別の顔。
合宿の2日目、天文部が帰った日の夕方、シャワーのあとに岡田がさりげなく近付いてきて言った。
「お前、篠田とはどうなってるの?」
岡田から何か言われる覚悟はしていた。
ストレートな性格だから、単刀直入にくると思っていた。
「夏休み前に断った。無理だって。」
「それで最近、篠田が来ないんだな。」
向こうがどう思っているのか不安が残るけど。
「お前がフリーってことは、俺と藤野は、ぴいちゃんに関しては同じ位置にいるってことだな。」
「うん。そう思ってくれていいよ。」
「わかった。一応、確認しておこうと思って。でも、わかったけど、俺はお前には遠慮しないよ。」
「・・・吉野を傷つけるようなことをしないなら、俺はそれでかまわない。選ぶのは彼女だし。」
ぴいちゃんを傷つけたくない。
それが一番重要なこと。
「俺が傷つけたりすると思う?あり得ねえぜ!」
いや、どうだか。お前のその軽さじゃ。
でも、岡田は悪い奴じゃない。
ぴいちゃんが岡田を選ぶのなら、それは・・・やっぱり嫌だ。
8月に入ってすぐ、K高校と練習試合が組まれていた。
実力が同じくらいなので、よく交流のある学校だ。今回は向こうの学校に、俺たちが行く。
朝早く駅に集合して電車を乗り継いで行く。K高は向こうの駅から徒歩10分。
うちの学校とはだいぶ離れているけど、同じ県内だ。
8時からアップを初めて9時に試合開始。
3年生が引退したあとの新メンバーでの初めての試合。
俺はショートで打順は1番。背は高くないけど、俊足を買われている。
初めはちぐはぐだった両チームの動きが、回を重ねるごとにスムーズになっていく。
太陽の下でみんなで声を出して、走って、バットを振る。
チームの一体感が気持ちいい。
試合は1点差で俺たちが勝った。
どちらにとってもいい試合だったと思う。
少し合同練習をして、昼過ぎに終了になった。その場で解散。
帰る支度をしているとき、よく話をするK校の後藤が話しかけてきた。
「昼はどうする予定?コンビニ?それとも電車の途中で寄るのか?」
この駅にはファーストフードの店がない。
住宅街だけど、あんまり賑やかな街じゃないんだ。
「腹が減ってるから、コンビニで買って食べる方がいいな。」
そう言うと、周りにいた映司や林もうなずく。
「じゃあ、駅前のパン屋で買わない?」
「パン屋?美味いの?」
「まあ、味は普通のパン屋と変わらないけど、バイトの子がうちの運動部のお気に入りなんだ。」
「かわいいのか?」
林が素早く反応した。
「けっこうね。最近新しくなった店の制服が似合っててさあ。俺たち、部活の帰りはいつもそこでパン買ってるんだよ。」
「なんだよ。自慢したいってこと?誰かの彼女?」
「違う。誰も手を出せない。その子、愛想はいいけどガードが固くて、名札で名字はわかるけど、それ以外は何も言わないんだ。でも、それがまた注目を集めてて、誰が最初に聞きだすかって話題になってる。」
ふうん。
それほど言うってことは、よほどかわいいんだろう。
でも、バイトだと、今日はいないかもしれないよな。
後藤とK高の何人かに案内されたのは、ちょっと洒落た店構えのパン屋だった。
中をのぞくと、自分でトレイに取ってレジに行くタイプの店で、奥行きがあってけっこう広い。
もう1時を回っているので、今は客が途切れているようだ。
「いるいる。」
後藤が言う。
夏休みになってからは、昼間もよくいるらしい。
「いらっしゃいませ。」
後藤が先に立って入ると、くっきりとよく通る声が響く。
それから。
「あれ?」
と、その声が続けて聞こえた。
なんで「あれ?」なんて言うのかな。
俺たち、何か変?
自分の姿を確認する。・・・清潔とはいえないけど、変ではないはず。
後ろから入って来た岡田と映司を見ると、2人とも驚いた顔で奥を見ている。
「吉野?」
「ぴいちゃん?」
2人の声が重なった。
2人の視線を追って奥を見ると、低いレジカウンターの向こうには。
襟元に赤いリボンのついた紺色のワンピースに白いエプロンをかけて、紺のベレー帽(?)を斜めにかぶったぴいちゃんが、ムンクの『叫び』の絵の人ようなポーズで固まっていた。
店の中であれこれ話すこともできないので、とりあえず、全員パンを買って駅前の公園まで来た。
俺たちの会計をするとき、ぴいちゃんはものすごく緊張していたようで、レジの操作を間違えたり、小銭を落としそうになったりして、最後には癇癪を起しそうになっていた。
ほとんど顔を上げなかったけど、ほかのお客に笑顔で応対したとき(俺たちにはそんな顔してくれなかった。)、確かに店の制服がよく似合っているなと思った。
「そっちの生徒だったのか。」
後藤はパンをかじりながら、ちょっとがっかりしている。
そうだよな。
自慢するつもりの相手が、もっと近い場所にいるヤツだったんだから。
「今年の春から見かけるようになって、うちの運動部はもともと帰りによくあそこでパン買ってたから、女子高生の新しいバイトだってウワサになったんだよ。」
うんうんと、ほかのK高のメンバーもうなずく。
「話しかけたヤツもいたけど、『はい』とか『いいえ』くらいしか答えないっていうんで、それでまた、今どき奥ゆかしいって話題になって。」
ああ、そういうところは、いかにもぴいちゃんらしい。ただ、今回はそれが逆効果だったってわけで。
店番をしていたら、隠れるわけにはいかないからな。
「ちょっと前に、あの店の制服が変わったんだ。初めは学校の制服のままエプロンをかけていたんだけど、あの服になったら彼女の雰囲気にピッタリだって人気が急上昇で。うちの学校の運動部では、彼女目当てであの店に行くヤツも多いぜ。」
確かに、あの服はぴいちゃんの雰囲気によく似合ってた。
でも、あんなに緊張するなんて、よっぽど恥ずかしかったんだな。別に普通の服だと思うけど。
「うちの運動部のアイドルなのに、お前たちの学校だったなんて、なんか悔しい。教えたりして損した。」
後藤が残念そうに言う。
アイドルって言うからには、ぴいちゃんのことを気に入ってるヤツがかなりいるってことか。
いつも目立たないようにしているみたいなのに、何故か注目を集めてるよなあ。しかも、こんなに遠くちゃ、俺の目が届かない。
・・・また父親みたいなことを考えてるよ。
「うちの文化祭に来れば?話くらいできるかもよ。」
誰だ、そんな提案をするのは?
でも、文化祭なら、ぴいちゃんは調理室だから安全だな。
「あ!写真撮ってくればよかった。」
岡田。
ぴいちゃんは、絶対に嫌がると思うぞ。
それにしても、癇癪を起しかけたぴいちゃんなんて、初めて見た。