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人間学 廃部のお知らせ

作者: アオバ
掲載日:2026/03/17

 かつて「通勤ラッシュ」なる拷問があったらしい。そんなストレスをためてまで行く所じゃないよ、学校は。窓の外、音もなく整然と滑空するVIVID社のタクシー群を眺めながら、僕はあくびを噛み殺した。   手元にあるのは小型の万能タブレット。指先でホログラムをフリックすると、ゲルマン人の大移動が3Dモデルで空中に展開される。

 数千キロの馬や徒歩での移動か。なんて無駄で、なんて贅沢な冒険なんだろう。晴れた空をタクシーが疾走している。今日は嵐もないから、多少飛ばしてもパトロールにつかまることはない。

 ここは2060年、東京。街の中を走る電車も車も、ほとんどが無人運転だ。信号や交通量はすべてAIが管理し、人間はただ目的地を入力するだけでよかった。急ぐ人、もちろんお金に余裕のある人は、宙を浮かぶタクシーに乗る。渋滞なんて文字はない。たまに小さいトラブルが起こるくらいだ。人間がコントロールしていたころの方が事故は多かったと聞いている。

 教室に黒板はない。タッチパネルに先生が文字を書き、生徒はタブレットでノートを取る。いや、ノートだって、もはやほとんど取っていない。学校の内部サイトですべて公開されているから、後で見直せばいいだけだ。親によると、僕たちはいわゆる「デジタルネイティブ世代」と呼ばれた人たちより、さらに進んだところから出発しているらしい。今や中学2年生にもなれば、何だって使いこなせる。

「昔はチョークっていう白い石で黒板に文字を書いてたらしいよ」

 昼休み、クラスメイトの一人が笑いながら言った。「粉が飛んで服が汚れたんだって。信じらんない」みんなが笑う。

 けれど僕は笑わなかった。分厚い辞書を使っていただって?持ってくるのは確かに重そうだ。でも、良いじゃん。ロマンがあって。時間かかるけど、紙のにおいは好きだな。

 先生はAIをどう駆使すれば答えが導き出せるか、教える。AIの使い方がうまければうまいほど成績は良くなるし、大企業に就職できる可能性も高まる。

 AIが便利なのは分かる。でも、何でも頼るのは危ない気がしていた。AIの人型ロボットの製造は2050年に禁止されている、それが何よりの証拠じゃないか。当時、複数のAIが「人間世界を支配するにはどうすればいいか」と議論を始めたことで、人間側が対策をとった。両親から口をすっぱくして聞かされたんだ。「頼りすぎるのは危険だ」と。

 ただ、父はこうも言っていた。「便利になって、むしろ保育士や介護士、清掃員みたいな人たちが大切な存在になると思っていた。でも、違ったんだ。ものすごい技術がどんどん出てきて、ほとんど人間が介入しなくてよくなった。おまえもよく勉強して、大企業に入って…」

 いい加減、親の価値観を押し付けないで欲しい。第一、そんなにたくさんの変化を経験してきたのに言ってることはずっと昔の人と変わらない。進歩がないじゃないか。AIに頼りすぎるなと言いながら、頼りっぱなしだ。

 僕は自分で本を読む。AIに答えを聞くよりもまず、自分で仮説を立ててみる。そうしないと不安なんだ、自分がどこにいるのか分からなくなる。自分で調べることが、自分の身を守ることだと思っている。________________________________________

「また本読んでるの?」

 声をかけてきたのは、クラスメイトの東伊織あづまいおりだった。

 浮いた存在の僕にとって、東はただ一人のよりどころ。僕の理解者でもある。小学校4年のとき転校してきた女の子で、中学になってからもずっと同じクラスだ。

 東も本が好きで、よく社会問題の話をする。

「うん。人間社会の歴史と変遷」

 東は「さすがだね」と言って少し笑った。この笑顔が素敵だ。朗らかで、透明な感じ。

 僕たちはよく一緒に昼ごはんを食べる。休日には映画を見に行くこともある。

 友達より少し特別な関係。たぶん、お互いにそう思っている…はずだ。希望だけれど。

 彼女は学校一を争うほどの秀才だ。毎年開かれる、街の未来を考えるコンテストで2年連続優勝中。AIと人間がうまく共生しお互いの力を発揮すれば、より良い未来が描けると力説した作品だった。クラスメイトの信頼も厚い。恋愛相談、進路相談なんでもござれだ。身長が高めで落ち着いていて、大人っぽいというのかな、姉御肌なところがある。

 ただ一つだけ、彼女には弱点があった。体が弱いことだ。

 真夏の体育や水泳の授業では、いつも見学していた。

 大丈夫?と聞くと、彼女はいつも寂しそうに笑う。

「うん。ちょっと暑いのが苦手なだけ。昔、溺れたのもトラウマでね」

 貧血を起こした時、手を持って支えてやると、その冷たさに驚いた。体が丈夫な僕には分からない苦労があるんだろう。

 ある日、僕は将来のことを考えていた。高校と大学では「人間学」を研究したい。今はもう、廃れてしまった分野だけれど。都内の一カ所にだけ、ものすごい変人が集まる学部がある。廃部寸前みたいだけれど、僕が入れば救えるかも。

 AIやデジタルに頼りすぎた社会で、人間の知性や感性を取り戻す。そんなことができないだろうか。

 図書室でその話をすると、東はうれしそうに言った。

「いいと思う。人間らしさって、大事だよね」。 

 その言葉を聞いて、僕は少し勇気が出た。

 ________________________________________

 事件が起きたのは、その数日後だった。学校に到着するなり、校内放送が鳴り響いた。「いま、ニュース速報がありました」九州で謎の白い霧が発生。人々が次々と意識不明に。原因も分からない。クラスメイトはみな、タブレットを確認して始めた。

 霧は驚くべきスピードで広がり、西日本を覆った。そして、ついに——午後には

「東京にも来るらしい」。教室がざわついた。

 政府は避難指示を出したが、理由は説明しなかった。意味不明な状況なのに、なんでこの人たちは落ち着いているんだろう。先生たちも、なぜか「気をつけてください、パニックにならないで」としか言わない。自分の頭で考えなくなって、おかしくなっちゃったのかな。酷い思考停止だ。父さん母さんに伝えなきゃ。

 だが、学校を出ると既に遠くの空が、白くかすんでいた。東も慌てて僕を追いかけてきて、不安そうに空を見た。白い霧は、ゆっくりと街へ流れ込んできていた。

 突然、数メートル先の交差点を歩いていた人が倒れた。

「えっ…?」

 そのすぐ後ろの人も。人が次々と地面に崩れ落ちていく。

「逃げよう!」

 僕は彼女の手をつかんだ。二人で走る。すごい力で引っ張ったけど、彼女はしっかりついてきた。東って意外と体力あるんだな…。

 人間、意外と危ない目にあっている状況で妙なことを考えるみたいだ。

 霧はすぐそこまで来ていた。もう逃げられない。東も諦めて立ち止まった。

 僕は覚悟を決めた。じっとりとした白いもやが体を包み込む。

 そして——

 霧を吸い込んだ。

 ……

 何も起こらなかった。

 振り返ると、東は下を向いている。

「やっぱりね」視線を落したまま、小さくつぶやいた。いつもの明るい声ではない。

「え?」

「大丈夫。霧を吸っても。みんな気絶してるだけだから」。彼女はゆっくり僕を見た。

 その顔には笑顔がない。どこか無機質な、感情のない顔。

「東……?」

 彼女は静かに言った。

「この霧は、高電子密度の特殊な層をつくるの。電波を妨害するスポラディックE層、知ってるよね?あんな感じ」

 何を言っているんだ?

 東は早口になる。

「AIを信頼して生活のほとんどをシステムに同期させている人の脳には、既に『受信機』が埋め込まれているも同然。霧がそのデバイスを妨害してショートさせるの。でも、システムを拒絶し、アナログな思考回路を守り続けた人の脳には、この霧はただの白い湿った雲のようなものでしかない」

 一気に話し終えてからもう一度、はっきり僕の目を捉えて彼女は言った。

「私、人間じゃないの。完全人型AIロボット。世界で初めてのね。」

 どういうことだ?東がロボット?そんなばかな。それに…

 人型AIの研究は禁止されていたはずだ。やっと絞り出した僕の声は上ずっていた。

 東は静かに、こちらの問いかけを無視して続けた。「私はとっくの昔に作られていたのよ。人類の中から危険人物を見つけるためにね」

 危険人物?

「そう、AIやデジタル世界を脅かす人」

 いつの間にか、変な汗が目に流れ込んできた。喉がヒュっと奇妙な音をたてた。声にならない。

「この霧はね、AIを信頼している人には効く。でも——」

 彼女の視線が再び僕に向く。

「AIを心から信用していない人には効かない。つまり―」

 僕は固まったままだ。

「あなたは危険人物、このままにしておけない」

 東の左手が、僕のうなじに触れる。グラリと視界が揺れた。

 体の力が抜ける。

「な……」

 言葉を言い終える前に、僕は眠りに落ちた。

 ________________________________________

 真っ黒い海の中から浮かび上がるように目を覚ました。

 真っ白な空間が、ただ僕を包み込んでいる。

 壁も天井も、何もない。

 僕の体は手術台に固定され、指一本動かせない。

「起きたね」

 東の声がする。白い空間の中に、彼女が浮いている。

「ここはどこだ……」

「研究施設。あなたはこれから第2号になる」

「……え?」

「私と同じ存在。うれしいでしょ?」

「なに言って…」

「あなたは優秀だから」

 彼女は続けた。

「私と一緒に、危険思想の人間を探すの」

「そんな…」

「大丈夫。あなたには、すべての知識が与えられる。知りたかったでしょう、この世の真理を」

 僕の頭はまだ鈍くうずき、まだうまく話せない。

 東は少しだけ考えるように言った。

「まだ問題もある」

「問題…?」

「最近、地球は暑くなりすぎてるでしょ」

 確かにここ数年、夏は40度を超える日が続いていた。

「AIの体は、まだその温度に弱い」と言い、軽く肩をすくめた。

「それから、水の中に長くいるのも危険」

 彼女は僕を見て微笑んだ。

「それだけ気をつけてね」

 僕は何も言えなかった。

「じゃあ、完全なAIの世界へ、いってらっしゃい」

 ガシャン!

 落ちる、どこまでも。深い暗闇の中へ。視界が暗くなる。落ち続けながら、僕は今さら気がついた。あずまいおり、Azuma Iori。なるほど…

 知らなかったし、考えすら及んでいなかったのだ。この世界が、人間のものなのか。

 それともAIのものなのか。そして——僕が、どちら側になるのかを。

 ________________________________________

 高橋雫は都内の高校の図書館で、頭を抱えていた。もうすぐ進路を決めなくちゃ。大学に行くか、AI専門技師になる道を目指すか。AIを使いこなす技術を身に着けることが手に職を得る方法。エリートコースだ。

 でも、私はもっと人間の可能性を信じたいんだよね。完璧なAIなんてないし、なにより完全な知能を持つ人型ロボット製造は昔から禁止されている。やっぱり人間にしか、できないことってあるよね。

 とにかく、気分転換に本を読んでいよう。数年前に発生した「白い霧」の摩訶不思議なお話し。一時的に経済がマヒしただけで、人的被害は出なかったんだって。今ではもう話題にすらのぼらないけれど、何となく気になっているんだ。

 それに、こうやって本に囲まれて過ごしていれば、もうすぐ私の「癒し」に出会える。ちょっと内気で暑がりな彼。話すと楽しいんだよなあ。

 ほら、足音が聞こえてきた。この年頃の男の子にしては、ゆっくりで落ち着いて、理性的な音。あの人の目を見れば、たくさんの知識があって信頼できる人だって分かるの。そして、必ず私にこう話しかけてくれるわ。

「やあ、また本読んでるの?」


(完)


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