やノートを、今度は戻しながら尋ねる。
「うん。心配かけちゃって、ごめんなさい。」
違う。
「俺たちが心配することには、謝らなくていいんだよ。友達なんだから。」
ぴいちゃんは少し首をかしげて考えた。それから、
「じゃあ、心配してくれて、ありがとう。」
と、にっこりした。
うん。
その方がずっといい。
「ないや。やっぱり部室かも。」
照れ隠しに立ち上がりながら、独り言のように言う。
「岡田はちゃんと謝った?」
「う、うん。大丈夫。」
あのことを思い出したのか、ほんのりと頬を染めるぴいちゃん。
ドキリと不安になる。
謝っただけで終わったんだろうか?
「それがね。」
彼女は元気に顔を上げた。
「岡田くん、古文の話を持ち出して、“男が女の人の涙を見たら、つい行動に出ちゃうのは昔から当然なんだ” なんて言うんだよ。」
岡田にしては、またずいぶん文学的なことを!
ぴいちゃんがくすくすと笑いながら続ける。
「それにね、ほら、理科で条件反射ってあったでしょう? “自分も兄弟の面倒を見てきたから、泣いているのを見たら、なぐさめずにはいられないんだ” って。」
岡田は泣かしてた方じゃないのか?
でも、ぴいちゃんは笑っている。
それならいいか。
もし、今回のことで、ぴいちゃんの気持ちが岡田に傾いたとしても仕方がない。
それは岡田が頑張って勝ちとった分だから。(きっかけは偶然だったとはいえ。)
「元気そうでよかった。」
ぴいちゃんの笑った顔を見て、ほっとして口に出した言葉に慌てる。
これじゃ、俺が彼女を心配して戻ってきたことに気付く?
「うん。大丈夫。ありがとう。」
気付かなかったらしい。
ほっとした気持ちと、がっかりした気持ちが、胸の中で混ざり合う。
ぴいちゃんは窓に寄りかかって、話を続けた。
「修学旅行が近付いてきたせいで、みんな舞い上がってるみたいだよね。」
「ああ、ちょっと浮かれてる感じはするよな。」
「みんな頑張ってるよ。即席のカップルがいくつもできてるし、あたしも廊下とかで3人くらいに言われたし。もう、誰でもいいって感じだよね。」
なんだって?! 3人?
「こ・・・小谷だけじゃないんだ?」
「わざわざ呼び出されたのは小谷くんだけだけど。男の子から呼び出されたのは初めてで、どうやって断ろうかと思って、ものすごく緊張しちゃった。そうしたら、岡田くんのこと、あんなふうに・・・。」
だめだ! 泣かないで!
一瞬だけ声が詰まって、泣きそうな顔をしたけど、ぴいちゃんはどうにかこらえて笑ってみせた。
そんなにショックだったのかと思うと、小谷をもう少しいじめてやればよかったと思う。
早く話題を変えよう。
「その、廊下で言ってきたヤツって、どんなふうに? 休み時間とか?」
変えるって言っても、その辺を聞きたい。
ぴいちゃんはちょっと憤慨した様子で教えてくれた。
「なんか失礼なの。全然知らない人なのに、いきなり来て『自由時間の相手、もう決まった?』とか言うの。」
思わず笑ってしまった。
彼女の言い方もかわいらしかったし。
「本当に知らないの?」
「たぶんね。」
「ほかには?」
「同じような感じだよ。まるでナンパしてるみたい。だいたい、よく知らない人と一緒に自由時間って、おかしくない?」
「確かに。」
彼女の理屈に、また笑ってしまう。
だけど、そんなヤツと比べると、小谷はまだ真面目な方なんだな。
「あ! もう行かないと。」
まだ一緒に話していたいけど。
「あ。引きとめちゃってごめんなさい。頑張ってね。」
「うん。じゃあ、気を付けて。」
廊下に出ながら片手を上げると、ぴいちゃんも手を振ってくれた。
前を向いたら、映司がいた・・・。
「いつからいたんだよ!」
急いで映司を階段まで引きずって行き、階段を降りながら問い詰める。
「けっこう最初の方?」
笑いをこらえながら映司が答える。
もう!
「何しに来た?」
「お前のあとをつけて。」
「なんで!!」
「昼休みのあとから、岡田とお前の様子が変だったから。」
信じられない!
そう思ったら、まずは訊けばいいじゃないか!
・・・答えないかもしれないけど。
「岡田は?」
「適当にごまかしてきた。」
そうか。
ごまかされるところが、岡田のいいところなんだよな。
「藤野を追いかけて4階まで上がったところでなっちゃんに会って、何かあるといけないから教室の外で見張れって。」
だから!
何かあるわけないだろう?!
「俺、そんなに和久井に信用がないのか?」
「いや。そうじゃなくて、お前をからかうと面白いから。」
なんだと!
「・・・って、なっちゃんが言ってた。」
横を向いて視線をそらす映司。
「でも、誰か来たら困っただろう? 見張っててやったんだから、感謝しろよ。」
見張る方向が違ってたんじゃないのか?
ため息が出る。
「なあ。昼休み、何があったんだよ?」
「・・・和久井に訊けば。」
小谷のことはかまわないけど、岡田のことは、あいつのことを思えば言えない。
「ふーん。でもさあ、藤野、吉野が教室に残ってるって知ってたわけ?」
「最近ね。」
「岡田は?」
「それは秘密。」
「へえ。お互いに作戦があるってことか。」
“お互いに” っていうところが気になる。
けど、お互いさまなんだから仕方ない。
「あ。なっちゃんにメールしなくちゃ。」
「今?」
「当たり前だろ? 俺、なっちゃんに見張って報告しろって言われたんだぞ。」
なんだか、映司と和久井の力関係が垣間見える・・・。
まあ、報告されて困るようなことはなかったからいいけど。
「えーと、『藤野がだらしない顔で教室から出てきた。』・・・と。」
おい、待て!