危険な合宿?
夏休みになった。
運動部は夏休みになっても、ほとんど毎日学校に行く。
特に俺たち野球部やサッカー部は、炎天下で汗と泥にまみれて、日焼けで真っ黒になるし、はっきり言ってキタナイ。もう慣れてるけど。
ある日、練習が終わってグラウンドから部室に向かう途中で体育館の横を通ると、水音とともに女の子の笑い声が聞こえてきた。体育館のシャワー室を使っているらしい。学期中は使われていないから忘れられているけど、夏休みになると、合宿をしている部が使っている。
他校では涼しい地方に宿をとって合宿をするところもあるけど、うちの学校はほとんどの部が、学校の校舎に泊って合宿をする。
「合宿かあ。どこの部かな?」
「どこだとしたって、見えるわけじゃないし。」
「お前、やってみたことあるのか?」
ハハハハ、と、男特有のくだらない話に笑い声が上がる。
俺たちはいつもどおり、着替える途中で、水道で頭から水をかぶって済ませる。こういうときに坊主頭は便利だ。
着替え終わって、集団で自転車置き場に向かう。夏のこの時間はまだ明るい。
ふざけながらのろのろと歩いていると、校舎の角で、走ってきた女子とぶつかりそうになった。
「わっ。ごめんなさい!」
すぐ前で立ち止まった顔に見覚えがある。
でも、紺のTシャツとグレーのジャージズボン、それと、髪が・・・?
「うわ、藤野くん。」
「・・・ぴいちゃん?」
やっぱり、そうなのか?
見慣れない恰好をしているけど、やっぱりぴいちゃんだ。
びっくりして俺の顔を見て、そのあとすぐに、いたずらを見つかった子どものような顔をした。
ときどき見る彼女の表情。
でも、髪が。
いつもはうしろで一本に編んでいる髪が今はほどかれて、濡れて乱れたまま、頬から肩、そして肘までかかっている。
走っていきたせいか、上気した頬。おどろいて少し開いたままのふっくらとした唇。
一瞬、俺を見上げた黒い瞳が、黒い髪に強調されて。
いつもよりずっと大人っぽくて・・・目が離せない。
見惚れていたのはほんの一瞬だったらしい。
「失礼しました!」
そう言って、彼女は思いっきり頭を下げて、体育館の方に走って行ってしまった。
心臓の鼓動が復活した。
と思ったら、自分の耳に聞こえるんじゃないかと思うほどの激しさで打ち始める。
髪が濡れてたってことは、もしかして、さっきシャワー室にいたのって・・・。
いや、ダメだ!こんなこと考えちゃ・・・。
「知り合いだった?」
岡田が振り向いて、ぴいちゃんの後ろ姿を見ながら訊く。
「え?あ、ああ、ぴ、吉野。」
人前で彼女を “ぴいちゃん” と呼ぶのは、なんとなく照れくさい。
「え?!マジで?なんですぐに教えてくれないんだよ!」
・・・お前には特に、あの姿は見せたくないな。
「体育館の方に行ったよな?戻ってくるの、待ってようかな。」
そわそわと落ち着かなくなった岡田に焦る。
彼女だって、言わなければよかった!
「体育館に行ったってことは合宿か?」
天文部は学校で合宿をするって笹本が言ってたっけ。
笹本を思い出して、また心配になる。
そのままうろうろしていたら、体育館の方からぴいちゃんが走って戻って来た。
今度は髪をうしろに結んでいる。
ちょっと残念だけど、岡田がいるのでほっとする気持ちの方が大きい。
「ぴいちゃん。」
岡田が嬉しげに声をかける。
「あれ、岡田くんも。こんにちは。」
深々とお辞儀をするぴいちゃん。
もう、さっきみたいな驚いた顔をしない。
「合宿?何部だっけ?」
「天文部。今日から3泊4日。」
「じゃあ、うちとかぶるな。野球部は水曜からだから。」
本当だ!
ラッキー!・・・って浮かれてていいのか?岡田も一緒なのに。
「でも、うちは運動部と違ってひっそりとやってるから、いるのかいないのか、わからないと思うよ。」
「ぴいちゃーん。」
校舎の中から声がして、女子が一人やってきた。
ショートカットに赤いフレームのメガネをかけている。ぴいちゃんと同じようにTシャツとジャージ姿だけど、聡明で白衣の似合いそうな子だった。
「あ、まーちゃん。ごめんね、女の子一人にしちゃって。」
この子がもう一人の天文部女子?
ぴいちゃん同様、“まーちゃん” もずいぶんミスマッチなニックネームだ。
あれ?ちょっと待て。
あっちが女子1人ってことは・・・、ぴいちゃんが一緒でも女子は2人?
「じゃあ、お疲れさまでした。」
ぴいちゃんは俺たちにお辞儀をすると、“まーちゃん” と一緒に行ってしまった。
大丈夫なのか?!
「女子2人?」
岡田も呆然とした表情でつぶやく。
「おい!大丈夫なのか?!」
俺に訊くなよ!
俺だって心配なんだから!
でも、どうしようもないじゃないか!
夜、部屋にいても気になって仕方がない。
俺たち野球部には女子マネージャーがいないから、こういうときにどうなってるのかよくわからない。
そうだ!
メールしてみよう!
今は9時。
彼女から返事が来たら、とりあえず安心できそうな気がする。
無理矢理、何気ない文章を考えて、メールを送る。
でも、返事が・・・来ない!
イライラするのを紛らわせようとマンガを読んでみるけど、集中できない。
携帯を見てないのかも。
みんなで盛り上がってるのかな?
もう、寝ちゃったとか?
ぴいちゃんから返事が来たのは10時ごろだった。
『メールありがとう。お返事が遅くてごめんなさい。新しいカメラに慣れてなくて、星の写真を撮るのに時間がかかってしまいました。夕方はいきなり飛び出してしまって失礼しました。』
とりあえずは無事だった・・・みたいだ。
よかった。
翌日、練習しているあいだもぴいちゃんの気配を探すけど、どこにいるのか全然わからない。ほんとうにひっそりやってるらしい。
ところが、昼近くなったら、校舎の方から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
男の声に混じって、ぴいちゃんの声が聞こえたような気がする。
気になるけど、昼間だし、身の危険はないだろうと、とにかく練習に集中する。
昼の休憩に入って、日陰を求めて移動していると、また集団の笑い声が聞こえてきた。
やっぱり、ぴいちゃんの声が混じっているような気がする。中庭か?
うちの学校は、校舎がカタカナの『ユ』の形になっていて、3方から囲まれた中庭がある。
長い部分が5階建で、左側に長く伸びていて、3階から上に1〜3年の教室が10室並んでいる。
開いている方に、縦向きに体育館があり、1階は柔道場と倉庫とシャワー室、2階が体育館、3階が卓球場。教室棟の2階から体育館へ行ける。
『ユ』の上から右を鉤型に囲むように自転車置き場があって、その上側に校庭。テニスコート、ハンドボールコートが左右に並び、体育館側にプレハブの部室棟。そしてグラウンド。うちの学校は、けっこう敷地が広い。
岡田も彼女の声に気付いたらしい。きょろきょろしている。
「中庭?」
俺が言うと、岡田がうなずく。
お互いに何も言わないけど、そのまま連れだって見に行く。
・・・流しそうめん?
ペットボトルをつないだものとビニールプールを並べて、15、6人の生徒が、大騒ぎで流しそうめんをしていた。
その中にぴいちゃんもいる。
こんなところで、いいのか?・・・と思ったら、先生もいた。一緒に大笑いしている。
なごやかな光景だな。
俺たちの合宿とは大違いだ。
あっけに取られて見ていたら、ぴいちゃんがこっちを見た。
プラコップを2つ持って、小走りにやって来る。
「これ、おすそ分け。ちょっとだけど。」
コップには半分くらい、麺つゆにつけたそうめんが入っていた。
「ラッキー!」
岡田は遠慮がない。コップを受け取ると、そのまま一気に口の中に流し込む。
俺もお礼を言ってそれに倣った。
コップ半分でも思ったよりも量があって、話ができない。
そんな俺たちをにこにこ顔で見ながら、ぴいちゃんが言う。
「昨日は心配してくれてありがとう。返信が遅くなってごめんなさい。」
あれ?
それって、岡田にはあんまり知られたく・・・。
いや、俺だけじゃなくて、岡田にも言ってるのか?
そうっと岡田を見ると、バチッと目が合った。
あわてて視線をそらす。
「でも、心配しなくても大丈夫だよ。」
「でも、女子2人じゃ。」
ようやくそうめんを飲み込んで、しゃべれるようになった。
「長島先生も一緒の部屋で寝るし。」
長島先生というのは化学の女の先生だ。
そうは言っても、やっぱり心配だよ。
俺たちの顔を見て、彼女は俺たちが納得していないことがわかったらしい。
「じゃあ、何かあったらメールする。」
何言ってんだよ!
何かあったら、メールできないだろ!
いったいぴいちゃんは、どんな「何か」を想定しているんだろうか?
それとも、俺が考え過ぎなのか?
ハラハラしている俺の隣で、岡田が意外にも落ち着いた声で言う。
「わかった。でも、たぶん気になるから、俺もメールすると思う。」
ぴいちゃんは、しょうがないね、という顔をして、ちょっとため息をついた。
「うん。ありがとう。でも、本当に心配しないで。」
そう言って、俺たちから空のコップを受け取ると、みんなの方へ走って戻って行った。
俺は岡田から何か言われるかと思ったけど、岡田はただ「俺たちも弁当食おうぜ!」と言っただけだった。