ぴいちゃんのおかげ。
夏休み明けの朝の職員室前の風景は、うちの学校の名物といえる。
廊下に先生の名前と科目を書いた紙を貼った段ボール箱がずらっと並び、そこへ生徒が夏休みの宿題を放り込むのだ。
一応、午前中いっぱいはOKということになっているけど、ほどんどの生徒は朝のうちに提出するから、職員室前は正月の福袋売り場のようだ。
俺も、昨日なんとか終わらせた宿題を投げ入れて、ようやく解放感にひたる。
今年の宿題ができあがったのは、なんといってもぴいちゃんのおかげ。本当に助かった。
おとといとその前日の2日間、彼女と一緒だった時間のことを、何度も思い出している。
最初はすごく不安そうな顔をしていて、みんなの前であんなふうに頼んだりして本当に悪かったと思った。でも、だんだん緊張が解けて、みんなと話ができるようになっていくぴいちゃんを見ているのは、不思議なことに、誇らしくて嬉しかった。まさに、子どもの成長を見守る親の気分。
おとといの帰りは、2人でいつもよりゆっくりと話ができたし。
ぴいちゃんも楽しそうに見えたけど、どうだったんだろう? 急に帰ってしまったから、よくわからない。
本屋でお金を払うときに、レジのところにあったストラップが目に入り、今回のお詫びとお礼にと思って買った。
赤い表紙の本と黄色い小鳥がつながったデザインが、彼女のイメージにピッタリに思えて即決してしまった。
本当は、“ ぴいちゃんにあげたい ” というのが先で、お礼というのは言い訳かもしれない。何か理由がなければ、彼女は受け取ってくれないだろうから。
どうやって渡そう、彼女はどんな顔をするんだろう、と考えるのが、また楽しかった。・・・残った宿題が中断してばかりで困ったけど。
本当に、どうやって渡そう・・・?
夏休み明けの朝の教室は、いつもよりずっと賑やか。
宿題の提出があるから、みんな、いつもよりも早めに来ているし、夏休み中の情報交換に余念がない。
ぴいちゃんは・・・? 自分の席で、和久井と話してる。
穏やかで、ちょっと大人っぽい、いつもの彼女だ。
もしかしたら、彼女のいろんな表情を見たことがあるのは、うちのクラスでも俺と和久井くらいかもしれない。いや、岡田もか。
いつも落ち着いている彼女とは違った一面を見てしまうと、その意外性で、岡田みたいになってしまうのかもしれないな。
・・・俺は。
最初から・・・って言っても、彼女の存在に気付いたのは2、3日経ってからだったけど、意外な一面を見る前から気になっていた。
と、思う。
岡田よりも先に、だ!
さて。
今、ぴいちゃんの前の席には高橋と篠田はいない。神谷もいないから、きっと一緒なんだろう。
渡すなら、和久井しかいない今かな?
「おーっす!」
岡田だ・・・。相変わらず、元気いっぱいだ。
振り向いて合図をする俺にニヤリと笑いかけて、自分の席に荷物を置くと、カバンの中から何かを出してぴいちゃんの方へ。
・・・あれ?
「おっはよう、ぴいちゃん。はい。これ、お土産。」
やられた!
考えてばかりいる間に、先を越されてしまった。
岡田のヤツ、部活で会ったときには、なんにも言ってなかったのに!
目の前に差し出された紙袋に目をぱちくりさせるぴいちゃん。
その横で、面白そうな顔をして、岡田を見上げる和久井。
さらに、岡田の大きな声が周囲にも聞こえて、クラスの半分くらいが驚いて2人を見ている。
そりゃそうだろう。
存在感のないぴいちゃんと、声も性格も目立つ岡田の組み合わせじゃ、みんなびっくりだ。
しかも、大声で「ぴいちゃん」て呼んだし。
それって、“ 彼女は俺のもの ” 宣言のつもりか?
「ええと、あの、ありがとう。」
面喰いながらもどうにか微笑んで、紙袋を受け取るぴいちゃん。
「開けていい?」とか言ってるのかな。岡田に何か尋ねている。
篠田の椅子に後ろ向きにまたがった岡田の、「もちろん!」と言う声が聞こえた。
いつまでもそのやりとりを見ているのがみっともないような気がして席を立つ。
行くあてはないけど、とりあえず廊下に出よう。
ズボンのポケットの中の小さな包みが、いやにはっきりと感じられる。
「藤野くん。」
声がした方を見ると神谷だった。
神谷の周りにいつもの仲間は・・・いない。よかった。
「修学旅行の調べ物、できてる?」
しまった!
「ごめん! 宿題で手いっぱいで・・・。」
「困ったな。明日の朝には提出・・・って、藤野くん、修学旅行委員でしょ? ちゃんと知ってたよね?!」
忘れてて悪かった!
でも、そんなに責めないでくれ!
「ほんとにごめん! 今日の帰りまでに渡すから。」
手を合わせて拝む。
休み時間にやれば、なんとか。
岡田と映司にも手伝ってもらえば、きっと。
「・・・わかった。お願いね。」
美人が恐い顔をすると、迫力あるな・・・。
あれ?
休み時間にって言っちゃったけど、資料がない。
図書館で借りた本は持って来なかった。
万事休す・・・か?
できないって言ったら、ルート決めそのものが俺に回って来そうだし、それが神谷たちの気に入らなかったら、と思うと恐い。
図書室!
うちの学校にも図書室があるんだった。
まずは、次の休み時間に図書室に行ってみよう。
こんなこと思い付くのも、ぴいちゃんのおかげだ。
最初の休み時間に岡田と映司を引っぱって図書室に行ってみる。
2人は渋ったけど、そもそも3人でやるはずのことで、しかも、手分けしてやらないと間に合わない。
夏休みに図書室に行ったときは机しか見てなかったけど、部屋をちゃんと見回すと、本がたくさんあった。(当然か。)
図書館で本を探したときのことを思い出して、何か目印を探す。
岡田と映司は居心地悪そうに、きょろきょろしているだけ。その気持ち、よくわかる。
本棚の上のところにプレートがある。
それを見ながら、順々に移動していくと・・・『歴史・地理』、きっとここだ。
図書館ほど大量の本があるわけじゃなかったのでほっとした。
岡田たちを手招きして、3人で本を探す。
大阪という文字が書いてある本を次々に取り出して、中を見てみる。
・・・・・。
よくわからない。
岡田も映司も、目を回しそうな様子だ。
途方に暮れているうちに、チャイムが鳴ってしまった。
3時間目が体育だったため、その前後の休み時間は図書室に行く暇がなくて、あっという間に昼休み。弁当を大急ぎで食べて、再び2人を引っぱって図書室へ。
まずは、さっきの場所に直行!
本を取り出しているうちに、1冊が目に留まる。これ、ぴいちゃんに選んでもらった本かも。
2人に声をかけて、机の方に移動。
「書くもの。」
と言うと、映司が慌てて周りを見回して、カウンターの近くにあったえんぴつとメモ用紙を持ってきた。
よく考えたら、本が1冊しかなければ、作業できるのは1人だけだ。
本とメモ用紙を映司に押し付けて、もう一度本棚に戻ろうとしたとき、図書室に入って来た横顔は。
「助かった!」
いきなり走り寄られて手首をつかまれたぴいちゃんが、驚いて逃げ出しそうになる。
それを無視してさっきの本棚まで彼女を引っぱって行きながら、小声で事情を話すと、彼女は一瞬、あきれた顔をした。
そりゃそうだよな。
何日も前に選んでもらったのに・・・。
「しょうがないね。」
あ。
こんなふうに先輩みたいな顔するの、久しぶりに見た。
それから彼女はくすっと笑った。
ぴいちゃんが自分の分も入れてあと3冊の本を選び、一緒に机に座って本の中身を見てくれた。
俺たち3人に次々に書き出す部分を指し示してくれて、どうやらリストと言えそうなものができあがる。本当にぴいちゃんは図書室の女神さまだ。
昼休み終了のチャイムが鳴って、慌てて立ち上がる。5時間目開始5分前。
図書室から教室まではちょっと距離がある。
「ごめん。自分の用事は?」
「平気。何かいい本があるかと思って、ちょっと寄っただけ。」
偶然に寄っただけだなんて、本当に運が良かった。
よくよく考えると、俺、ぴいちゃんにすごく世話になってるな。
図書館で本を選んでもらったし(無駄になっちゃったけど。)、宿題を写させてもらった。
今日、図書室を思い付いたのも、ぴいちゃんから夏休みに聞いていたからだし、さっきも巻き込んでしまった。
そういえば、ノートを借りたこともあったっけ。
やっぱり、お礼って、ありだよな?
教室へと急ぎながら、俺たちの後ろを少し遅れてついてくるぴいちゃんを振り返る。
立ち止まって彼女を待つ俺に気付いて、
「大丈夫だよ。」
と、ぴいちゃんが微笑んだ。
そういえば、ぴいちゃんはよく「大丈夫」って言う。自分のことは心配しなくていい、と。
並んで一緒に歩きながら、ポケットから包みを取り出す。
「これ、宿題のお礼。」
小声でそう言うと、ぴいちゃんが驚いた顔をして俺を見る。
目を合わせるのはちょっと照れる。俺、いつもどおりかな?
「お礼なんて、いいよ。」
やっぱり。言うと思った。
「でも、宿題だけじゃなくて、今日も、あと図書館でも手伝ってもらったから。」
「でも。」
「もう買っちゃったし。」
ぴいちゃんは俺が差し出した包みを見ながらちょっと迷って、ようやくにっこりしてくれた。
「うん。じゃあ、いただきます。どうもありがとう。」
ぴいちゃんが両手で包みを受け取って、自分の制服を見回す。どこかにしまおうとしているのかな?
スカートのポケットに手を入れたあと、ニットのベストの胸元を引っぱって中を覗く・・・?!
あわてて目をそらす。
Yシャツのポケットに入るかどうか見ただけなんだろうけど・・・。
ぴいちゃんは大胆にYシャツのボタンを外していたりしないから、別に素肌が見えたりするわけじゃない。
でも・・・、でも!
この位置関係で、そんなことをされたらびっくりするよ!
「間に合うかな?」
ぴいちゃんの声に我に返る。
映司と岡田はもう階段を昇っているらしい。
思わず彼女に手を差し伸べたくなる気持ちを隠して、遅れがちなぴいちゃんを待ちながら、教室へと急いだ。