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誰が鬼ですって? 〜王妃になったスパダリ国王、今日も愛妻を守るために悪役を演じます〜  作者: なな日々


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第6話 侍女ミリア、禁断の仮説に辿り着く

 わたくし、ミリアは、王妃一筋の専属侍女です。


 王妃様――ロザリア様が公爵家の可憐な令嬢であられた幼少期から、まるで影のようにお側でお仕えしてまいりました。


 誰よりも長く、それこそ彼女が産着を着ていた頃からお側でその成長を見守ってきたという、誰にも負けない強い自負があります。だからこそ……最近のロザリア様に対して、どうしても拭いきれない『奇妙な違和感』、いえ、恐ろしき地殻変動のような変化を抱いていたのです。


(……何かが、いえ、何から何までおかしいのですわ)


 始まりは、ほんの些細な変化でした。


 かつてのロザリア様は、お部屋に引きこんでは美しい薔薇の刺繍に没頭される、おしとやかで内向的な姫君でした。


 それはもう、庭に咲く一輪の百合のように儚く、お茶会で他家の令嬢に少し強い口調で話しかけられただけで、わたくしの背中に隠れて涙を潤ませてしまうほど、か弱く愛らしいお方だったのです。


「ミリア、指を針で突いてしまいましたわ……。うう、少し血が出てしまいました……」


「まあ、ロザリア様! すぐにお薬をお持ちしますわ!」


 ほんの数年前までは、刺繍針で指先をチクリと突いただけで、世界の終わりかのようにこの世の終わりを嘆き、わたくしに泣きついていらした、あの可憐なロザリア様。


 それが今や、お部屋に引きこんてなさることと言えば――。


「ミリア、少し席を外してくれ。集中したい」


「かしこまりました、ロザリア様」


 そう言ってお部屋を辞するフリをして、わたくしは扉の隙間からそっと中の様子を伺ったのです。


 薔薇の刺繍糸の代わりに、最近の王妃様がその美しい白い手元で握りしめていらっしゃるのは……なんと、ギラリと冷たい鈍色の光を放つ、護身用の『仕込み短剣』。


 それを、使い古した鹿革の布切れ一枚で、シャッ……シャッ……と、恐ろしいほど一定のテンポで滑らかに研ぎ澄ましていらっしゃるのです。


 しかも、かつて針で突いて泣いていた指先は、今や迷いなく刃渡りを滑り、刃の噛み合わせや重心のバランスを冷徹に見極めていらっしゃいます。その視線の鋭さ、無駄のない指先の動き、そして一切の雑念を排した職人のような佇まいは、公爵令嬢の嗜みというよりも、完全に一国を裏で牛耳るプロの暗殺者のそれでした。


(い、いつの間に、あんな物騒な暗殺技術を習得されたのです……!? 以前、トゲが刺さって泣いていたロザリア様はどこへ行ってしまわれたのですか……!?)


 違和感はそれだけにとどまりません。


 先日は、廊下の曲がり角で、王妃様が我が国の最高権力者である内閣大臣とバッタリ出くわした際のこと。


 その大臣は、前国王の代からふんぞり返っている傲慢な男で、若くして王妃となられたロザリア様を軽んじ、手ぐすね引いて嫌味たらしく「王妃様は、相変わらずお美しいだけで、毎日お気楽に刺繍をされていて羨ましい限りですな」と不敬な言葉を吐いたのです。


 昔のロザリア様なら、悔しさに唇を噛み締め、その場から逃げ出して泣いてしまわれていたでしょう。


 しかし、現在のロザリア様は違いました。ふっと完璧な、宮廷仕込みの美しい淑女の微笑みを浮かべたまま、すれ違いざまに。


「……次、その汚い口を開いたら、お前が裏でコソコソ肥やしている裏帳簿のド黒い数字を、全て市場にばら撒いてやる。二度と日の目を見られない身体になりたくなければ、よく首を洗って待っていろ。……たくっ、うっとうしい羽虫が」


 と、地獄の底から響くような低いドスの効いた声で呟かれたのです。しかも最後、完全に男の口調で「たくっ」と舌打ちまでなさいました。

 あの大臣が、一瞬で顔を真っ青にして、生まれたての小鹿のように膝をガタガタと震わせ、その場にへたり込んだのは言うまでもありません。


 昔のロザリア様なら、そんな脅し文句の語彙すらお持ちでなかったはずです。しかも、あの時に放たれた圧倒的な威圧感は、とても公爵令嬢のそれではなく、数々の死線をくぐり抜けてきた本物の『武人』、あるいは国を背負う『最高権力者』の覇気でした。


 おしとやかで、守ってあげなければ消えてしまいそうだった我が主が、なぜ、これほどまでに雄々しく、有能で、物騒な「おとこ」のようになってしまわれたのか。


 わたくしが廊下で頭を抱え、「もしや、ロザリア様は何かの悪霊に憑りつかれて……」と本気で祈祷師を呼ぶべきか悩んでいたその時。


 さらに、わたくしの脳天を真っ二つに叩き割るような『決定的な衝撃』がもたらされたのです。


 極めつけは、先ほどのことです。


 わたくしは、国王陛下の執務室へ午後のお茶をお持ちした際、まさに「生涯、誰にも口外してはならない国家最高機密」をこの目で見てしまいました。


 我が国の絶対君主であり、大陸全土から『氷の覇王』と恐れられる、あの国王陛下が、です。


 他国の特使を冷徹な一瞥だけで震え上がらせる陛下がいるお部屋ですから、わたくしもいつも以上に背筋を伸ばし、緊張の面持ちで重厚なオークの扉をそっと開き、静かに足を踏み入れました。


 しかし、その瞬間。


 そこには、山積みにされた難解な国務書類の机を前に、普段の冷徹な威厳を完全に銀河の彼方へと置き忘れてしまった陛下の姿がありました。


「んむ……っ! ふあぁ、やっぱりこの厨房特製のクリーム、すっごく美味しい……っ!」


 なんと、陛下は公務用の最高級の椅子に座って、大きな背中をこれでもかと丸め、昔のロザリア様が「世界で一番大好き! これさえあれば何でも頑張れる!」と仰って死ぬほど愛していた、あの『特製木苺のタルト』を、両頬をリスのようにパンパンに膨らませて頬張っていらしたのです。


 フォークを握るその大きな手元は、まるでご馳走を前にした小さな子供のように嬉しそうに小刻みに揺れており、タルトを一口運ぶたびに、あの切れ長の高貴な瞳を「幸せ~!」と言わんばかりにふにゃふにゃに蕩けさせていらっしゃいました。さらに、嬉しさのあまり長い足をバタバタと小刻みに揺らす、あまりにも可愛らしい(?)貧乏ゆすりまでなさっていたのです。


(こ、国王陛下が……我が国の最高権力者たる御方が、木苺のタルトを、あんなに愛くるしいロザリア様そっくりの仕草でお食べに……!?)


 わたくしがトレイを持ったまま、衝撃のあまり石像のように硬直して固まっていると、陛下は空間に生じたわずかな気配に気づき、ハッと大きな肩を限界まで跳ね上げました。


 その時の陛下の慌てようといったらありません。


 口元の端に、真っ白な生クリームと甘酸っぱい真っ赤な木苺のソースをべっとりとつけたまま、大慌てでいつもの冷徹な「鉄仮面」の表情を作り直そうと、鋭い視線をこちらに向けたのです。


「む、ミリアか……っ! ――ゲホッ、ゲホッ! な、何でもない! これは、ただの……そう、過酷な執務に耐えうるための、緊急の糖分補給だ。決して遊んでいるわけではない。……というか、他言は一切許さん! 今すぐ下がれ!」


 低く威厳に満ちたお声……ですが、隠しきれていない動揺のせいで、お声のトーンが裏返りそうなくらいに上擦っていらっしゃいます。何より、その厳格で美しいお顔の口元についた、可愛らしいクリームのせいで、せっかくの覇王の威厳が木っ端微塵に大破していました。



 わたくしは慌てて平伏し、音を立てずに執務室を退室しましたが、廊下に出た瞬間、あまりの衝撃に膝の震えが止まりませんでした。


(……まさか、そんな。おとぎ話の絵本にあるようなことが、この現実の王宮で起きているというのですか……!?)


 最初は、お二人が同時に奇妙な病にでも冒されたのかと思いました。


 おしとやかだったロザリア様が、急に暗殺者のように短剣を研ぎ始められたのは、何者かに洗脳されたからではないか。冷酷無比だった国王陛下が、急にロザリア様の大好物のタルトを涙目で食べていらしたのは、過酷な国務によるストレスで精神が幼児退行してしまわれたからではないか、と。


 ですが、すべての点と点が、わたくしの脳内で恐ろしい一つの線で繋がってしまったのです。

 わたくしの実家は、王宮の古い書物を管理する由緒ある家系。幼少期に書庫の奥で盗み見してしまった、初代国王の時代に実在したという禁忌の魔術の記述――『魂の入れ替わりの呪い』。

 おしとやかなロザリア様の中に、男勝りな覇王の魂が。


 冷徹な国王陛下の中に、タルトを愛する乙女の魂が。


 もしや、お二人の様子が急激におかしくなられた、あの日の夜に……未知の呪いが降りかかり、中身が『丸ごと入れ替わって』しまわれたのでは――!?


「いけませんわ、ミリア。そんな不敬で荒唐無稽な妄想……! でも、もし万が一、本当に呪いで入れ替わっているのだとしたら、わたくしがロザリア様と国王陛下をお救いせねばなりませんわ!」


 忠誠心という名の勘違いの炎がメラメラと燃え上がったわたくしは、真相を確かめるべく、お茶を温かく淹れ直してトレイに載せると、今度は王妃様のプライベートな私室の前へと向かいました。


 心臓が口から飛び出そうなほどの緊張でゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めて、閉ざされた扉をわずかに押し開けます。


 しかし、その扉の隙間から見えた光景は――わたくしの浅はかな愚考を、光速で遥かに超越していたのです。


 わずかに開いた扉の隙間から、わたくしは息を殺して私室の中を覗き込みました。


 ソファーの上では、国王陛下と王妃様が並んで座っていらっしゃいます。


 その時、王妃様がふと、扉の方へわずかに視線を動かされました。


 ――さすがは最近、プロの暗殺者のような手際で短剣を研いでいらっしゃるロザリア様。わたくしが極限まで気配を消して潜んでいるというのに、その視線は正確にわたくしの位置を捉えたのです。


(しまっ……! 気づかれましたかしら!?)


 わたくしが冷や汗を流した瞬間、王妃様は隣にいる国王陛下の脇腹を、白い肘でグイと小突かれました。そしてそのまま、お互いの顔をこれでもかと近づけ、何やら耳元で甘えるように熱烈に囁き合い始められたのです。


(あら、まあ……! わたくしが覗いているとも知らずに、またお二人だけの世界に入り込んでしまわれて……)


 わたくしがそんな見当違いな赤面を浮かべている扉の向こうで、まさか、国家の命運をかけたこんな極限の頭脳戦(?)が繰り広げられているなど、知る由もありませんでした。


「(……おい、ロザリア。入り口を見ろ。ミリアが扉の隙間からこっちを覗いてる。ここ最近、あいつの俺たちを見る視線がやけに鋭かったんだ。もしかしたら、何かを察して探りにきたのかもしれん)」


 王妃(アレクシス)は、隣の国王(ロザリア)の耳元へ髪を寄せるフリをしながら、冷や汗混じりに囁いた。


「(えっ!? 嘘、もし入れ替わりがミリアにバレたら私、恥ずかしさで爆発しちゃう……! ど、どうすればいいのアレク!?)」


「(落ち着け、まだ確定したわけじゃない。ここで中身が入れ替わったなんてバレたら大スキャンダルだ。ここは……荒療治だが、俺たちが『ただの熱烈なバカップル』だと思わせて疑惑を叩き潰すぞ。名前や一人称は出すなよ、ボロが出る。俺がリードするから、とにかく俺の動きに合わせてくれ。いいな?)」


 王妃の姿をしたアレクシスが、力強く視線で促す。


「(う、うん……! わかったわ、私、頑張る……!)」


 国王の姿をしたロザリアも、覚悟を決めてコクコクと頷いた。


 必死の作戦会議を終え、二人は一転して覚悟を決めた。


 そして、一気に演技のスイッチを入れた二人の、あまりにも熱烈な「疑惑粉砕パフォーマンス」が始まった。


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