08 夜の廃校
人気のない夜の廃校。香凜は、足音を忍ばせ、雑草が茂る校庭を横切り、校舎の中へと足を踏み入れる。
明かりは窓から差し込む月明かりと遠くの街灯の光だけ。廊下の床にはガラス片が散らばり、割れた窓から吹き込む夜風が教室の扉をきしませる。
廊下から覗き込んだ教室には、埃とカビの混じった匂いが満ち、壁の落書きや剥がれ落ちた黒板、古びた教科書が散乱していた。
香凜はスマートソードを手に、ガラス片で軋む廊下を慎重に踏みしめながら進む。
一階、二階と見回るが人の気配はない。三階まで来ると、奥の部屋からわずかな明かりが漏れているのが見えた。足音を忍ばせて進む。
部屋の前には「理科室」と書かれたプレートがある。そっと覗くと——そこには制服姿の多古がいた。
久しぶりに見る生多古。だからといって香凜に何の感慨も湧いてこなかった。
彼はこちらに背を向け、部屋の中央にある机の前に立っている。机には薬品やビーカーが広げられ、アルコールランプも灯っていた。まるで何かの実験をしているようだった。
「……多古」
香凜が小さく声をかけると、彼が振り向きこちらを見る。眼鏡越しのせいで、表情はよく分からない。近づきながら言った。
「あんた無事だったの?」
「ツク、らなければ」
本物の多古がつぶやいた。
「えっ?」
「ジャまするな」
そう言って後ろを向いた多古の首筋に見える小さな窪み。
『あいつ! 操られてる』
スマートフォンの中のAI多古が警告を発した。
「ええっ?」
『まあ、あいつ、ていうかボクだけど……』
タコ型宇宙人が緊張感のない声で言った。
「まじか……」
気を取り直して香凜は多古に言った。
「ちょっとあんたしっかりしなさいよ」
「ウる、さい!」
手を伸ばした香凜の腕を、多古は強引に振り払うと、足元にあったバットを拾い振り回し始めた。
「もう、なんで理科室にバットがあんのよ」
文句を言いながらそれを躱し、多古から距離を取る香凜。
「仕方ないなー」
(あの恥ずかしいやつやるか……)
心の中で決心すると、控えめの声で唱えた。
「ロングソード!」
しかしスマートソードは反応しない。
「?」
乱暴に振るう多古のバットを避けながら、香凜は画面に向かって文句を言った。
「ちょっとどういうこと?」
『出来ない』
AI多古があっさり答える。
「えっ?」
『自分自身に刃を向けることはできない』
「そんなー」
懇願するように言葉をつづける香凜。
「傷つけないよう、うまいことやるから」
『そういう問題じゃない! プログラムでロックされているんだ』
その後もやみくもにバットを振り回す多古。逃げ回るしか術のない香凜。すると彼の振り回したバットがアルコールランプに当たり、何かの薬品に引火して火の手が上がった。
延焼する机を見て、ショックを受けたような表情を浮かべ茫然自失の多古。
しかたなく香凜は教室の隅に放置されていた消火器を掴み、白い煙を噴射させた。咳き込みながら火を抑え込んだその瞬間──理科室の扉が乱暴に開かれる。姿を見せたのは……伊刈だった。
「貴様……! こんな所まで」
怒りの形相の伊刈。昨夜の公園と同じように、すぐに両手が変形し始める。手のひらが刃物のように薄く鋭利に、指先がナイフのように尖っていく。
すぐに、伊刈の右腕がゴムのように伸び、刃がまっすぐ香凜めがけて突き出される。
「うわッ!」
香凜は反射的に、手に持っていた消火器で体をガードする。
カァンッ!!!
金属音と同時に重い衝撃が香凜を襲う。消火器は弾き飛ばされ、天井に向かって回転し、香凜の体も後方へ吹き飛ばされた。
「っぐ……!」
背中から壁に叩きつけられ、息が詰まる。しかし、追撃は止まない。顔を上げた香凜は、視界の端で光るものを捉える。
──!
うなりを上げ体めがけて飛んでくる左手の刃、香凜は転がるように床へ身を投じ、近くの実験机の裏へ飛び込んだ。
その直後、伊刈の鋭い刃が、香凜のいた壁に深々と刺さり、ひび割れが広がる。
(あとちょと遅かったら……)
刃で作られた亀裂の跡を見ながら、その威力に恐怖を覚える香凜。机の裏で息を潜め、荒い呼吸を必死で整える。
「……」
攻撃が止み、つかの間の静寂──相手の様子を確かめようと、香凜が体を動かしたその時、頭上から聞こえる、空気を裂くような音。見上げるより早く、机の黒い天板を貫き伊刈の刃が降ってきた。
派手な衝撃音とともに、実験机に大きな亀裂が入り、破片が飛び散る。香凜は横っ飛びに逃げ、間一髪で躱す。そこへ追い打ちの攻撃、もう一方の刃の手が、机の影から回り込むように迫ってきた。
香凜の顔をかすめていく刃。
「ひっ!」
こぼれる声を必死に抑える。
(ここにいたらやられるっ!)
四つん這いの姿勢から転がる勢いで立ち上がると、そのまま走り出す。伊刈がいるのとは反対側、もう一方の扉へ向かって駆け抜ける。
「逃がすかぁ……!」
叫び声を浴びせる伊刈。香凜は振り返る暇もなく、廊下へ飛び出した。そのまま、追ってくる足音を背に廊下を走り抜ける。
「うわっ!」
階段に出たところで、突然現れたドレッドヘアの男とぶつかりそうになる。よけた勢いで体は右に流れ、上がり階段の方へ。やむなくそのまま駆け上がっていく。
「追えっ!」
背後に響く伊刈の怒号と足音。
『香凜このまま行くと……』
AI多古が不安げな声を上げる。
「わかってる!」
(私だってここから出ていきたいのに!)
しかし、もう先に階段は無く、扉が目の前。香凜は、そのまま屋上へと飛び出した。
月明かりに照らされた屋上。その中央付近に、ビニールプールが置かれ、校長とロン毛の男がぼんやりと突っ立っている。ロン毛の手の上には青く光る石。
立ち止まった香凜が振り向くと、伊刈が屋上に姿を現した。鋭い目つきでこちらを睨み、口の端をゆがめて言った。
「不良生徒には……お仕置きが必要だな」




