文化祭初日
いよいよ文化祭。
俺はクラスの店の手伝いしか用事がなくて、あとは友人たちとブラブラするだけ。
去年は友達のクラスをのぞくか、何かを食べているかのどっちかだったっけ。
そういえば、バンドを組むって言ってた友人がいたから、それは見に行かないといけないかな。
初日の手伝いは、朝一番の2時間と午後に1時間入ってる。都合が悪ければ、誰かと交代すればいい。
朝の仕事は調理室から教室までの運び屋だから、まずは調理室に行ってみる。
調理室の6つの机は各クラスに割り当てられていて、2−6は真ん中あたりの黒板側だった。
早くも女子5人がエプロンをかけて、粉をこねたり、お湯をわかしたり、何かやっている。
その中に、ぴいちゃんと和久井の姿もある。あとの3人は青木と、彼女と仲がいい緒方と早川。
ぴいちゃんは水色のエプロンをかけて笑っている。
その笑顔はとても自然で、夏休みに宿題を見せてもらったときや、おととい浴衣を着せに来ていたときは、だいぶ緊張していたんだな、と改めて思った。
俺と話をしているときはどうだったんだろう・・・。
彼女たちのところに行くと、さっそく教室まで運ぶものを渡される。
運び屋は俺のほかに2人いるはずだけど、まだ来ない。
開店の9時まであと20分あるけど、教室でも準備があるだろうから早く持って行け、と和久井に言われた。
ぴいちゃんは、「おはよう。」って言ってくれただけ。目も合わなかったような気がする。
なんだかさびしい。
荷物はあんこや白玉だんごや切った果物。持ち上げてみるとかなり重い。
調理室は教室と同じ校舎だけど、ここは1階で教室は4階。運動部の俺でもかなりきついかも・・・。
そんな弱音を吐いているわけにもいかず、アルミの運搬トレイに入った荷物を4階へ運ぶ。
息を切らしながら教室に着くと、女子のキンキン声に迎えられた。
「遅いじゃないの! 準備がぎりぎりになっちゃうよ。」
「こっち。早く早く。」
「これだけなの?」
信じられない!
重い荷物を持って、4階まで上がってきて、これ?
店に出る女子はすでに浴衣を着て着飾っていたけど、そんなに目を吊り上げていたら客が寄りつかないだろうに。
「ほかに男は来てないの?」
思わず不機嫌な声が出る。
「宣伝係はもう出かけてる。ほかの運搬係は調理室にいないの?」
宣伝係を、運搬にまわせ! ・・・と言いたいけど、もういないんじゃ仕方ない。
調理室に来ていることを祈ろう。
トレイを持って、階段を下りる。
調理室には、相変わらず女子しかいなかった。
「ほかに、誰か来た?」
和久井に尋ねると、首を横に振って、貼ってある当番表を見てくれた。
「あと、竹内くんと岡田くんだね。どうしちゃったのかな?」
「教室で、店番の女子が遅いって怒ってて。」
「あらら。こっちはかなりできてるんだけど。」
和久井も困った顔をする。
「じゃあ、あたしも運ぼうか。」
そう言ってくれたのはぴいちゃんだった。
教室で不愉快な思いをした分、そんな申し出をするぴいちゃんがものすごくいい人に思える。
荷物が重いから、本当はやらなくていいと言いたいけど、この状況では仕方がない。
「そうだね。あたしも一緒に行く。今日子、ちょっとここお願いね。」
ぴいちゃんと和久井はさっさと手を洗い、荷物をトレイに詰め始めた。
重いものは俺のトレイに詰めてもらい、女子2人の分には軽めのものを入れる。軽いといってもそれなりの重さがある。4階まで上がるのは大変だ。
階段や廊下を走っている生徒もいるし、そろそろ一般の客も入り始める時間だ。
岡田と竹内め、あとでこき使ってやる!
開店5分前の教室到着で、どうにか必要な物が一通りそろい、店番の女子があわただしく動き始める。
忙しいのはわかるけど、力仕事を引き受けたぴいちゃんと和久井に、ねぎらいの言葉もないってどうなんだ?
2人はまた調理室へと階段を走り下りていく。それを追って、俺も。
調理室に着くと、竹内と岡田が残った女子3人と笑いながら話していた。
「遅いよ!」
俺よりも先に、和久井が一喝。
よくやった!
岡田はぴいちゃんがトレイを下げて戻って来たのを見て慌ててる。
竹内は和久井の迫力に驚いてあやまった。
2人とも、9時開店だから、9時集合かと思ったと言う。
そんなはずないってこと、ちょっと考えればわかるじゃないか。
それから10時半すぎまで、俺たちは何度も1階と4階を往復した。
ようやく交代メンバーが来たころには、3人ともしばらく立ち上がれないくらい疲れていた。
俺たちと一緒に女子も交代になり、女子5人は話しながら、俺たちの横でエプロンをはずしている。それぞれの今日の出番の話をしているらしい。みんな忙しそうだ。
和久井がぴいちゃんを急かして、ぼんやりしている俺たちの前を「お先に。」と言いながら通り過ぎる。その後ろからついて行くぴいちゃんは、笑顔で「お疲れさま。」と言ってくれた。
ありがとう。
ぴいちゃんも、お疲れさま。あ、和久井も。
野球部員のクラスを端からのぞき、あれこれ食べたり、映画を見たりしていると、あっという間に2時。午後の当番の時間。
朝のことを思い出して半分やる気が出ないまま、ちょっと遅れて調理室へ。
あれ?
人が少ない・・・。
また少人数でやらなくちゃいけないのか?
入り口で足が止まる。
一瞬、顔を出すのをやめようか、という思いが頭をよぎる。
でも、よく見ると、人が少ないのはうちのクラスだけじゃなくて、調理室全体が朝よりも静かになっている。どのクラスも片付けを始めているらしい。
うちのクラスの机の上はすでにきれいに整頓されて、ぴいちゃんが一人で座っていた。
今日は終わりってこと?
それなら中に入ってもいいや。
部屋を見回しながらぴいちゃんの座っている机に近付く。
彼女に声をかけようと・・・見たら、真剣な顔で、クリームが山盛りに載ったものにかじりついたところだった。
・・・声がかけられない。
2、3歩離れて立ち止まった俺の気配に気が付いて、ぴいちゃんがこっちを向く。
鼻の頭にクリームが・・・っていうのはよくありそうだけど、彼女の場合は左右のほっぺたにもついている。しかも、チョコレートシロップといろとりどりのトッピング入りで。
目がまんまるに見開かれて、俺が来たことがまったくの予想外だったことがうかがえる。
「ぷっ・・・!」
思わず笑いがこみ上げてきて、慌てて横を向く。
いつもぴいちゃんが笑いをこらえようと頑張るときの気持が、ものすごくよくわかった。
笑わないようにしようと思うと、またクリームだらけの彼女の顔が浮かんできて、ますます可笑しくなってくる。
ぴいちゃんはあわててティッシュを取って、顔を拭いている。
でも、さっきの顔はとうぶん忘れられそうにないや!
「遠慮しないで笑った方がいいよ。我慢すると止まらないから。」
きれいに顔を拭いたぴいちゃんが、上目づかいに俺を見て言う。
「うまく食べられると思ったのに。」
彼女の許しをもらって安心したら、ちょっと可笑しさが収まってきた。完全にではないけど。
そのまま近くにあった椅子を持って来て、ぴいちゃんの横に座る。
「それ、どうしたの? そんなにすごいの、売ってたっけ?」
ぴいちゃんは紙皿に載ったクリームの山を、俺に見せるように引っぱった。
「さっき、ここで、ほかのクラスの人にもらったの。下のワッフルはまーちゃんにもらったんだけど。」
そこでくすくすと笑って続ける。
「ちょうど居合わせた5組の内田くんが、クリームが余ったからって山盛りに載せてくれて、その上のチョコレートとかは東くんが面白がって。3クラス分の合体バージョンだから、どこにも売ってないよ。」
ぴいちゃんの話では、調理室では余裕ができると、味見と言いながら、お互いのクラスの食べ物を交換しあっているらしい。それを知っていれば、ずっとここにいるんだったのに。
だけど、内田と東って、この前、岡田が気にしていたな。廊下でぴいちゃんに手を振ってたって。
そのくらいのことは別に普通かもしれないけど、彼女に気付くようになった男が増えたってことが気になる。その原因を作ったのは自分だけど・・・。
「あのね、せっかく来てもらったんだけど、」
ぴいちゃんの声に彼女の顔を見る。
一瞬、目が合った。と思ったら、すぐにサラリとそらされた。
「今日の分は売り切れちゃったから、仕事はおしまいだって。うちのクラスの売り切れは2番目で、みんな悔しがってた。」
「そうなんだ? ほかのメンバーは?」
「みんな来なかったところをみると、教室で売り切れになったことを聞いたんじゃないかな。あたしは疲れたから、ここでのんびりしてたの。」
そう言って、ニコニコしながら机の上のワッフルを調べ始めるぴいちゃん。
そうか。
教室に寄ればわかるもんな。
でも、さっきのぴいちゃんの顔を見られた分、こっちに来てよかったかも。
また、さっきのクリームだらけの顔を思い出して、笑いそうになる。
「そ・・・それ、スプーンとかフォークとか、ないの?」
笑いをこらえながら俺が訊くと、ぴいちゃんはちょっと考えて、にっこり笑って手を伸ばし・・・洗って並べてあった菜箸を取った。
「お店用のは足りなくなると困るけど、これなら洗えばいいもんね。」
さらに包丁も取り上げて、ワッフルを4つに切る。
「藤野くんもどうぞ。」
そう言って、俺にも菜箸を渡してくれた。
・・・いいのかな?
1つの皿から一緒に食べるのって、ちょっと照れくさいけど。
ぴいちゃんは気にならないのか?
それって、俺のことは和久井とか、ほかの女子と同じくらいにしか考えてないってこと?
うーん。
まあ、いいか!
ぴいちゃんがこんなふうに話したり、一緒に食べようと言ってくれたりする相手は、男ではたぶん、俺か岡田くらいだろう。・・・と思いたい。
2人でワッフルをつつきながら、今日、見に行ったところの話をする。
何がおいしかったとか、どこが混んでいたとか、他愛ない話ばかりだけど楽しい。
周囲は片付けの音や話声でいっぱいで、俺たちがクリームを制服にこぼしてあわてたり、一口のサイズが大きいと笑ったりしても、全然気にならない。
「そういえばね。天文部は暗幕を張って、スクリーンに星空を写してプラネタリウムの映画みたいにしてるんだけど、」
文化部の展示の話になったとき、彼女が可笑しそうに話し始めた。
「暗い所で15分ものんびりしてると、眠っちゃう人がいてね、終わったときに部員が起こさなくちゃいけなくて、けっこう大変だったみたい。しかも、午後になったら、その話を聞いて、休みに来た人もいたらしくて。去年はちっとも人が集まらなかったのに、今日は満員の回もあったんだって。」
文化祭は、のんびり座って休むところがないからなあ。
「ぴいちゃんもそっちの手伝いもあるんだろ?」
「あたしはナレーションをやったから、お手伝いはないんだ。でも、明日は様子を見に行くつもり。」
ナレーションか。
彼女の朗読は気持ちがいいから、眠くなるお客の気持ちがわかるような気がする。
「あ、ぴいちゃん! ここにいたんだ!」
元気な声とともに現れたのは篠田だった。
一瞬、ぴいちゃんが不安そうな顔をした?
テーブルの紙皿と菜箸を片付ける手が、少し慌てている・・・?
「チア部のステージは終わったの?」
ぴいちゃんが篠田に尋ねると、篠田は元気にうなずいた。
「うん。教室に寄ったらもう店じまいしてて、みんなのんびりしてたよ。あたしは、調理室がどんな様子か見に来たの。」
「お疲れさま。こっちも片付いてるから大丈夫。明日の材料も整理してあるし。」
ぴいちゃんと篠田が話していると、姉と妹みたいだ。
もちろん、ぴいちゃんがお姉さんってこと。
「じゃあ、大丈夫だね。藤野くんも、お疲れさま。」
そう言って手を振って、篠田は出ていった。
篠田が出ていったドアの方から俺に視線を移して、ぴいちゃんがにっこり笑う。
「舞ちゃんって、かわいいよね?」
返事のしようがなくて黙っている俺にはかまわず、手早く菜箸を洗うぴいちゃん。
「ちょっと、天文部の様子を見てくるね。お疲れさま。」
そう言って、小走りに出て行ってしまった。
天文部には明日行くって言ってなかったっけ?
いきなり避けられてしまったような気がして、なんとなく悲しくなる。
けど、その途端。
クリームだらけの彼女の顔を思い出して、一人で吹き出してしまった。




