心の準備が・・・!
夏休みが明けて、文化祭だ、体育祭だと騒いでいるけれど、実はその前に期末テストがある。
それよりも前に、野球部には秋の大会があったけど、トーナメントの1回戦で早くも負けてしまった。
一応、相手は優勝候補だったし、2点取ったから、まあまあの結果じゃないかと思うんだけど。
今回の試験は前期の成績がかかっているので、みんなそれなりには頑張る。
でも、浮かれた気分であることは確か。
「藤野、気付いてる?」
ある日の昼休み、岡田がふと思い出したように言い出した。
「なんかさあ、夏休み終わってから、やたらと『ぴいちゃん』って呼ぶヤツがいるんだよな。」
「それ、天文部じゃないの? あとはお前。」
俺は人前では、未だにぴいちゃんとは呼べないでいる。
「違う! テニス部の東とか、5組の内田とか、つながりがよくわからないヤツ。さっきも廊下ですれ違って手を振ってた。」
そうか。宿題の。
けっこう楽しかったし、調子のいいヤツばっかりだったからなあ。
説明するべきか?
いや、説明したら、面倒かも・・・。
「東は体育祭で同じチームだぜ。」
「うーん。夏休み中に何かあったのかなあ。」
「お前は? 何かあったのか?」
とりあえず、話題をそらしたい。
「え? ふふん♪ まあ、ちょっと前進、って感じ?」
なんだと?
ぴいちゃんは何も言ってなかったけど?!
ひきつる俺の顔を見て、岡田が自慢げな口調で言う。
「やっぱ、マメに努力しないとね。」
俺だって・・・。
いや、俺は偶然に頼ってるだけか・・・。
期末テストが金曜に終わって、文化祭まであと1週間。
うちの学校は、土日に文化祭が行われ、月曜に体育祭、と決まっている。
文化祭前の2日間と体育祭の翌日は準備と片付けで授業がない。忙しくて大騒ぎの6日間だ。
事前準備の1日目、体育祭の応援合戦のリハーサルがある。
各チームの持ち時間15分の本番のために、今日のリハーサルは30分ずつ割り当てられている。
応援合戦も得点種目だし、リレーと同じくらい注目されるので、どのチームも気合いが入っている。
でも、うちのチームは、どちらかっていうとウケ狙いだと思うけど。
衣装合わせも兼ねていて、俺は2、3日前からずっとゆううつだった。
まあ、男子生徒の女装はどこのチームにもありがちだから、俺一人が恥ずかしいわけじゃない。
リハーサル1時間前に、準備のために集合がかかっている。
2組の大野やほかの女装メンバーと一緒に、指示されたとおり体操着姿で、足取り重く柔道場へ行く。2年生は全部で4人。
そういえば、ぴいちゃんは教室にはいなかったな。・・・まあ、教室は飾り付けでごちゃごちゃだったから、見えなかっただけかもしれない。
体育館に行くと、応援担当の先輩がものすごく楽しそうなのを見て、ますますゆううつになった。俺たちの女装を面白がっているに決まってる。
「きみたちの衣装はあっちにあるよ。さっき、着るのを手伝ってくれる子が来てたから、どんどん着せてもらって。」
先輩に言われた方向を見ると、ぴいちゃんが畳の上に浴衣らしきものを並べているのが見えた。
あーあ。ぴいちゃんに手伝ってもらうっていうのも、イヤな理由の一つなんだよな・・・。
俺たち4人がのろのろと近付いていく気配に、ぴいちゃんが顔を上げる。
と、思ったら、いきなり両手で口元を押さえて、目をそらした。
・・・やっぱりね。
我慢できないと思ったよ。
隣には3年の女装メンバーと俺たちの寸劇を仕切っている女子の先輩がいる。宮古先輩という名前で、寸劇の練習で、俺たちは今までさんざん絞られた。
3年には宮古先輩が浴衣を着せるらしい。
感心したことに、先輩は全然笑ってない。優勝へ向かって大真面目みたいだ。すごいや。
ぴいちゃんが宮古先輩と、どの浴衣を誰に着せるか、楽しそうに相談している。一応、似合いそうなものを選んでいるらしいけど、俺たちにとってはどれでも同じ。
俺に割り当てられたのは、黒地に淡いピンク色の大きな花がぽんぽんと描いてあるやつだった。
「さて、誰からにしますか?」
ぴいちゃんが笑いをこらえながら、俺たちを見回す。2年の4人を着せるらしい。
でも、誰も「俺」とは言わない。
ちょっと間があって、大野がひとこと。
「藤野からだな。最初に選ばれたんだから。」
思わず顔をひきつらせた俺をぴいちゃんが見上げる。
「じゃあ、藤野くん、よろしくお願いします。」
そんなふうに丁寧に言われたら、嫌だなんて、わがまま言えない。
そもそも、ぴいちゃんに頼まれたら、なんだって・・・。
でも、女装は二度と御免だ。
「一人10分以内で着せるのが目標だから、誰か時間を見ててもらえるかな?」
ぴいちゃんの言葉に大野が「わかった。」とうなずいて、腕時計を見た。
「では、行きます。」
急に真剣な表情になったぴいちゃんは、浴衣を手に取り、俺の後ろにまわる。
「じゃあ、まずは袖を通してくれる?」
言われるままに腕を下ろして袖を通すと、ぴいちゃんが浴衣の襟元に手を添えて俺の前に立つ。
あれ?
なんか、距離が近い。
これって、もしかしてラッキーか?
彼女はそんなことはお構いなしに、浴衣の肩の位置を合わせると、俺の首のうしろに手を伸ばし、
(え? ちょっと待って!)
両側から浴衣の襟に沿って手をすべらせる。
(うわ! 今、触ったよね?!)
思いがけない手の動きに速くなる鼓動。
でも、ぴいちゃんの真剣な表情に、何も言えない・・・。
裾の長さを見ながら前身ごろを重ねて、左右のわき腹のあたりで彼女の指が止まる。
くすぐったい!
「はい、ここをパーで押さえて。」
言われるままに両手で押さえると、腰に両手をあてたウルトラマンの立ち姿のようなポーズ。
その隙に、ぴいちゃんは紐を取り上げている。
「ぐらぐらしないように、少し足を開いて。ちょっと近付くけど、気にしないでね。」
(いや! 今までも十分に近かったんですけど?)
そんなことを思う間もなく、ぴいちゃんが、俺の左右の腕の隙間から手を入れて、両手を俺の背中に回してきた。
(!!!!!)
まるで抱きつかれるような姿勢に、頭がパニック!
彼女の頬が胸に触れそうだ。いや、触れてるんじゃないか?
あまりの急展開について行けなくて、頭がくらくらする。
「あれ? 意外に胴周りが・・・。」
ブツブツつぶやく声。
なんか、背中がくすぐったいし、どうしたらいいんだ!!
「あ、ごめん。びっくりした?」
ようやく背中から前に回した紐を手に、ぴいちゃんが俺の顔を見る。
びっくりしたし、そんなに近くで顔を上げたら・・・。
足を置いた場所が近いからか?
彼女の目元にピンク色の絵の具がちょっぴり付いているのに気付く。
ほんの1、2秒のできごとだったけど、俺はドキドキして口がきけなくて、首を横に振るだけ。
「もう一周、いけるかな。」
どうやら独り言だったらしく、紐の端を俺に持たせると、反対側の端を持って、もう一度。
(うわ! ちょっと待って・・・。)
彼女の膝が脚にあたる。
これって、人前で、どうなんだ?!
俺はものすごく恥ずかしいけど?!
ちらりと大野たちを見ると、彼らも目を丸くしている。驚いて、笑うどころじゃないらしい。
でも、ぴいちゃんは大真面目。
ここで俺が何か言ったら、今度は彼女が恥ずかしがって、ますます厄介なことになってしまうかもしれない。
「ふーって息を吐いてくれる?」
言われるままに息を吐くと、力が抜けたときを逃さずに、ぴいちゃんがひもを締める。
うっ・・・苦しい。
「ちょっと苦しいかもしれないけど、ここをちゃんと締めておかないと、動いたときに着崩れちゃうから我慢してね。」
・・・はい。
ぴいちゃんがひもから手を放して浴衣の形を整える間に、さっきのショックからどうにか立ち直って深呼吸。
さっきの経験に比べれば、少しくらい彼女に触れられても、もうなんともないや。
「今度はここを押さえてて。ひじを上げて。」
きれいに合わせた襟元がずれないように押さえると・・・また?!
2本目の紐の登場。
せっかく落ち着いたのに!!
いや、今度は覚悟ができている・・・と、思ったけど。
・・・誘惑に負けそうになった。
もしも、俺がちょっとバランスを崩したら・・・。
いけない想像をしている間に、紐はさっさと2周まわされて、「息を吐いて」とともにギュッと締めつけられた。
「よし!」
掛け声のあと、真珠色に光る帯を巻き付けられて(今度はぴいちゃんが俺のまわりを回って)、後ろでギュウギュウと結んでいる気配。
彼女が後ろでゴソゴソと作業しているあいだ、緊張したのと苦しいので疲れきって、俺はぐったりしていた。
そこへ、目の前にぴいちゃんの顔。
うわ!
「はい、できあがり!」
ぽん!
胸元の帯を軽く叩いて、満足げな表情でにっこりするぴいちゃん。
大野を振り向いて、どのくらいかかったか尋ねる。
「え? あ、じゅ、11分。」
「あれ。時間オーバーか・・・。じゃあ、次は誰でしょう?」
その言葉にハッと気付いた。
ほかのヤツにもあれをやるのか?
「あ、じゃあ、俺が。」
さっきとは比べ物にならない素早さで申し出る大野。
なんとなく嬉しそうなのは、見間違いじゃないよな?
そうはさせない。
「俺、手伝うよ。」
さりげなく言うと、ぴいちゃんが首をかしげながら振り向く。
「ほら、紐を結ぶときとか、俺が後ろから渡せば早いよね?」
「あ、そうだね! お願いします。」
ぴいちゃんが笑顔でうなずく隣で、大野が俺を睨んでいるけど、それには気付かないふり。
ぴいちゃんにあんなことをされるのは、俺一人でじゅうぶんだ。
本人に自覚がなくても、お父さんが許しません!