01 不審者
水平線に沈む夕陽でオレンジ色に染まる海。さざ波が揺れる波打ち際。そんな穏やかなビーチを並走する国道を、一台のスポーツカーが走り抜けていく。陽光を反射するシルバーカラーのボディ、低いエンジン音が潮騒を切り裂いていく。
運転席にはドレッドヘアの男、片耳にピアスが光る。助手席には茶髪でロン毛、派手なシャツを着た男が座っていた。車内には重低音の音楽が響き、窓の外を流れる海岸線を横目に、二人はハイテンションで笑いあっていた。
やがて車窓の景色はビーチが途切れ、ごつごつとした岩場へと変わっていく。
「おい! 見ろよ、あれ」
茶髪の男が身を乗り出しながら声を上げた。指さす方向、海の中に人影らしきものが見える。海水浴の季節でもなく、ビーチから離れたこの岩場では、サーファーとも思えない。
ハンドルを握るドレッドヘアの男が答える。
「んっ……人か?」
「ああ、しかも服着てて……って、あれ自殺じゃねえか?」
茶髪の男の言葉に、ドレッドヘアの男が車を急停車させる。改めてよく見ると、確かにスーツを着た男が海の中に立っているように見える。
「おい! 見に行かねえか?」
ドレッドヘアの男の言葉に、茶髪の男がスマートフォンを取り出し、動画撮影モードに切り替える。
「お前、撮る気かよ」
ドレッドヘアの男が笑いながら言った。
「だってネットに上げたら、バズるかもしれないぜ」
「よし、行こう」
二人は車を飛び降り、岩場へと向かった。
だが近づくにつれ、二人の間に違和感が募る。スーツの男は海ではなく、陸地である岩場の方を向いて歩いていた。自殺なら普通、海の方を向いているはず……
男はゆっくりと、だが確実にこちらに近づいてくる。濡れたスーツのまま、しっかりとした足取りで、無言で岩場へ上がってきた。黒いスーツ、オールバックで眼鏡をかけた男が、すぐ近くに立った。
「……あんた、何してるだ?」
茶髪の男の問いかけを無視して、スーツの男がつぶやく。
「海はいい。本物の海は……」
声に抑揚がなく、感情が見えない。
「大丈夫かこいつ? 頭イカれてんじゃねぇ?」
ドレッドヘアの男が眉をひそめる。
「イカれてる……? その言葉は好きじゃないな」
スーツの男が、唇に薄く笑みを浮かべ続ける。
「……だが、ちょうどよかった」
そう言うと、男はドレッドヘアの男に近づき、中指を立てた右手をゆっくりと持ち上げた。次の瞬間、指を──まるで針のようにドレッドヘアの男の後頭部に向けて突き出す。
「……あっ」
指が首の後ろに刺さったように見えた。その直後、ドレッドヘアの男の瞳から光が消えた。
「お、おまえ、一体なにを──」
茶髪の男が叫ぶ。
「大丈夫。すぐに終わる」
スーツの男が静かに指を引き抜くと、ドレッドヘアの男は呆然と立ち尽くした。その表情には、もはや何の意志や感情も見られなかった。
スーツの男はゆっくりと、残された茶髪の男に歩み寄る。
「やめろ……なんだお前、来るな!」
怯えた声を発し、逃げ出そうとした瞬間──体が押さえつけられ、動けない。振り向くと、ドレッドヘアの男が背後から羽交い締めにしていた。
さっきまで仲間だった男が、なぜか自分を押さえている……
「なんだよ、どういうことだよこれ……」
もがく間もなく、同じように指が首筋の後ろに突き立てられた。
「う、うわああ──!」
悲鳴を上げた茶髪の男もまた、すぐに大人しくなり辺りは静寂に包まれた。
日が沈み、夕闇に包まれた岩場にぼんやり浮かぶ三人の影。やがて、何事もなかったかのように歩き出すと、停めてあった車へ向かった。
スーツの男が当然のように後部座席へと座ると、車が乱暴に動き出す。一瞬車体がふらつくが、バランスを取り戻し、やがて夜の闇へ消えていった。
海に、波の音だけが残された。
* * *
──数日後、都内にある某高校
生徒たちで賑わう朝の教室。チャイムが鳴り、生徒たちはそれぞれの席につく。
ブレザーの制服に身を包み、窓側後方の机でだらしなく頬杖をつく魚住香凜。彼女にとって、部活が始まる放課後までは、試練の時間だ。
前の方の席でふざけ合っていた男子二人──矢木と富田が一人の生徒をからかい始めた。
「そんな眼鏡、どこで売ってんだぁ?」
相手生徒は、多古優作。アニメ同好会に所属するアニメオタクで、それに相応しい絵に描いたようなビジュアル──小柄な体格、下ろした前髪に度の強そうな黒い眼鏡。
「ちょっと貸してみろよ」
からかわれている多古は、迷惑そうに眉をひそめ、ただ黙っていた。
(あの二人、またダサいことして……)
嘲笑の声をあげる二人を、冷ややかに見ながら、香凜は心の中でつぶやいた。
ちょうどその時、教室の扉が開いた。
──カツ、カツ。
黒い革靴の音。入ってきたのは、見慣れぬ男。30代後半、黒のスーツに黒いシャツ、銀色の細縁メガネ。生徒たちが一斉に黙り、教室の空気が張りつめる。
「伊刈洋介だ」
低く、感情のかけらもない声。教壇に立った男は、無表情のまま言葉を続ける。
「担任の山岡先生が事故で負傷、しばらく入院する。その間の代理だ」
驚き、動揺、生徒たちの間にざわめきが走る。その中の一人が
「なんかインテリヤクザみたいだな……」
小声で呟くと、教室に小さな笑いが起こった。
次の瞬間、男の目が鋭く光る。
「勝手に喋ってんじゃねぇ!」
怒号が教室を震わせた。さっきまでの無機質な口調とは違う、殺気だった気配に、全員が息を呑む。
「お前らは、黙って俺に従ってりゃいいんだ」
沈黙が教室を支配する。
(……何、この人……変)
教師とは思えぬふるまいに、香凜は戸惑い、恐怖を覚えた。
教室を睨み回していた伊刈が、ある生徒の前で視線を止めた。多古だった。そのまま黙って鋭い視線を向ける。
目をつけられた多古は震え上がっていた。蛇に睨まれた蛙、体を小刻みに震わせ、眼鏡が今にもずり落ちそうだ。下を向き、ガタガタと震え続けている。
その時、教室の扉が開き、一限目の英語の教師が入ってきた。
「えーっと……」
教室に漂うただならぬ気配に、入ってきた教師が困惑の表情を浮かべる。
多古から視線を外すと、伊刈は黙って教室を出ていった。だが、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいるように見えた。
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